オーシャン・ドリーム号の悲劇 船 ・・・20年目の夏
29.
 「おい、黒岩、もう出雲に着くぞ」
 福山の声で、黒岩は目を覚ました。
 「よく寝てしまったなあ」
 「さあ、行くぞ」
 東京を出る時は、穏やかな天気だったが、出雲は曇り空で肌寒かった。
 一行は、何はともあれ、出雲大社へ向い、参拝を済ませた。

 そして、福山の案内で、大社から西におよそ1㎞ほど行ったところにある稲佐の浜へと向かった。
 その海岸に近いところに小高い山があり、福山は、まずそこを登ると言った。
 「ええっ、この山の上にまで登るの?」

 佐伯は、ちょっと困惑していた。
 「大丈夫だよ。螺旋状に道があるから、そう大層でもないよ」
 「そうなの。じゃあ、頑張ってみましょう」
 みんなは、福山に引き連れられて、その山の斜面を回るようにしながら頂上を目指した。
 途中、日本海が一望に見渡せる場所もあった。

 「すごく見晴らしがいいわね」
 佐伯の後ろを行く若木がその景観に見入っている。

 「よく見渡せるだろう。でも、頂上は、もっと素晴らしいよ」
 「本当ですか。じゃあ、頑張って歩かなくちゃ」
 福山の言葉で、若木はまた歩き始めた。
 ようやく頂上に着くと展望台があり、みんなはそこを上がった。
 「わあ、本当。すごく見晴らしがいいわね」
 みんなが口々に、その感動を述べている。

 「あの東の方に見えているのが出雲ドームだよ。そして、南には、中国山脈の山々が見渡せ、右手には日本海とその沿岸が遠くまで見通せる。ここは本当に絶好の展望台だろう」
 「本当に素晴らしい眺めね」
 横にいる恵理子も感激している様子だ。
 「さて、みなさんをここにご案内したのには理由があります。では、この資料を見てください」
 そう言うと、福山は、プリントアウトした紙を黒岩以外に配った。
 そこには、いくつかの万葉集の歌が印字されていた。
 「その一番上の歌を見てください」
 みんなは、福山の示す歌を見た。


『やまとには むら山あれど とりよろふ 天の香具山登りたち 国見をすれば 国原は けぶりたちたつ 海原は かまめたちたつ うまし国そ あきづ島 やまとの国は』

 「この歌は、万葉集の第二首です。現在の解釈では、古代の奈良にあった都『やまと』で詠まれたことになっています。しかし、その奈良には、海はありません。ましてや、『あきづ島』、すなわち、トンボのような島などどこにもありません。実は、その歌は、今は『奉納山』と呼ばれている、この山の頂上、まさしく私たちが今立っているこの場所で詠まれています。当時、この出雲は、たたら製鉄の拠点でしたから、ここから見渡せる山々からはその煙が立ち昇っていたことでしょう。そして、今は、対岸の本州と陸続きになっていますが、この歌が詠まれた当時は、まだ内海で、そこにはかもめが飛び交っていました」
 「確かに、見晴らしは素晴らしいし、条件は揃っているとは言えるかな」
 黒岩が、資料と景色を眺めながら話している。
 「来る途中黒岩にも話したが、我が国の本当の歴史は秘匿されていて、それは、自らの感性で会得しなければならないんだ」
 みんなも、資料にある歌を見ていた。
 「じゃあ、カモメもいるんですか?」
 「雪絵ちゃん、いい質問だ。では、次の場所へ行こう」
 一行は山を下り、そのすぐ側にある『仮宮』に訪れた。

 「ここが、神無月に全国から神々が集合する場所とされている。だから、全国では、神無月だが、出雲では神有月と言われている」
 「ねえ福ちゃん。そもそもどうして、全国から神々が集まるのかしら?」
 佐伯が、目の前の掲示板にある由緒書を見ながら福山に聞いた。

 「その疑問の答えも、この場所にこそあるんだよ。古事記に『国譲り』の逸話が残されているだろう。その場所は、今私たちが立っているここなんだよ。今は、浜から少々離れているが、当時は、ここが海岸線だった。つまり、この場で、当時の大国主命、今で言う総理大臣が唐王朝の勢力によって惨殺されたんだよ」
 「唐王朝に?」
 「そうなんだ。その当時、唐王朝は武則天の支配下にあった。その武則天の指令で朝鮮半島もこの列島も制圧された。古事記にもあるように、天照の指令で武甕槌命によって出雲が制圧されている。武則天の幼名、つまり本名は武照、すなわち天照だ。その手下だから武甕槌命だよ」
 「なるほどね。でも、それって、いつのことなの?」

 佐伯は、興味津々に聞いてくる。
 「西暦663年11月18日のことだ。旧暦だと、10月10日だよ」
 「10月10日だって! それって、神在祭が始まる日じゃない」
 「そう。正確には、旧暦の10月10日の夜7時から神迎祭に始まり、その翌日から神在祭が執り行われる。つまり、神在祭の本質は、この列島の都があった出雲の地で惨殺された、大国主命を始めとする出雲王朝の人々の弔いだよ」
 「えっ、そういうことだったの」

