=歴史探訪フィクション=
「祐ちゃん、今年も『神在祭』が近づいたね。出雲に行く機会が、ちょくちょくあるだろうから、今回は、君が取材を担当してくれるかな」 「はい、いいですよ」 吉岡次長が、紙を数枚手にしてやってきた。 「これ、今までの記事だから、参考にしてくれるといいよ」 「ありがとうございます」 「基本的には、毎年同じ事をやっているんだよね。だからといって、同じ記事ばかり書いている訳にはいかないだろう。そこは、記者の腕の見せ所だよ。その年その年で、何か目を引くことをそこに盛り込むんだ。でも、基本的なところは、押さえておかなくてはいけない。まあ、そんなところだ。じゃあ、頼んだよ。分からないことがあったら何でも聞いてくれ。おそらく、その半分も答えられないだろうけどな」 「は、はい、分かりました」 祐介は、ジョークなのかどうかよく分からない吉岡の言葉に、ちょっと笑いを堪えながら返事をした。 そして、その資料に目を通すと、確かに写真やインタビューなども含めて、その年の特徴を出そうとしているのが分かった。 祐介は、いくつか不明な点があったので、吉岡次長に聞くことにした。 「吉岡次長、ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが」 「何か?」 「全国の神々が年に一回集う場所は仮の宮で、そこで神々によって人々の『しあわせ』や『神議(かみはかり)』が合議されると言われているのですが、それが何故仮の宮なんでしょうか。拝殿等でも祭祀は行われているようですが、神在祭の一番の中心は、仮の宮にあるように思えるんです」 「なるほど」 「そういった祭祀が行われるようになった理由は、何処にあるのでしょうか」 「なかなか良い質問だ。では、君に、最良の答えを授けよう」 「ありがとうございます」 「図書館へ行きたまえ」 「えっ、図書館ですか?」 「そうだ。そこに古事記や日本書紀といった古典文書から、出雲の歴史を分析した書籍が山ほどある。それを読んで、自分の頭で考えることだ。以上」 「わ、分かりました」 先ほど、吉岡次長が言っていたことはジョークではなかったんだと思いながら、祐介は図書館へ向かった。 その数日後、恵美からメールが入った。 《あれから、唐の歴史を調べています。佐田君は、何か分かった?》 祐介は、ちょうど神在祭の取材のため、出雲の歴史に関わる書籍に目を通していると返信した。 そして、そのルーツに迫るようなところも見えてきているとも付け加えた。 《ぜひ、その話を聞きたいわ。私も、出雲が滅ぼされたあたりの見当がついてきているの。明日の夕方時間空いてない?》 明日は早く終われそうになく、そうなると、図書館も閉まってしまう。 結局、社内の研修室で話をすることになった。 ___________________________________________________________________________________ 「佐田さんに面会の方が来られてます」 次の日、女性社員が来客を知らせ、カウンター越しに恵美の姿が見えた。 「吉岡次長、神在祭について検証したいのですが、研修室を使ってもいいですよねえ」 「ああ、この時間になったらもう使う者はいないから、構わないだろう。あれっ、妙齢のお嬢さんじゃないか。そうか、先日の宍道湖の写真を依頼してきたのも彼女だったりして」 「えっ、そ、そんなこと、あ、ありませんよ」 「あらっ、当たっちゃったよ。祐ちゃんは、嘘つけないからねえ。なあに、気にしなくていいよ。どうぞ、ごゆっくり」 「だから、取材ですよ、取材。失礼します」 祐介は、机の上に置いていた本を手にして、研修室へ向かった。 「職場にまで来て、良かったのかしら」 「大丈夫、別に問題ないよ。それより、何か見当がついたそうじゃない」 「まだ、憶測の域を出ないけどね。佐田君も、神在祭のルーツが見えてきたんだって? 聞くのが楽しみだわ」 祐介は、研修室にあるパソコンを立ち上げた。 「あれから唐の歴史を調べて、それを簡単にまとめたの」 恵美は、持ってきた資料を出して祐介に手渡した。 「ありがとう」 「まず、唐に先立つ隋なんだけどね。第二代皇帝の煬帝が、東アジアの高句麗遠征を三回も試みるんだけど、ことごとく失敗して、その上、庶民への負担を増大させたので反乱が起き、隋は大混乱に陥るのね。そして、その機に乗じてとばかりに、隋の武将でもあった李淵が首都の大興城を陥落させるの」 「クーデターってところかな」 李淵は、煬帝を太上皇帝に奉り上げ、煬帝の孫の恭帝を傀儡の皇帝に立て、617年、隋の中央を掌握した。その翌年、江南にいた煬帝が近衛軍団に殺害されると、李淵は、恭帝から『禅譲』を受けて即位し、唐を建国する。 『禅譲』とは、皇帝の地位を譲り受けることを言う。