=歴史探訪フィクション=
日曜日とあって、研究所の展示室や資料室は、閲覧者で賑わっていた。
恵美は、早速パソコンを開いて、万葉集のサイトを立ち上げた。
「吉野も出雲大社周辺にあったなんて、本当に驚きだよ」
「さっき、北島家でいただいたパンフレットに、吉野川の別の表記があったでしょう」
「能に野と書く能野川(よしのがわ)だろう。おそらく、この出雲でしか、そんな表記はしないだろう。能をよしと読むような能野川なんか見たことないよ」
「原文で『能野川』という表記をしている歌がないか検索してみるね。今まで見た中では、万葉集の原文でも普通に吉野川となっているわ。あと芳という文字を使っている歌もいくつかあったかしら」
「そんなに都合良くあるかなあ」
「あっ、あったわ」
「ええっ、本当に!」
「一首だけあるわ」
「驚いたなあ。あったんだ」
祐介も、画面に出ている歌に見入った。
吉野川 巌(いは)と栢(かしは)と 常磐(ときは)なす
我れは通はむ 万代までに(7-1134)
能野川 石迹柏等 時齒成
吾者通 万世左右二
「確かに『能野川』とあるよ」
「万葉集に一首だけしかない能野川という表記を、北島家では千数百年以上も経た今に至るまで伝え残してきたのね」
「それを考えると、出雲の歴史は本当にすごいよ」
「その出雲を象徴するような歌があるのよ。こっちの歌も今までよく分からなかったんだけど、ようやく理解できたわ」
「どんな歌?」
祐介は、恵美が画面に出した歌を見た。
やすみしし 我が大君の きこしめす 天の下に 国はしも さはにあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱
太敷きませば ももしきの 大宮人は 舟並めて 朝川渡る 舟競ひ 夕川渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激る 瀧の宮処は 見れど飽かぬかも(1-36)
「長い歌だなあ」
「人麻呂の歌なんだけどね。大君や大宮人が出てきて、まるで王朝絵巻といったような歌なの。吉野の国とあるから、吉野離宮が奈良吉野の地にあったとも言われているのよ。この歌は、そこで詠われたとされているのね。でも、そんな王朝といったものが奈良吉野にあったとはちょっと考えにくかったの。そういった疑問がようやく解決できたのよ」
「持統天皇の吉野行幸と一緒だよな」
「そうなの。本当は、出雲大社の地にあった高層の神殿に大君がいたのよ」
「太い宮柱とあるよ。巨大神殿の柱だ」
「その場所は、吉野川と素鵞川の間にあるから清き河内にあったことになるわ。秋津の野辺とは、トンボのような形をしたあきづ島にあったということよね。滝も出てきているし、間違いなく出雲大社の地が詠まれているわ」
「でも、あの滝は人工の滝だったようだけど。当時もそうだったのかな」
「おそらく、造園の滝だったと思うわ。この列島の都で、国家的象徴の大君が君臨している場所よ。京都の金閣寺や銀閣寺、仁和寺とかに行くと、周辺の地形も利用して庭園にしているでしょう。同じように、当時、神殿を中心として、吉野一円は庭として整備され、吉野川や素鵞川も綺麗な清流にしてあったんでしょうね。そこに大きな滝が流れ落ちているのよ。それはすばらしい眺めだったと思うわ」
「ということは、その滝も、庭師といった人たちによって整備されていたのだろう。綺麗ですばらしい場所だから吉野と言っていたのかもしれない」
「人麻呂は、当時、そんな出雲王朝の栄華を詠い残しているのよ。つまり、第二首で判明したこの列島の都をね」
「これまた、すごいところに行き着いたんだ。ますます出版を目指さないと」
「ところが、そうなると新たな疑問が出てくるのよ」
「どんな?」
「出雲に王朝が存在していたとしたら、では、その王朝はどうなったの? わが国の歴史では、出雲に王朝が存在していただなんて伝えられていないわ」
「そうだよなあ。『幻の出雲王朝』だ。まるで『幻の邪馬台国』みたいだな。存在していたのかもしれないが、その実態はよく分からない。新たな謎だ」
祐介は、パソコンの画面から目を離し、部屋の奥の方に目をやると、加藤理事長と三上補佐が何やら相談している様子だった。
次の日曜日に予定されている『シンポジウム』についての打ち合わせでもしているのだろうか。その『シンポジウム』も事件で開催が心配されていたが、予定どおり行われることになった。
