1万年前から2万年前、この列島には、すでに人類が生存していたと、人骨が発見された遺跡から推定されています。しかし、その当時は、ほとんど平野もないような山ばかりの島だったようです。 では、当時、この列島にやって来る要因としては、どんなことがあるのでしょう。 特に何も問題もなく大陸で生活ができていれば、ことさら渡航という危険を犯してまで、この列島にやって来るといったことは、考えにくいものがあります。何か、相当な理由がなければ、大陸を離れてこんな孤島へ来ようなどとは考えないでしょう。それに、このエリアに島があるという認識をいかほどの人が持っていたかどうかも分かりません。 ですから、よほどの要因がなければ、渡航には至らなかったことでしょう。 一番の大きな要因としては、大陸に住めないような切羽詰った事情があったということでしょうか。戦乱を逃れて、逃避行としてこの列島にやってくるということが、その一番大きな要因として考えられます。 あるいは、食料事情などで、少しでも温暖な地域をめざして南下してきたといったことも考えられます。しかし、大陸でも、南はかなり温暖ですし、揚子江流域などは、豊富な農作物が栽培されていたようですから、ことさら、海を渡る必要があったとも思われません。 むしろ、ほとんど山で平野部の少ない列島ですから、農耕という意味では、あまり適した環境ではなかったとも言えます。放牧といったことも考えにくい地形ですし、生活環境からしますとあまり豊かではなかったのかもしれません。 そうなりますと、規模の大きな民族的渡来は、何らかの渡航せざるを得ない要因が、そこにはあったというのが、その前提として考えられるところです。 あるいは、小規模な渡来も数多くあったということも考えられますが、それは歴史に残されることはなかったでしょう。 大陸における戦乱で敗北し、その周辺にいると抹殺されるか、奴隷にされるとなると、その追っ手がやって来ないであろう、この列島にまでたどり着くというのが、民族的移動というほどの大規模な渡来の場合の最大の要因ではないかと思われます。 そういった人々が住み分けることで、この列島に百余国という集団が構成されていったのかもしれません。それが、廃藩置県以前の、各地にあった「国」の基を為しているとも言えます。 ですから、大陸における民族の興亡や抗争が、この列島にも大きな影響を与えていますし、大陸の歴史を抜きに、この列島の歴史を検証することはできません。 |
邪馬台国発見
ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」
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