万葉集に秘められた真実!
柿本人麻呂、『古』を偲ぶ  6

『淡海乃海』は宍道湖だった

 人麻呂が偲んでいたのは、唐王朝に滅ぼされた出雲王朝だということになりますと、その場所はもちろん琵琶湖などであろうはずもなく、出雲の地ということになります。
 そして、『淡海の海』に該当する所は、必然的に今の宍道湖ということになります。
 島根半島は、古代にあっては島でしたが、その時期には本州と繋がっていて、宍道湖が誕生していました。宍道湖は塩分が薄く、まさしく『淡い海』で、当時、千鳥がいたという歌も残されています。
 
 意宇の海の 河原の千鳥 汝が鳴けば 我が佐保川の 思ほゆらくに(3-371)
 
 『意宇の海』とは、今の中海の辺りに相当します。出雲の勢力にとっては、聖地とも言える熊野山(今の天狗山)を源流とする意宇川が、熊野大社や出雲国庁跡、つまり当時の大宮処の側を流れ、『淡海の海』の東に注いでいて、その河口周辺の海を言います。
 その辺りに、千鳥がいたと詠われていました。
 斐伊川から流れ出る膨大な量の土砂は、本州と『あきづ島』をつなげ、島根半島を形成することにより宍道湖が誕生しました。今も、斐伊川の河流域には土砂があふれています。
 つまり、当時の宍道湖畔は、あちこちに砂洲が広く存在していました。そこに千鳥が、餌を求めてやって来ていたのでしょう。現松江市の宍道湖畔には、『千鳥』という字名もあります。そこには、『千鳥公園』があり、宍道湖の綺麗な眺めを一望できます。今も、宍道湖では千鳥の姿を見ることができます。宍道湖の夕日を眺める名所となっている『袖師が浦』のあたりの岸辺では、餌をついばんだり、『チチッ、チチッ』と鳴きながら飛び回る千鳥の姿があります。
 第266首の歌は、人麻呂が、滅ぼされた出雲王朝を偲んで、宍道湖の辺に佇んで千鳥の声を聞きながら詠ったであろうという解釈に至りました。
 それは、出雲王朝の滅亡という大きな悲劇に遭遇した人麻呂の苦悩が背景にあったのです。
 宍道湖の夕日は、今も変わることなく綺麗です。人麻呂は、その宍道湖の夕日を眺めながら、出雲王朝の栄えていた頃や滅亡の悲劇、あるいは、その中で亡くなったり、遠く逃亡していった人たちに思いを馳せながら偲んでいたのでしょう。 
 従いまして、『淡海乃海』は、宍道湖だったということになります。宍道湖は、海にも繋がっていますから、鯨漁にも出かけることができます。
 これで、第266首の疑問は解消しましたが、その認識に到達しますと、そこからまた新たな認識への飛躍へと繋がっていくことになります。
 さて、第266首の解釈に基づきますと、人麻呂は、出雲の地に身を置いていたということになります。そうなりますと、人麻呂が古(いにしへ)を詠った歌が、その1首だけということはないでしょう。おそらく、他にも詠っているはずです。
 では、探してみましょう。 
          

                       


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