すなわち、皇帝の地位をそれに相応しい血縁関係がある者へ引き継ぐ場合は『譲位』とされるが、李淵はそんな立場にないため、自分に都合の良い傀儡の人物をまず即位させて、その傀儡の皇帝からその地位を譲り受けるといったやり方をした。それは、自分を正統なる皇帝だとするための手段であり、実質的には、簒奪である。 「混乱に乗じて李淵は、権力を奪い取って唐は誕生しているの。それでも、第二代李世民の頃には貞観の治とも言われるような善政が行われたとされているわ。でも、当時は貴族政治だから、所詮は貴族にとっての善政なのかもしれないけどね。ところが、第三代李治は、皇帝の座が務まらないほど病弱で、六五五年に皇后に就いた武則天が実権を掌握するの」 「確か、則天武后とも言われているよね」 武則天は、624年生まれで、幼名、つまり本名を武照という。武則天は、李治に取り入って娘を生むが、事もあろうに、自分でその娘の首を絞めて殺し、それを当時の王皇后の仕業だとして、王皇后を失脚させてしまう。さらに、武則天は、自分が皇后の座に就くと、前の王皇后たちを虐殺し、その後も自分の身内であろうとなんだろうと、反抗する者は容赦なく抹殺している。密告を横行させ、数百名もの命を奪うといった恐怖政治を行った。そのため、漢代の呂后、清代の西太后とともに『中国三大悪女』とも言われている。 「全く人間性を喪失しているとしか言えない武則天の矛先は、東アジアにも向けられるの。663年には百済が、668年にはとうとう高句麗も滅ぼされてしまうのね。そして、唐王朝は、当時、世界で最大の帝国を築くの」 「大唐帝国か」 「ここが重要なところなんだけどね。663年にこの列島の倭国が、百済を支援するために数万人という規模で兵士を送ったとされているの。ところが、白村江の戦いで全滅してしまうのよ」 「それは、歴史で習ったことがあるよ」 「おそらく、この時に、百済と共にこの列島も征服されたんじゃないかと思うの。百済と深い関係にあったし、ましてや、その百済を支援するために兵を送っているのよ。アジア一帯をその支配下にしようとしている唐が、反抗したこの列島を見逃すと思う? 反抗する者は容赦なく抹殺する武則天が支配者なのよ」 「なるほど。白村江の戦いの後に、百済と一緒にこの列島も征服されたということか。考えられないことはないけど、それを裏付けるものが何かあればいいけど、どうなんだろう」 「そうねえ、そこはまだよく分からないわ。これが、今の私の精一杯のところだわ。佐田君は、何か分かった?」 「近々、神在祭があるだろう。それを取材することになったので、その下調べということもあって、主に古事記や日本書紀、それと出雲神話に関わる本を読んでいたんだ」 祐介は、持ってきた本を手にした。 「ちょっと骨が折れそうね」 「とにかく、たくさんの本に目を通そうと図書館に行って読んだり、借りたりしているんだ。すると、どうも出雲神話は、単なる架空の話でなく、何かを伝え残そうとしているように思えるんだよ」 「何かって?」 「例えば、スサノオ尊の娘である須勢理姫と大国主命が結婚して、スサノオ尊は、その大国主命に国の統治を任せると言っているんだ。つまり、これが出雲王朝の成り立ちを伝えているんじゃないだろうか。スサノオ尊がその始祖神で、その後の支配者がスサノオ尊の後継者である大国主命ということかな。おそらく、その大国主命は、代々引き継がれていったんじゃないだろうか」 「大国主命という一人の神がいたということではないということ?」 「大国主命には、数多くの名前が残されているということは、大国主命とは、今で言えば大国の総理大臣といった意味で、職名を意味していたと考えられるよ」 「職名ねえ」 「出雲王朝が、何世紀にもわたってこの列島を支配していたとしたら、その支配権力を掌握していた人物がいるはずだよ。おそらく、それが、大国主命と呼ばれていたんだろう」 「なるほどね。すると、出雲大社に大国主命が奉られているということは、あるいは出雲王朝が滅ぼされた時に、抹殺されたとも考えられるわね」 「出雲王朝が滅ぼされた時のことを、『国譲り』として残しているんじゃないかな」 『国譲り』は、出雲の国の伊耶佐の小浜、今で言う稲佐の浜を舞台として、天照大神の命を受けた武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、浜に剣を突き立て、『天照大神は、自分の子どもにこの国を治めさせようと言われているがお前の気持ちはどうだ』と大国主命に迫っている。大国主命は、二人の子どもの神に相談するが、つまり家臣のことであろう、しかし、その二人とも武甕槌命に太刀打ちできず、結局、大国主命は国を『献上』すると言ったとされている。 「それって、『禅譲』だわ」 「えっ?」 「さっき、唐王朝を建国した時の李淵の手法を話したでしょう。その手法は、まず武力で以って制圧して、その後に都合よく『お譲りします』と言わせるのよ。