万葉集に秘められた真実!
柿本人麻呂、『古』を偲ぶ  4

琵琶湖に鯨がいた?

鯨魚(いさな)取り 近江の海を 沖放けて 漕ぎ来る船 辺付きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂 いたくな撥(は)ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫(つま)の 思ふ鳥立つ(2-253)

鯨魚取 淡海乃海乎 奥放而 榜来船 邊附而 榜来船 奥津加伊 痛勿波祢曽 邊津加伊 痛莫波祢曽 若草乃 嬬之 念鳥立

 
 『淡海』を詠っている歌を調べていますと、何と鯨魚(いさな)漁に出かけるといった歌がありました。『鯨魚』とは、文字通りまさしく鯨です。通説で言われるところの『近江の海』、つまり琵琶湖には鯨がいたのです。
 とんでもありません、そんなことはあり得ません。淡水の琵琶湖に、鯨は、過去から現在に至るまで存在しておりません。
 『淡海』が『近江』、つまり琵琶湖を意味しているというのは、万葉集の歌が根拠となっていました。『淡海』が『近江』だとする通説の立場で解釈しますと、琵琶湖には鯨が生息していたことになってしまいます。琵琶湖にいなくても、琵琶湖が海につながっていたのであれば鯨漁に出航していたことは可能です。ところが、琵琶湖は、全く海につながっておりません。
 『淡海』が『近江』、琵琶湖であるというのも『みなし解釈』の一つであったようです。実際は、『淡海』は琵琶湖ではなかった、しかし、一連の『みなし解釈』をする中で、『淡海』は琵琶湖だと解釈されたと考えられます。
 このように、『淡海』が近江・『琵琶湖』だという通説の解釈は、その根拠とされていた万葉集そのものによって、『淡海』は琵琶湖ではないことが明らかになりました。
 したがいまして、それは必然的に人麻呂が古(いにしえ)を偲んでいた場所は、琵琶湖ではなかったということになります。
 では、人麻呂が偲んだ場所である『淡海乃海』とは、何処の海だったのでしょう。
 湖を海に見立てて詠ったといった解釈は、もはや成り立たなくなりました。
           

                       


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