万葉集に秘められた真実!
柿本人麻呂、『古』を偲ぶ  2

琵琶湖が海?

淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念

近江の海 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば 心もしのに 古(いにしへ)思ほゆ
 
 では、原文も見てみましょう。
 この歌のポイントは、『近江の海』、『千鳥』、『古(いにしへ)』にあります。
 まず、人麻呂が佇んだとされる『近江の海』、これが琵琶湖だとされているのですが、琵琶湖は確かに大きいけれど、淡水湖であって決して海ではありません。
 原文では、『淡海』となっています。
 淡水の海といった意味なのでしょうか。
 次に『千鳥』ですが、『千鳥』は、潟、干潟などにいますが、琵琶湖にそういった場所があったのでしょうか。
 当時の琵琶湖に千鳥がいたのかどうかは分かりませんが、生態系が大きく変わっていなければ今もいてもいいのですが、どうなのでしょう。
 そして、『古(いにしへ)』ですが、人麻呂が、そんなに心が痛むほどの歴史が琵琶湖にあったのでしょうか。
 これは、やはり現地に行かなければ、どうにも解決の糸口が見えてきません。
 第2首の時に奈良へ行きましたが、その折に琵琶湖へも立ち寄りました。
 まず、大津市の歴史博物館へ行き、琵琶湖の歴史を調べてみました。そうしますと、古代の頃に海とつながっていたようなこともなく、やはり淡水の湖でした。
 その名称も気になるところでしたので、古代の名称についても学芸員の方に尋ねることにしました。琵琶湖という名称は、中世の頃に付けられていて、古代においては『淡海』、つまり『おうみ』と呼ばれていたと言われていました。その根拠は、万葉集にある歌ということのようです。
 この人麻呂の歌も含めて、『淡海』が、『近江』である琵琶湖を意味していることから、そう呼ばれていたとのことです。
 つまり、万葉集の『淡海』の解釈が、地名も含めて重要なカギを握っているようです。
 その折に、近江大津宮についても聞いてみました。
 近江大津宮の発掘調査もその時には終わっていて、今は埋め戻されているということでした。
 ただ、その場所は、史跡として残されているということだったので、その現地も見ることにしました。それらの調査結果や琵琶湖の歴史なども『大津市史』に詳しく掲載されているとのことでしたので、その市史を購入して、近江大津宮跡地へと向かいました。
          

                       


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