古事記に残された大陸回帰の指令

2、天照に武則天を描く

 李氏唐王朝のこの列島に対する認識は、梁書や北史・南史に描かれていました。それは、唐王朝によって征服され、その後も支配されている今のわが国の歴史認識でもあります。
 その北史・南史は、李延壽によって記されていますが、この列島に関する記述は、北史では隋書を、南史では宋書が使われていました。それも、参考にしているといった程度ではなく、まったくそのままの文章を部分的にパクリのごとく使っています。そして、自らの思惑に沿って、都合よく付け加え、あるいはカットし、さらに書き換えるといった改竄を行っていました。
 この改竄の証拠こそが、わが国の矛盾だらけの『歴史認識』を解明するカギとなりました。
 わが国の成り立ちを記したとされる古事記・日本書紀の原本は今に残されていません。おそらく、当初は、時代背景とその内容から考えますと、663年に出雲王朝が滅ぼされ、その出雲王朝に伝わる歴史がそれらに残されていたのでしょう。それを、唐王朝・藤原氏は、自らの支配に都合よく改竄し、それが今に残されているという経緯が見えてきました。
 日本書紀には、本来、系図もあったようですが、それは写本すら残されていません。
 唐王朝が崩壊し、この列島にその王朝貴族が流れ着いて、改竄の手法を受け継ぐ人たちによって、この列島の歴史も北史・南史のように、彼らにとって都合よく作り変えられたということがうかがえます。
 そこで作り上げられた『新しい歴史』が、『新唐書』に反映しているとみられます。 
 その改竄された『新しい歴史』の中心を為す古事記の中で、最強の神は『天照』です。そして、『天照』の弟は『スサノオ尊』となっています。
 中国の史書『魏書』には、女王『卑彌呼』を共立し、『有男弟佐治國』と、弟が補佐して国を治めているとありました。隋書にも使者の言葉として『天を以って兄と為し、日を以って弟と為す』とありました。それは、どちらも国家的象徴と実質的支配者という関係をそこで述べていました。つまり、肉親的な意味ではなく、国家の統治機構における力関係を意味するものでした。言ってみれば『兄貴分・弟分』といったことでしょうか。
 これらのことは、出雲王朝の成り立ちを伝えるものでした。
 新興勢力の出雲は、この列島の先住民族の象徴である『卑弥呼』を国家的象徴として奉り、征服者であるにもかかわらず、自らをその国家的象徴の下で実質的支配者としてこの列島を統治したということを言い伝えているのでしょう。
 これらのことが、中国の史書や古事記・日本書紀の原本には残されていたと考えられます。万葉集には、『日皇子(ひのみこ)』といった表現が出てきますが、それが史書では、卑下されて『卑弥呼』と記されたとみられます。
 そして、その唐王朝の勢力によって、この列島の成り立ちの歴史も、彼らの思惑に沿って改竄されたのでしょう。
 国家的象徴としての『天』と実質的支配者『日』という関係が、古事記では、『天照』と『スサノオ尊』にあたるのですが、本来最強の神であるはずの『スサノオ尊』は、まるで妖怪のごとく忌まわしい姿に描かれていて、その上『高天原』で大暴れします。
 つまり、征服された民族の象徴は、征服した民族によって貶められるということです。
 こうして、出雲王朝の最強の神は、唐王朝・藤原氏の神を意味する『天照』の下に置かれてしまいました。
 その『天照』は、古事記の中では、勇猛な姿に描かれています。スサノオ尊が天照のいる高天原へ近づくと、天照はスサノオ尊が国を奪いに来たと思い、武装して『何ゆえに来たる』と言ってスサノオ尊を迎え撃とうとします。ここでは、出雲の勢力には決して油断することなく万全の構えをせよということが述べられているとも言えます。
 そして、その天照は、自分の子どもにスサノオ尊の世界を支配させたいという意思を表明します。その時期は、スサノオ尊からすでに大国主命に国の統治が移っていました。これは、まさしく663年、武則天の命により、この列島の出雲王朝『大国』が征服されたことを伝えているようです。
 天照は、まず一人二人と出雲の平定に向かわせるのですが、大国主命に取り込まれてうまくいきません。そこで、武甕槌神(たけみかづちのかみ)にお供を付けて中つ国、出雲国の平定に向かわせます。その武甕槌神が降ったのが出雲国伊耶佐の小浜、今で言う稲佐の浜です。武甕槌神は、浜に剣を突き立て、『天照大神は、自分の子どもにこの国を治めさせようと言われているがお前の気持ちはどうだ』と大国主命に迫ります。大国主命は、二人の子どもの神に相談するのですが、つまり家臣でしょうか、その二人とも武甕槌神に太刀打ちできず、結局、大国主命は国を『献上』すると言ったとされています。
 まずは、交渉をするのですが、所詮は侵略行為ですから『平和的』にそんなことができるはずもありません。結局、武甕槌神による実力行使で出雲が平定されたと描かれています。
 ここでは、李淵によって唐が建国された時と同様の手法で、この列島が征服されたことを描いています。まずは、武力で以って制圧し、その後に『禅譲』という形式でその侵略行為を正当化するというものです。ここでは、さらに『献上』されたとまで美化しています。
 『唐王朝による列島征服の軌跡』でも検証しましたが、武則天の忠実な家臣であった劉仁軌によってこの列島が征服されていたことが、古事記では『天照大神』の指示で武甕槌神により出雲が征服されたとあり、まさにその史実に相当しています。
 また、同時に、武甕槌神の働きがなければ、その後に続く神武天皇以下の天皇も成り立たないということにもなります。その武甕槌神を、藤原氏は、奈良春日大社の第一殿で奉っています。
 これらのことからも、『天照』は、武照、つまり武則天を意味し、その武則天の命によりこの列島が征服され、今にも続く天皇のルーツは武則天にあるということをも意味しているようです。
    


                       


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