=歴史探訪フィクション=
「藤沢君、『石見銀山』の原稿は、もう上がりそうか」
「はい、間もなく出来ます」
「上田君、『環日本海横断貨客船』の原稿は、どうなってる」
「編集局に回しました」
「そうか、OK」
明日の新聞の原稿締め切りの時間が迫り、早田編集長の声が、高くなってきた。祐介も、今日、県庁で行なわれた知事による記者会見の原稿を書き上げたところだった。
経済部や文化部はあらかじめ企画されている記事もあるが、報道部は緊急を要する場合が多い。一日遅れるともうニュースソースとしては、役に立たないといったことにもなりかねないので、新鮮さが命だ。祐介は、報道部のそういった緊張感に、記者としての一番のやりがいを感じていた。
その報道部も少し落ち着きを取り戻し、祐介も、ちょっと一息ついて、県庁関係の資料に目を通していた。
「佐田君、今日もご苦労さんだったね」
「あっ、編集長。ご苦労様です」
「ちょっと、君にやってもらいたいことがあるんだ」
「はい。何でしょうか」
編集長が、隣の席に腰掛けた。
「実は、君も知っているだろうが。年明け早々、韓国で環日本海知事フォーラムがあるだろう。その同行取材を君にお願いしようと思っているんだ」
「僕がですか」
祐介は、海外取材には出かけたことがないので、少々不安を感じた。
「ああ。心配しなくても君一人に行けとは言わない。吉岡次長も行くから、二人で協力して取材してきてくれないか。君は、主に写真班としての同行だ。近年、いろいろと微妙な問題が出てきているだろう。今後の国際交流を左右するかなり重要な会議になりそうだから、細かいところもよく注意して取材してきて欲しい」
吉岡次長も行くと聞いて祐介は、少しホッとした。
「分かりました。頑張ります」
「じゃあ、頼んだよ。パスポートは大丈夫だよね」
「はい。持っています」
「海外取材は、初めてだったかな」
「そうです。ずっと、支社にいましたから」
「そうか。まあ、何事も経験だ。そうだ。今日は、この後、吉岡次長と、ちょっと飲み行く予定なんだが、君もどうかね」
「そうですか。ありがとうございます。ご一緒させていただきます」
「じゃあ、そういうことで。もう三十分もしたら帰れるから」
「分かりました」
そう言うと、編集長は、席を立った。
しばらくすると、その吉岡が来た。
「祐ちゃん。来年、一緒に海外出張に行くことになったようだね。よろしく頼むよ」
「はい。こちらこそ」
「じゃあ、今日はちょっと早いが、その壮行会だ。さあ行こうか」
「あのう、編集長は、まだ三十分ほど後にとおっしゃってましたが・・・」
「大丈夫、大丈夫。いつも行く所だから。先に行ってよう」
吉岡は、そう言いながら、佐田の腕を持って立ち上がるように急き立てた。
「じゃあ、編集長お先に」
「では、失礼します」
「ああ。先にやっていてくれ。これを済ませたらすぐに追いかけるよ」
佐田も編集長に挨拶をして、社を後にした。
吉岡の車の後について行った先は、居酒屋『中井亭』とあった。
中に入ると、カウンターと座敷があったが、座敷にはもうすでにお客が来ていたので、カウンターに腰掛けた。
「よう、大将、繁盛してるね」
吉岡は、目の前で包丁を握って調理している五十歳前後の『大将』に声をかけた。
「いらっしゃい。あれっ、吉ちゃん、今日は若い人と一緒かい」
ちょっと丸顔の、気さくそうな『大将』だった。
ビールを注文すると、右側の通路に見える暖簾を分けながら出てきた女将さんが、ジョッキを出して用意を始めた。
「あら、吉岡さん、いらっしゃい。しばらく、ご無沙汰だったわね」
「いやあ、仕事が忙しくて。もう、家と会社と往復の毎日だったよ。里子ちゃんは、相変わらず綺麗だね」
「そんな事言っても何も出ませんよ。はい、ビールお待たせ」
二人は、ジョッキを手にして飲み始めた。
「ふう。ところで祐ちゃん。あの女将さんは、沖縄出身なんだよ」
「そうなんですか」
「この大将が、以前のスナックをやっている時に、M女子短大に来ていた彼女をお店のバイトに雇っていて、そのまま嫁さんにしてしまったんだよ。卒業して帰っていた彼女を、沖縄まで口説きに行ったっていうからすごいだろう。なあ、大将」
「そんな昔の話は勘弁してくださいよ」
その話に大将は、少々照れていた。
しばらくして編集長が現われ、三人で社のことや、それぞれの私生活のことなどを話していた。
「そうだ、祐ちゃんも、確か鳥取県出身だったよなあ」
吉岡が、編集長越しに話しかけてきた。
「はい、そうです。今は合併して米子市になりましたが、淀江です」
「ということは、この四人全員が、鳥取県出身だ。まあ、隣の県だからそんなに珍しがるほどでもないんだがな。編集長が鳥取市だろう。俺と大将は、湯梨浜(ゆりはま)町で、合併する前は、大将は泊村で俺は羽合町、いずれも東郷湖の北だよ。そして祐ちゃんが淀江だ」
「そうでしたか」
「その、それぞれが、何処も歴史的な拠点と言ってもいいよ。まず、編集長は湖山池の南の湖岸にある布勢という所なんだ。なんと布勢には、君も良く知っているだろう『四隅突出型古墳』。その最大規模の古墳が、布勢にあったんだよ」
「それは知りませんでした。学生時代、考古学研究会にいたんですが、あまり出ていなかったもので」