「私ね、その謎を解くカギを握っているのが、第二の事件で犯人が残した人麻呂の歌のように思えるの」
「『東の』で始まる歌が?」
「おそらくその犯人も、万葉集の歌に描かれている本当の姿に到達しているんじゃないかしら。今の私なんかよりも、もっと奥深くにまでね。その上でメッセージとして残しているように思えるのよ」
「簡単には、分かりそうもないよなあ」
「その歌の意味を解明できれば、犯人の思惑も見えてくるはずよ」
「歌の意味って?」
恵美は、人麻呂の歌を画面に出した。
「この原文を見て」
祐介が見ると、比較的分かりやすい文字が使われていた。
東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡
「この歌の先ず最初のポイントは、東の野に『炎』が見えたというところにあるのね。現在、この『炎』を『かぎろひ』と読ませているの。では、その『かぎろひ』とは、何なのかということになるでしょう」
「何だろう。かげろうのようなものだろうか」
「いろいろ研究はされているようよ。私もそれについて調べてみたのよ。ところが、その前提となる『かぎろひ』という読み方に問題があったの」
「『かぎろひ』が?」
「万葉集の原本は見つかっていないけど、写本はいくつかあるの。その中に、『炎』の文字の横に、『けぶり』という読み方を記しているものがあったのね」
「『けぶり』?」
「つまり、火が燃えていて煙も出ていたといったような解釈をしているのね。それでやっと分かったのよ。今まで見てきた解釈と一緒よ。本来は、『かぎろひ』だなんて意味させていなかったということにね。どうも、江戸時代、賀茂真淵が『かぎろひ』と読ませたみたいね。だから、作者である人麻呂は、おそらく、東の野に燃え上がる炎を目にしていたのよ」
「人麻呂は、『かぎろひ』なんて見ていなかったのか」
「人麻呂が、出雲王朝の栄華を詠い残しているということは、当然出雲にいたことになるよね。そして、人麻呂は、出雲の地で東の野に炎が立つ所を見ているのよ。それは、どういったシチュエーションだと思う?」
「決して穏やかな話だとは思えないよ。夜中に炎が立ち昇るということは、尋常なことではないだろう。きっと何かの建物が燃えているということだよ」
「それも、ちょっとした火事を歌にしてまで残すことはないわ。おそらく、あちこちで火の手が上がるような大きな出来事があったのよ。相当な重大事件だと考えられるわ」
「それだけの、重大事件となると・・・」
「出雲王朝の炎上!」
「何か反乱でも起きたのだろうか」
「どうなんでしょう。どちらにしても、その日、出雲王朝には存亡の危機が訪れたと考えられるの。それが、『返り見すれば 月かたぶきぬ』に表されているのよ。つまり、反撃もむなしく出雲王朝が焼き討ちされるところを見て、西に傾く月にその出雲王朝も終わりだといった思いを重ねて描いたんじゃないかしら」
「そうなると、詠われていたのは、出雲王朝が滅ぼされる瞬間だよ」
「それを、人麻呂は目の当たりにしていたのね。それだけの情景を見わたせる場所となると、それはおそらく高層神殿でしょう。西は海だから、野は東になるわ」
「なるほど」
「南に高く見えていた月が西へ傾いたというところに、その悲哀さが感じられるわね。恐怖と失望の中でその月を見ていたのかもしれないわ。でも、どんな月を見ていたんでしょうね」
「それは、上弦の月だよ」
「上弦の月?」
日暮れと共に南に見えて、夜半に西に傾く月は、上弦の月である。満月だと日暮れの頃に昇ってきて、夜半に南中して、西に傾くのは明け方近くにまでなる。下弦の月だと夜明けごろに南中するから、西に傾く頃は明るくて見えない。三日月だと、明け方か夕方に地平線近くでしか見ることができない。
「その歌の条件だと、上弦の月の前後だということになるんだ」
「なるほどね」
「旧暦だと、九日頃のはずだよ」
「九日なの!?」
「旧暦は、月の運行で暦が作られているから、新月が1日で、満月が15日だろう。1日前後することもあるから、上弦の月といえば、8日か9日なんだよ。それが月の満ち欠けで作られている太陰暦だよ」
「ありがとう。佐田君に来てもらって正解だったわ。これで、また一つ疑問が解決したわ」
「どんな疑問が?」
