古事記に残された大陸回帰の指令

5、『騙せ!』・・・謀略を基本

 武則天は、第3代皇帝李治との間にできたわが娘さえも、皇后の座を手に入れるためには、自ら娘の首を絞めて殺害しています。そして、それを王皇后の仕業だとしてその王皇后を失脚させ、尚且つ自らが皇后に就くやいなや、その王前皇后らを虐殺しています。その後も反対派を数百名も殺害するなど、徹底した独裁的手法を駆使しています。
 その武則天を皇祖神とする唐・藤原氏ですから、彼らの手法もそれに徹しています。
 倭建命が、天皇の命を受けて、天皇に服従しない熊曾建の兄弟を討ち取りに行くという話があります。つまり、唐王朝が、周辺諸国に『朝命』でもって従属させようとした視点と同じです。唐王朝に服従しない出雲王朝を征服したということの反映なのかもしれません。
 ところが、その倭建命は、熊曾建の兄弟が軍勢に囲まれていて中に入れないので、しばらくして祝宴の時、少女のように髪を結い、女装して紛れ込みます。その兄弟は、倭建命が女性だと思い、油断をして二人の間に座らせました。そして、宴もたけなわの頃、倭建命は、懐から剣を出して兄弟を刺し殺してしまいます。
 『正体を隠して隠密行動で仕留めよ』
 こういった隠密裏の謀略が、彼らの基本的手法だと述べているようです。
 まさしく武則天の手法と同様です。江戸時代にまであったと伝えられている忍者とかも、そういった理念から作られたのかもしれません。あるいは、装いを変えて、その後も残されていることも考えられます。最近でも公安警察や自衛隊などによって、秘密裏に情報を収集するといったことが行われています。
 さらに、倭建命は、出雲国へ行き出雲建の殺害を計画します。まずは、出雲建と親しくなり、その一方では、木で偽物の太刀を作ります。相手に敵意を持たせず、油断させろということのようです。そして、倭建命は、その偽物の太刀を身につけて、出雲建を河へ水浴びに誘い出します。そして、二人で水浴びをしていると、倭建命は河から先に上がって、出雲建の解いて置いてある太刀を身につけます。さらに、後で上がってきた出雲建に『太刀を交換しよう』と言って、出雲建に偽物の太刀を身に着けさせると、倭建命は、『さあ太刀を合わせよう』と言います。そこで、二人は太刀を抜こうとするのですが、出雲建の持っている太刀は偽物だから抜くことができません。倭建命は、すぐさま、持っている太刀で出雲建をうち殺してしまいます。
 もう、相手は手も足も出せない状態にして、圧倒的優位の状況で確実に討ち取ります。こういった卑劣極まりないやり方が、彼らにとっては最良の方法だと言っているようです。
 唐・藤原氏は、だまし討ちを基本戦術としており、それは後々にまで受け継がれているようです。   


                       


邪馬台国発見

ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」

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