古事記に残された大陸回帰の指令

4、『大陸を侵略せよ!』

 第十四代仲哀天皇の段で、仲哀天皇が、神のお告げを請い求めると、その神は『西の方に国があり、金銀をはじめとして、目もくらむような種々の珍しい宝物がたくさんその国にはある。私は今、その国を帰服させようと思う』と答えています。
 つまり、その神は、大陸を征服せよと天皇に指示を与えています。
 仲哀天皇は、西の方を見ても何も見えないので、『国土は見えず、ただ大きな海があるだけです』と答え、その神の言うことに不信を持ち、知らん顔をして琴を弾いていました。するとその神は、『およそこの天下は、お前の統治すべき国ではない』と怒ってしまいます。それでも、仲哀天皇は無視して琴を弾いていましたが、そのまま絶命してしまいます。まるで、神の言うことに従わない者は、たとえ天皇であっても許されないということを意味しているようです。
 そして、次にその皇后が、また神にお告げを請います。その神は、『この国は、皇后の胎内にいる御子が統治する国だ』と言い、さらにその御子は『男子である』とまで答えます。そこで、その皇后は『今こうして教えをさとす大神は、いずれの神であるのか、その名前を知りたいと思います』と聞きます。すると、『これは天照大神の御意思である』と答えたとあります。
 つまり、天照大神の意思は絶対だと言っています。
 これは、どういうことを意味しているのでしょう。
 天皇は、一般庶民に対しては絶対的な権力者であり、明治憲法下では、神聖にして侵すべからずと、強権でもってその支配力を行使していました。ところが、記紀にあっては、天皇よりも天照大神の方がさらに絶対的な支配力を持っていたということになります。天照大神の意思であるとすれば、天皇であっても従わざるを得ないということのようです。つまり、絶対的な権力者であったかと思われる天皇の背後には、さらに強力な支配者がいたことを意味します。
 すなわち、唐・藤原氏こそが、天皇の背後にあって実質的な支配者だったということになります。その『天照大神』は、同時に『武則天』をも意味しています。『私は今、その国を帰服させようと思う』といったような征服欲は、武則天の意思だともとれます。
 また、武甕槌命が稲佐浜で剣を突き立てて『天照大神は自分の子どもにこの国を治めさせようと言われているがお前の気持ちはどうだ』と『国譲り』を迫っていますが、この天照大神の意思も武則天の意思だとも言えます。
 つまり、この列島の藤原氏の勢力にしてみれば、天照大神、すなわち、武則天の意思は絶対だということを意味しているようです。そして、『本当に西方の国を求めようと思うならば、天神や地神などあらゆる神を奉り、様々の捧げ物を大海に散らし浮かべながら渡って行くが良い』と、天照大神の大号令が発せられます。それに従い、皇后が海を渡っていくと、船は波のまにまに進み、追い風も盛んに吹き、波に乗って船は一気に新羅国の半ばにまで達したとあります。
 このように、天照大神により大陸侵略への指令が出され、皇后はそれに従って侵略に向かっています。
 この神功皇后も、皇后武則天とだぶります。武則天自身、朝鮮半島を征服していますし、武則天が帝位に就いていた時、六九七年には『神功』という年号を付けています。
 また、ここでは、大陸侵略に消極的な天皇は消されるかもしれないという、藤原氏からの『脅し』とも言えるほどの強烈な大陸侵略へのメッセージが残されています。恐ろしい事に、現実の歴史上にあっても、秀吉の時代、あるいは明治以後第二次大戦中まで、実際に大陸を侵略しています。
 その背景に、この記紀で述べているようなことがあるとしたら、かなり危険なことです。というのは、天照大神の大陸を征服したいという意思、あるいは仲哀天皇や皇后に大陸を侵略せよと出した指令が、その後撤回されたような話は出てきません。
 その意思や指令が、藤原氏の大陸回帰への宿願を意味しているとしたら、大唐帝国再興という、彼等の大陸侵略への策動は、天皇制が続く限り途絶えることはないということにもなります。
 また、その『天照大神』は、全国の神社の頂点に立つ伊勢神宮で奉られています。
 つまり、『天照大神』は、わが国の最強の神と位置づけられています。
 それは、同時に、『武則天』こそが、この列島の皇祖神だということをも意味しています。
 1960年代後半以降、現職総理大臣が毎年年始に参拝しています。
 庶民の『初詣』とは、訳が違います。政教分離を厳格に定める憲法と相容れないその行為が、はたして何を意味しているのでしょうか。
 そこにおいて、この国の最高権力者が、唐・藤原氏と大陸侵略への号令を発している天照大神、つまり『武則天』への忠誠を誓っているとしたら、この列島の将来にとって極めて危険な動きだと言わざるを得ません。 


                       


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