同じ手法よ」 「さらに、『献上』するとまで言わせているよ。なるほど、唐王朝の手法だと言えなくはないな」 「それに、そんな話は後でいくらでも作れるわ。それより、その場所は、稲佐の浜となっているでしょう」 「そうだよ」 「古絵図を見ると、今の稲佐の浜は、当時よりも、ずっと海岸が広がっているのよ。当時は、あの奉納山のあたりが海岸線に描かれているわ」 「すると、『神迎祭』も『神在祭』も、元は同じ場所だったということになるよ」 「仮の宮に全国から神々が集まるということは、そこが『国譲り』の場所だったことを伝えているんじゃないかしら。つまり、大国主命やその家臣がそこで殺害されたのよ。だから、崇りをおそれて、全国の神々が集まってその場所で弔いをしているというのが、秘められた神在の祭祀なのかもしれないわよ」 「大変な歴史が、伝え残されていたということか。そういえば、祟りの話は、古事記にも出ているよ」 「祟りの話が?」 祟神天皇の段には、疫病が大流行して、人民が死に絶えようとしていたとある。そして、その時、天皇の夢の中に大物主神が現れて、『これは、私の意思によるものだ。だから、意富多々泥古(おおたたねこ)をして私を奉らせるならば、神の祟りによる病も起こらず、国もまた安らかであろう』と言う。そこで、その意富多々泥古を探し出して、大物主神を奉る三輪山で意富美和之大神(おおみわのおおかみ)を拝み、さらに天神(あまつかみ)と地祇(くにつかみ)を祭る神社を定め奉ると、疫病はすっかりやんで、国家は平安になったということだ。 祟りに怯えていたといった話は、まだある。垂仁天皇の御子は、大人になるまで物が言えなくて、その天皇の夢にも神が出てきて、『私の宮を天皇の宮殿と同じように整えたら、御子は必ずきちんと話せるようになるだろう』と言う。そこで天皇は、『その夢は、出雲大神の御心によるものだ』と、御子を出雲に参拝させる。すると、その御子は言葉が話せるようになり、天皇は、出雲の宮殿を新しく造らせたといったことが書かれている。 「相当、祟りに怯えていたということが伺えるわね」 「それも、出雲の神の崇りにね。もし、彼らが唐王朝の勢力だとしたら、そういった崇りに思い当たる節があるということになるよ。身に覚えがあるからね。だからこそ、その供養に毎年、祟らないでくれという思いで集まって来るのかもしれない」 「佐田君、やっとつながったわね」 「何が?」 「ほら、犯人のメッセージよ。仮の宮の現場で『神の祟り』というメッセージが残されていたのよ。その場所は、出雲の神々が抹殺されたと思われる仮の宮よ」 「確かに。でも、だからと言って、それが犯行の動機となっているかどうかは分からないよ。出雲の神々の復讐と言っても、にわかにはそうとも言えないし。犯人が、どう関連づけようとしたのかは、まだよく分からないよ」 「そうよね。もう少し、調べないといけないわね」 「そうだ、天照大神の命を受けて大国主命に国譲りを迫った武甕槌命だけどね、今も、奈良春日大社で奉られているんだよ」 「春日大社に?」 「そうなんだ。ちょっと待って」 祐介は、パソコンの画面に春日大社のサイトを呼び出した。 「そうね、第一殿に奉られているわ。あっ、佐田君、天照大神の命を受けて出雲王朝を滅ぼしたのが武甕槌命で、出雲王朝を滅ぼしたのが唐王朝だとしたら、その武甕槌命とは唐王朝の武将なのかもしれないわ」 「ということは、武甕槌命に出雲王朝を征服しろと命じた天照大神とは武則天を意味していることになるよなあ」 「ええっ、天照大神が、武則天? ・・・そうよ、そうよね。武則天の本名は『武照』だから、まったく『天照』じゃないの。そういうことだったの・・・。でも、本当にそうなのかしら」 「天照大神は、スサノオ尊の姉と描かれているだろう。それも、まるで武将のごとくに勇猛な姿に。スサノオ尊が、高天原へ天照大神に会いに行くところがあるんだけど、天照大神はすごい武装をして立ち向かうんだ。とても女性とは思えない描き方なんだ。それが、あの武則天だと、分からないでもないよ」 「あるいは、出雲王朝を征服した張本人だという思いで描いたのかもしれないわね」 「ということは、スサノオ尊が天照大神の弟とされているのは、出雲王朝が、唐王朝、それも武則天の支配下に置かれたことを意味しているのかもしれないよ」 「そして、その直接出雲王朝を征服した武甕槌命が春日大社で奉られていたのね。だとしたら、春日大社は、藤原不比等の建立だと言われているから、藤原氏とは、唐の勢力だということかしら」 |
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邪馬台国発見
ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」
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