万葉集に秘められた真実!
柿本人麻呂、『愛』を詠う  3

明石海峡で人麻呂が見た島とは?

 人麻呂は、瀬戸内海を西に向かって旅をしていました。そして、明石海峡にさしかかり、『島が見えた』とその情景を詠っています。通説にあっては、人麻呂が見た島は、明石から見える紀伊半島だという解釈がされていますが、その前後の歌を検証しますと人麻呂は、明石海峡から西を見ながら、『島』を見ていると考えられます。
 はたして、人麻呂は、明石海峡でどんな景色を見ていたのでしょう。
 そうなりますと、現地に行って確かめるしかありません。明石海峡大橋の近くに、ポルトバザールという数多くのショップやレストランなどの入った複合施設があります。そこからは、瀬戸内海が東西に渡って見渡せて、ちょうど人麻呂が第255首を詠った場所に相当します。東を見ますと、遠くに紀伊半島が見えますが、かなり大きくてやはり島だとは思えませんし、あまり歌に詠もうといった景色でもありません。島ではないと分かっている人麻呂が、その紀伊半島を見て島だと詠んだとはやはり考えにくいと思いました。
 さて、では西を向きますと、これこそが人麻呂の見た風景なのかと少々感慨深く見入ってしまいます。綺麗な瀬戸内海が海峡の向こうに広がって見えます。そして、しばらく見ていますと、ふと、遠くに小さな島影が目に入り、ちょっとした感動を覚えました。
 『あっ、島が見える』
 その島が見えた瞬間、そう口にしそうな景色です。
 それと同時に、『これが人麻呂の見た島だ!』と直感しました。その場所で見ますと、遠くにかすかに見えているので本当に『やっと見える』といった感じです。次に行った時には、天気が良くなかったの全く見えませんでした。いつでも見えるということではないようです。
 人麻呂がそこへ至った時は、夕日が見えていましたから、その島も綺麗にはっきりと見えたことでしょう。
 そして、『おお、島が見える』とその感動を歌にしたためたと思われます。その島は、現在『家島諸島』と呼ばれている中のひとつの島のようです。
 では、原文では、どう書かれているか見てみましょう。

 天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見
 
 原文では、『倭嶋』となっています。地名としての『倭』は、すべて『大和』と解釈されていますから、ここも『大和島』と解釈されています。
 人麻呂の8首の歌を検証しましても、現地明石に行きましても、まず紀伊半島を『島』と詠んだということはあり得ないというのが実感でした。そして、海峡から西の方角に小さく見えるその島こそが『倭嶋』と詠まれた島に間違いないと確信いたしました。やはり、人麻呂は『島』を見ていたのです。紀伊半島を『島』だと表現したといういう解釈は、一連の『みなし解釈』に過ぎなかったようです。
 ということで、第255首の疑問は解消したと思われたのですが、ところがそれによって新たに大きな疑問が発生してしまいました。          

                       


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