「で、俺と大将は、東郷湖畔だが、そこに『馬ノ山』という古墳の多い山があるのを知っているだろう」
「はい。倉吉市の支社にもいましたから」
「そこが、どうして『馬ノ山』というかと言えば、そこで馬が飼われていたからだよ」
「それも聞いたことがあります。古絵図が、神社から発見されて、そこに馬の絵が書かれていたんですよね」
「さて、では、どうしてそこで馬が飼われていたかだよ」
「そうですねえ。どうしてなんですか」
祐介にはその理由が思い当たらなかった。
「それは、今で言う『駅前レンタカー』だよ」
「何ですか、それ」
「あっ、今、俺のこと馬鹿にしたな。下らない事を言うと思っただろう」
「いえ。そんなことはありませんよ。驚いただけです」
吉岡は、先ほどからビールのお替りをしていたが、早くも酔いが回ってきているようだ。
「これは、大将の話を聞いて分かったんだよ。わが故郷元羽合町には橋津川という川があり、東郷湖から海に注いでいるんだが、その河口の横にはいくつかの岩で囲まれた小さな港のようなエリアがあり、その中にある岩の一つに鳥居が設置してあるんだよ」
「はい」
それは、祐介も見たことがあり、どうして海の中の岩に鳥居があるのか不思議に思ったことがある。
「その近くの港神社の秋祭りでは、神輿や祭り船が出るんだ。どうも、今は船は出ていないみたいだ。その神輿は、鳥居のある海の中にまで入るんだよ」
「へえ、それはおもしろいですね」
「おそらく、古代の何かが伝えられているんだろう。そのヒントをくれたのが、この大将なんだよ」
大将は忙しそうに調理をしていたが、ちょっとこちらを見て微笑んだ。
「鳥取県の中部のあたりには、朝鮮半島からのゴミが流れ着くんだよ。つまり、ゴミには当然ながら動力源はない。それにも関わらず流れ着くということは、そういう海流があるということだ。そして、それだけではなく人も流れ着いていたということなんだ。以前、大将の伯父さんは、隠岐島から小船に帆を張って、動力無しで泊村にまでやって来ていたんだよ。なあ、大将」
「ああ、風向きを見ながら楽々来れると言っていたよ。夕方になると風向きが変わるんだ。その風を読みながら『さあこれなら大丈夫だ』と言って帰っていったものだよ」
その大将の話は、祐介には驚きだった。
「つまり、朝鮮半島から、古代人もこの列島にやってきていたということだよ。おそらく、それも、同じ民族が、かなりの期間、集団で。そして、その橋津川周辺にたどりつくとどうする? 多くの荷物を持って、そこから山陽、近畿方面へ向かうとなると相当な長旅だ。そこで必要となるのが、移動手段というわけだ」
「なるほど。そのための馬だったというんですね」
祐介が吉岡を見ると、次第に目がうつろになってきていた。
「そうだよ。まあ、俺の勝手な推測だけどな。ま、君の淀江の方がもっとすごいかな。妻木晩田遺跡や角田遺跡と、わが国屈指の遺跡が発掘されているからな」
妻木晩田遺跡は、大山山系の晩田山と呼ばれる海に突き出した丘陵地にあって、わが国最大級の弥生集落遺跡である。一九九五年から一九九八年にかけて、ゴルフ場開発に伴う発掘調査の中で発見された。その広さは、一七〇ヘクタールもあり、当時、国内最大級だと言われていた吉野ヶ里の五倍もの規模を誇る。およそ一割の地域で調査が行われ、その結果、竪穴式住居跡四二〇棟、掘立柱建築物跡五〇〇棟、四隅突出型墳丘墓を含む墳丘墓三十四基を始め、鉄器、土器、石器なども二〇〇点ほど発見されている。
また、妻木晩田遺跡のふもとには、『淀江』という地名でも分かるように、かつては入り江や潟があり、その周辺には数百基の古墳があり、日本海側でも際立った古墳の密集地である。付近にある角田遺跡からは、高層神殿の絵が描かれた土器が発掘され、それが九州の吉野ヶ里の遺跡再現の参考にもされている。
さらに、岩屋谷古墳からは、岩で作成された『石馬』が発掘され、これは、北九州の福岡県と、本州ではこの淀江だけからしか出ていない。同様に、九州の縄文土器も発見されており、岩屋谷古墳のある地名は『福岡』であることから、九州との交流があったことも伺える。
これら以外の地域からも、天神川河口付近で見つかった長瀬高浜遺跡からは、出ない物はないというほどの多様な遺物や、巨大建造物の柱の跡も発見されている。また青谷上寺地遺跡からも多くのものが見つかっており、特に人骨には殺傷痕や脳まで残っていたのは衝撃的ニュースとなった。
「出雲から鳥取県にかけては、出雲文化圏として、大きな勢力が居たことを意味していると考えられます」
吉岡は、うつむきながら祐介の話を聞いていた。
「古代、山陰は裏ではなく、実は表玄関だった、ということだろうねえ。そう言えば大将、あの人何て言ったっけ。ほら、めがねを掛けた若い彼、彼も鳥取県出身だったよなあ」
「ああ、山ちゃんだろう。そうだったな。いい青年だったのに・・・」
急に大将の顔が暗くなった。
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邪馬台国発見
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