人麻呂が、明石海峡で見た島は、やはり紀伊半島ではなく、そこからやっと見えるほどの小さい『島』でした。人麻呂は、旅の終わりではなく旅立ちの歌を詠っていたのです。 これで、第255首の歌の疑問は解消されたと思ったのですが、ところが、そういった解釈をすることによって辻褄の合わないことが生じてしまいました。 人麻呂は、その歌の中で『恋来れば』と詠っています。その旅の帰路にあって、家で待つ妻のことを思いながら『恋来れば』と詠ったのであれば辻褄も合いますが、旅の始まりを詠っているということになりますと、いったい人麻呂は何を、あるいは誰を恋しく思っていたのかということになります。 それゆえに、その歌を帰路の歌と解釈しているのかもしれません。 しかし、前後の歌を検証しますと、その1首だけが帰路の歌ということはあり得ません。 また、紀伊半島を島と詠んだといった『みなし解釈』でもっても疑問は解決いたしません。 では、人麻呂は、どういった思いで『恋来れば』と詠んだのでしょう。 人麻呂は、『天離 夷之長道従』、つまり長旅に出立し、『戀来者』、恋しく思いながら明石海峡までやって来たと詠っています。ということは、その旅をしながら常に『恋しく』思っていたということになります。他の歌もその時の情景を詠んではいますが、その心は、『戀来者』に通じている訳です。 人麻呂は、そんな『ウキウキ、ワクワク』といった旅の始まりを詠っていたのです。 すると、その思いは、あるいはその旅の動機をなしているとも考えられます。 一応表向きには、今風に言えば、何らかの『出張』、あるいは『視察』といったことだったのかもしれませんが、人麻呂の本当の目的は、その『戀来者』に秘められているということになります。つまり、『柿本朝臣人麻呂覊旅歌八首』とは、人麻呂の人生にとって大きな意味を持ち、決して忘れることのできない大切な思い出の歌だったのでしょう。 しかし、当時にあっては、そう簡単に長旅になど出れたとも思えません。一人ではなく付き人も必要だったとも考えられます。仕事をはじめ各種いろいろな問題が生じます。旅の期間中には、今とは比較にならないほどの危険もあったことでしょう。 しかし、それらを、乗り超えるほどの衝動が人麻呂にはあったと考えられます。 では、それほどまでに、人麻呂を動かした動機とは何だったのでしょう。 あるいは、人麻呂はそれを歌に残しているかもしれません。 探してみることにしましょう。 |
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邪馬台国発見
ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」
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