恵美は、その人麻呂の歌と出雲で毎年行われている『神在祭』は、何か関連性があるのではないかと思っていたが、確証がなかった。それが、今、祐介から聞いた月の満ち欠けと、太陰暦との関係から、その関連性が明確となった。つまり、先ほどの人麻呂の歌から、出雲王朝の滅亡とも言えるほどの事態が、この出雲の地で起きていたことが見えてきたのだ。その痕跡が、『神在祭』だった、と恵美は確信した。
「『神在祭』とは、出雲王朝が滅ぼされた時に、抹殺された人たちを奉る祭祀だったのよ。『神在祭』の前日にある『神迎祭』は、10月10日の夜だから、上弦の月の翌日、あるいは翌々日よね」
「なるほど、人麻呂の見ていた月だ。出雲王朝は、10月10日に滅ぼされ、人麻呂はその惨劇を歌に残したということなのか」
「そう考えると、いろいろ分からなかったことが見えてくるの。例えば、荒神谷遺跡で発見された銅剣や銅鐸は、奪われたり廃棄されたりしないように、密かに埋められたと考えられないかしら」
「なるほどなあ。何かが分かると、それに関連してまた何かが見えてくるというわけだ」
「少しずつ、犯人の考えていることが見えてこない?」
「どんな?」
「犯人のメッセージにあった『人麻呂の怨』よ。人麻呂が、出雲王朝に関わる人物だとしたら、当然、滅ぼされたことに対する怨みを持つと考えられるでしょう」
「そうか。でも、たとえ人麻呂ゆかりの人が居たとしても、今時、その人麻呂の怨みを代わって晴らそうなんて考えるかなあ。そうなると、あの森山氏は出雲王朝を滅ぼした勢力の末裔だということになるよ。そんなことあり得ないと思うけど」
恵美には、少しずつ事件と万葉集との関連が見えてきたように思えた。人麻呂が、出雲王朝の滅亡に怨みを持つとすれば、犯人は、それに何かを関連させていることになる。そうなると、出雲王朝がどういった勢力に滅ぼされたのかということが、次には問題となってくる。それが分かれば、かなり、犯人の思惑も見えてくる。
「でも、出雲王朝を滅ぼしたのが、どういった勢力だったのかが分かれば、次のターゲットが見えてくるってことよね」
「そうかもしれない。いつ犯人が、次の犯行に走るか分からないから、早くした方がいいかもしれないよ」
「もし、私が次のターゲットだと分かったらどうしよう」
「その時は僕が守ってあげるよ」
「本当に? 大丈夫かしら」
「まかせてよ」
「まあ、その時はよろしく。でも、本当に、急がないといけないわね」
「そうだよ」
「どうしたら、そんなことが分かるかしら」
「出雲王朝が何者かに滅ぼされているということになると、何か出雲大社に残されているんじゃないかなあ」
「そうよね。また、大社にでも・・・、あっ」
その時、恵美は、先ほど行った出雲大社を思い浮かべていた。
「どうしたの?」
「・・・まさか」
「まさかって、何が?」
「さっきの神紋」
「神紋がどうしたの?」
「神紋は、その神社の象徴よ。出雲大社の神紋は『有』という文字で、10月をも意味したでしょう。それは、すなわち、10月が最も重要な月だってことよ」
「そうなるよな。えっ、そうか、10月10日に滅ぼされているということを伝え残しているんだ」
「そして、出雲国造家の神紋は剣花菱、あるいは剣花角だったわ。それは、四花弁の花の中に剣が組み込まれているのよ。つまり、剣によって出雲が滅ぼされたことを意味しているのかもしれないわ。神紋に密かに歴史が残されていたのよ」
「じゃあ、その四花弁は、出雲王朝を滅ぼした勢力だということ?」
「そうなるわね」
「では、どういった勢力を意味しているんだろう」
「その四花弁はね。別名、唐花と言われているの。中国の唐よ」
「唐だって?」
「そうよ」
「じゃあ、出雲王朝は、唐王朝に滅ぼされたってこと?」
「そうなるかも。どうしよう、私、本当に怖くなってきた」
恵美は、出雲王朝を滅亡に至らせ、歴史の暗闇の奥深くに潜んでいる勢力を垣間見た思いがした。
「まだ、そうかどうか分からないじゃない。とにかく、その唐の歴史を調べてみようよ」
「そうよね。まず、調べることよね。分かった、そうする。人麻呂のためにもどんな勢力が滅ぼしたのかはっきりさせないとね」
「そうだよ。僕も調べてみるよ」
恵美は、人麻呂の人生に訪れた余りに辛い悲劇に、思いを馳せていた。
・・・本当に、どんな勢力が出雲王朝を滅ぼしたのかしら
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