万葉集に秘められた真実!
柿本人麻呂、『愛』を詠う  5

人麻呂は家島をめざしていた

天離る 鄙の長道を 恋ひ来れば 明石の門より 家のあたり見ゆ (15-3608)

 人麻呂は、長旅に出たのですから、他にも何か歌を詠んでいるのではないかと探していますと、第255首と同じような歌がありました。第15巻第3608首ですが、やはり明石海峡のあたりまで恋ひ来ていますが、ここでは家のあたりが見えたと解釈されています。つまり、紀伊半島が見えたという意味なのでしょうか。確かに、紀伊半島は見えますが、家の辺りまで見えることはありません。おそらく、この歌もあったことで、第255首も『倭嶋』は、人麻呂の家がある紀伊半島を詠んでいるとされたのかもしれません。
 しかし、『家のあたり見ゆ』とは、かなり近距離を詠っているように読めます。
 ここでも、見えてもいない家を見えているように描いていると『みなし解釈』がされているようですが、人麻呂は、『ほら、あそこに見える』といったような、かなり場所を特定した表現に思えます。
 では、この歌の原文を見てみましょう。

安麻射可流 比奈乃奈我道乎 孤悲久礼婆 安可思能門欲里
伊敝乃安多里見由

 
天離る 鄙の長道を 恋ひ来れば 明石の門より 家のあたり見ゆ
 
 第15巻になりますと、表音文字となっていて、1字1音で表されています。
 しかし、『恋』とは『孤悲』、つまり孤独で悲しいものだといった想いが込められているようです。
 第255首と関連の歌には間違いないでしょうが、ここでは、『家のあたり見ゆ』、『伊敝乃安多里見由』となっています。
 この歌で記されている『伊敝』が、解釈のように『家』、つまり紀伊半島を意味しているのかどうかが重要なポイントになってきます。
 そこで、『伊敝』という表現をしている歌が無いか調べてみました。
 
家島は 名にこそありけれ 海原を 我が恋ひ来つる 妹もあらなくに(15-3718)

伊敝之麻波 奈尓許曽安里家礼 宇奈波良乎 安我古非伎都流 伊毛母安良奈久尓

 この歌では、『伊敝』は、確かに『家』を意味していましたが、それは、明石海峡から西に見える『家島』のことでした。それは、この歌の題詞にも『家島』で詠ったと記されていました。
 『柿本朝臣人麻呂覊旅歌八首』の第254首では、明石の大門に夕日が沈むところを眺めながら、今来た方向を振り返るともう家のあたりは見えないと詠っていましたが、その家は原文でも『家』となっています。
 ここで記されている『伊敝』は、我が家という意味での家ではなく、『家島』の家でした。
 その『家島』で5首が詠われています。
 つまり、この『家島』は、人麻呂がその日の旅を終えて逗留した場所だったということなのでしょう。 家島諸島には大小数々の島があり、その中の『家島』には、今も家島港という港や宮という地名もあります。その辺りは、ちょうど入り江になっており、おそらくそこが人麻呂が停泊する港とした場所だったのではないかと思われます。
 ですから、人麻呂は、明石海峡で『家島』が見えたので、ようやく今夜泊まる所までやって来たぞという安堵感とも言えるほっとした思いを歌にしたというのが真相のようです。
 その日、人麻呂は、『家島』を目指していたのです。
 最初は、歌の流れから明石海峡のあたりで停泊したのかと思っていました。ところが、あのあたりは潮の流れが急で、人の歩くスピードより早く流れています。ちょっと接岸するのは余りに危険かもしれませんし、港に使えそうな場所もありません。
 ですから、『家島』は、当時の海路における宿泊地点だったのでしょう。それゆえに、島の名前に『家』と付けられたのかのしれません。
 さて、人麻呂は、この第3718首でも、『我が恋ひ来つる』と、その恋しい思いをしたためていますが、 『家島』での5首では、他にもその恋心を詠っています。

我妹子を 行きて早見む 淡路島 雲居に見えぬ 家つくらしも (15-3720)

 和伎毛故乎 由伎弖波也美武 安波治之麻 久毛為尓見延奴 伊敝都久良之母
 
 この歌には、『家島』に着くようだが、一刻も早く我妹子に会いたいと人麻呂の並々ならぬ思いが詠われています。人麻呂にとっては、この旅の目的はほとんどその我妹子に会うことだと言っているようです。
 しかし、人麻呂は、大変重要な役割を担った旅だったのです。 

        

                       


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