万葉集に秘められた真実!
柿本人麻呂、『愛』を詠う  6

人麻呂は、遣新羅使だった

 『家島』で歌が詠まれていたということも大きな驚きでしたが、それらの歌は、天平8年、遣新羅使が派遣された折に詠まれたとされています。そして、第15巻には旅の歌がずらりと並んでいますが、それはその時に詠まれたもののようです。
 つまり、人麻呂は、新羅へ向けて出航していたのです。その旅立ちの日の歌が、『柿本朝臣人麻呂覊旅歌八首』だったわけです。
 しかし、人麻呂が長旅に出た目的は、ほとんど彼女に会いに行くことのように思えますが、人麻呂はその使者だったようです。
 さらに、その旅の歌の後に、『中臣宅守(なかとみのやかもり)と狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)との贈答歌』といういわゆる遠距離恋愛といったやりとりの歌がかなりあるのですが、つまり中臣宅守とは人麻呂を意味し、そして狭野弟上娘子こそが、人麻呂が会いたくて恋焦がれているその人なのでしょう。
 では、その贈答歌の一部をご紹介いたしましょう。
 まずは、中臣宅守こと人麻呂の歌からです。
 
旅にして 妹に恋ふれば 霍公鳥(ほととぎす) 我が住む里に こよ鳴き渡る(15-3783)

我妹子が 形見の衣 なかりせば 何物もてか 命継がまし(15-3733)

天地の 神なきものに あらばこそ 我が思ふ妹に 逢はず死にせめ(15-3740)

遠くあれば 一日一夜も 思はずて あるらむものと 思ほしめすな(15-3736)

 旅にあっても彼女のことを恋焦がれ、別れの時に彼女からの形見として受け取った衣を大切にしていて、もしその衣が無かったら何を心の支えにして生きていけば良いのだろうかと詠っています。
 さらに、その彼女に会わずして死んでなるものかと、必ずや再会すると固い決意を述べてもいます。
 そして、遠く離れているからといって、1日も1夜も忘れることはないよと彼女へ詠いかけています。
 贈答歌ですから、その歌は手元に置いておくためのものではなく、相手へのメッセージです。
 ですから、彼女への思いをアッピールするために、表現がより激しくなっているのでしょうが、それを考えたとしても、人麻呂にとってはその彼女のことが最も大切な人だったということなのかもしれません。
 それに答えて詠った彼女の歌も見てみましょう。

逢はむ日の 形見にせよと たわや女の 思ひ乱れて 縫へる衣ぞ(15-3753)

このころは 君を思ふと すべもなき 恋のみしつつ 音のみしぞ泣く
(15-3768)

我が背子が 帰り来まさむ 時のため 命残さむ 忘れたまふな(15-3774)

君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも (15-3724)

 彼女は、別れの日が近づき、その悲しさで心が張り裂けそうになりながら、形見にして欲しくてその衣を縫ったのよと詠っています。
 そして、あなたのことを思うと、どうしようもなく恋しくなって泣いてしまいますと、そのつらい思いを詠ってもいます。
 さらに、私が生きているのは、あなたが帰り来た時のためなのよ、忘れないでねとも詠いかけています。
 人麻呂でなくても、このような熱いメッセージが贈られてきたら、もう会いたくてたまらなくなるでしょう。
 そんな彼女も、辛くて泣いてばかりじゃないわよと、あなたが行く道を折りたたんで焼いてしまう火が欲しいと、つまり、1日も早く来て欲しいと激しい心情も詠っています。
 これらの歌は、いくつかまとめてやり取りされていたのでしょう。人麻呂の使いの者がメッセージを持って往復するのですから、そうたびたび行けるものでもないでしょうし、その詠われた数からして、あるいはここに載せられていない歌もあるでしょうから、おそらく4・5年は離れて暮らしていたとも考えられます。
 そして、念願が叶って、人麻呂は、遣新羅使として旅に出ることになったので、その機会に彼女に会いに行ったのでしょう。
 しかし、今の時代であっても、遠く離れてしまうと、遠距離恋愛といったことは極めて困難な状況下に置かれます。それが、当時にあっては、もう会えるかどうか分からないし、会いにいけるかどうかも分かりません。そんな人麻呂とその彼女が、長い年月の間、歌のやり取りをしながら、必ずや再会をしようとするその固い決意には、並々ならぬものを感じます。むしろ、敬服さえしてします。
 しかし、その一方では、どうして二人は離れ離れになってしまったのかという疑問も出てきます。そんなにも愛し合っているのなら、どうして一緒にいることが出来なかったのでしょうか。そこには、いろいろと事情もあったことでしょう。あるいは、そういったことが分かるような歌が、万葉集に残されていることも考えられます。
 そんな辛い歌が、果たして残されているのでしょうか。
         

                       


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