 「だから、この周辺の人たちは、その期間中、大工仕事はしない、大きな音や音楽は流さないなど、静かに謹慎しているんだ。その祭りのことが『お忌さん』とも呼ばれている」
 「普通に言うお祭りじゃないのね」
 「では、その神迎えの神事が執り行われる場所に行ってみようか」
 みんなは、そこからすぐ近くにある稲佐の浜に出た。
 「この辺に縄が張られ、その中でかがり火が焚かれる。そこに置かれた『ひもろぎ』に神が宿ると、それを本殿横の東西十九社に奉納するんだ。その道行では、神官によって、時折『うぉ~』という低く大きな声が発せられる。ほとんど、その時に惨殺された人たちのうめき声のようだ。夜中にその声を聞くと少々怖くなるよ」
 「でも、そういった考え方は聞いたことないわ。本当に、ここでそんなことが起きていたのかしら」
 「その出雲王朝が、滅ぼされる瞬間を伝え残している人がいたんだ」

 「ええっ、本当に?」
 「それが、その資料の次にある歌だ」
 佐伯は、手に持っていた資料をまた広げた。

『東の 野にかぎろひの 立つ見えて 返り見すれば 月かたぶきぬ』

 「これは同じく万葉集の第48首、柿本人麻呂の歌だよ。出雲大社の地には、32丈、およそ96mもの高さの神殿があったとされている」
 「それは、聞いたことがあるわね。その巨大な柱が発掘されたのよね」
 「そうだよ。その神殿とは、今で言う皇居のようなもので、当時の国家的象徴がそこに君臨していたわけだ。人麻呂は、そこから、出雲王朝が攻め滅ぼされる瞬間を目の当たりにしていた。だから、その歌には、恐ろしくも悲しい思いが込められているんだ。その当時は、すでに本州とつながっており、東には平野が開けていた。『かぎろひ』と読ませているが、原文では、普通に『炎』となっている。つまり、あちこちで、焼き討ちに遭っていたことを詠んでいる。一方、西を見ると月が傾いているのが見えた。日暮と共に南中し、夜半に西に傾く月は、上弦の月だよ。すなわち、旧暦の10月10日の月を人麻呂は見ていたことになるんだ」
 「なるほどね。旧暦は、月の満ち欠けがカレンダーになっているんだものね。じゃあ、人麻呂は、偉い人だったのね」
 「まあ、今で言えば皇太子的存在だったのだろう。当時は、まだ幼少だった。出雲王朝のラストエンペラーといったところかな」
 「それは辛かったことでしょうね」
 しばらくは、みな、海を眺めていた。
 「ねえ、カモメがたくさんいるわよ。あの歌にもあったけど。今もいるのね」
 進木が、波打ち際で、餌を喋んでいる百羽以上は居そうな鳥の集団を見ていた。

 「あれは、確かにカモメの種類だけど、今はウミネコと呼ばれているよ。日御碕にその繁殖地の島があるんだ。じゃあ、今日、最後の訪問先に行ってみようか」
 一同は、タクシーで日御碕に向かった。
 夕方になり、風が冷たくなった。
 「風が強いわね」
 恵理子が寒そうにしている。
 「この灯台は、地上43.7mで日本一の高さだよ。さあ、上に上がってみよう」
 「ええっ、もう歩き疲れて足ふらふらよ。私、下で待ってるわ」
 恵理子だけでなく、他の女性もリタイアした。
 一人、進木だけは、一番若いとあって、一緒に登ることになった。しかし、階段が160段ほどあり、上に着く頃には、3人とも足がガクガクになっていた。
 そして、灯台の外に出られるようになっていたが、今まで体験したことのないほどの強風が吹いていた。
 「何これ、すごい風だ」
 黒岩も出ることを躊躇していた。とても、何かにつかまっていないと飛ばされそうなくらいだった。さすがに、進木は中にいた。福山と黒岩は、恐る恐る出てみた。確かに見晴らしは良かった。下の遊歩道を行く3人連れの姿も見えた。福山は、声をかけようかとも思ったが、とても届きそうになかった。
 「さあ、降りよう」
 3人は、早々に階段を降った。

 先に行った女性陣を追いかけて行くと、岩場に設置されている展望台に居た。
 「わあ、本当だ。たくさんいるいる」
 そこから見える経島(ふみじま)、厳島(いつくしま)とも呼ばれる島を見ながら話している。
 「ほら、雪絵ちゃん見てごらん。あの島の上に、ウミネコがいっぱいよ」
 「ウミネコが? 本当、ええっ、すごい数よ。あんなに居るの見たことないわ」
 「5千羽ほどいるそうよ。12月頃にやって来て、7月頃に飛び立っていくんだって」
 「へえ。ウミネコって渡り鳥だったのね」
 恵理子と雪絵が話している。
 「その島は禁足地になっていて、その向いにある日御碕神社の神官が年1回例祭の時にだけ上陸することが許されているんだ。古くからそうやってウミネコの繁殖地が守られてきている。ウミネコは、カモメ科の鳥で、すぐにはウミネコとカモメの違いはよく分からないし、古くはカモメと呼ばれていたんだろう。この島のウミネコが、稲佐の浜にもたくさん飛来していたように、当時もあの周辺を飛び交っていたことだろう。あの万葉集の歌が詠まれた時から今に至るまで、営々とその命が引き継がれてきているんだろうね」
 「それを考えるとすごいことよね」
 次第に夕暮れが近づいていた。
 生憎、雲に覆われていて、その日は、夕日を見ることはできなかった。

 「さあ、日も暮れてきたから、旅館に行くとしようか」
 一行は、出雲大社周辺のホテルで一泊した。
 

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邪馬台国発見

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