この列島で、今に生きる私たちの民族的ルーツは、極めて混沌とした神話の世界でしか残されていません。それも、天照大神やスサノオ尊など天皇や大国主命などに関わる話としてであって、一般庶民のルーツについてはほとんど分かりません。むしろ、記紀認識でそういった民族的ルーツは、消されています。 よく、「民族の誇り」といったことが話されることがありますが、私たちにはその「民族の誇り」どころか、民族のルーツに関わる歴史そのものが消されており、「民族の誇り」なるものを持つことすら奪われてしまいました。 663年11月18日、出雲にあったこの列島の都「やまと」は、唐王朝によって占領・征服され、その後、唐王朝の勢力の象徴である「天皇」が、この列島を有史以来支配していたかのような「皇国史観」が、この列島の歴史だとされてしまいました。 ですから、出雲の勢力を始め、百余国あったという数多くの勢力の存在も抹殺されてしまいました。 あるいは、その国々には、それぞれの民族の伝説が残されていたのかもしれません。しかし、そういった歴史も、ことごとく消し去られてしまいました。そして、記紀認識にもとづき、この列島の多民族性も消されて、単一民族とされる歴史が捏造されました。 では、実際のところは、どうだったのでしょう。地形的には、この列島が大陸とつながっていたとされる4000万年くらい前にあっては、人類はまだ誕生していませんし、人類が誕生した頃には、すでに大陸とは離れていたとされてもいます。ですから、この列島からは人類は誕生しておりません。 氷河期の時代には、氷結したことで大陸とつながっていて、その頃には、大陸から人類がやってきているとも言われています。また、この列島からは、2万年くらい前と推定される人骨が見つかっており、その頃からは人類が存在していたと見られています。大陸とこの列島との関連で、民族の移動と言われるほどの渡来が確認できるのは、紀元前7世紀ほどまで遡ることができますが、それ以前は遺跡から推測するしかありません。 この列島のことが、大陸の文献で始めて登場するのは、「漢書」です。 樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云。 そこには、「楽浪の海中に倭人あり。分かれて百餘国をなし、歳時をもって来たり獻見すと云う。」と記されています。紀元1世紀頃に完成した漢書では、この列島には百余国の国があり、時々朝貢に訪れていたとあります。それよりも古い直接この列島のことを記した記述はありません。 従いまして、他の記述やこの列島に残されているものなどから、私たちの祖先を検証してみることにしましょう |
邪馬台国発見
ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」
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