11月初旬、一路奈良へと向かいました。天候も良く、半分現地調査、半分は観光といった気分でした。その頃、奈良国立博物館では、正倉院展が開催されていたのでそちらにも立ち寄り、学芸員の方からいくつか話を聞くこともできました。 そして、飛鳥の地へと向かいました。 当時、高松塚古墳が話題になっていたので、まずそこへ行きました。古墳そのものは、保存の作業がされており中には入れませんでしたが、そのそばにあった施設で発掘された時の状態が復元されていたので、そちらを拝見させていただき、その古墳内の壁面に描かれていた唐風の女性や星座等を見ることができました。 そして、高松塚古墳の駐車場のそばには、資料館がありましたからそこにも立ち寄りました。すると、その館内に入りましたら、何と、正面にあの万葉集第二首の歌が大きく表示されていて、その横には『畝傍山』の綺麗な映像も大きく展示されていました。やはり、第2首は、この飛鳥の地でもかなり大きな意味を持つ歌なのだということがうかがい知れました。 しかし、海は何処にあったのでしょう。 その歌や映像を眺めていると、その横に数名の観光客が見えられました。そして、同様にその映像や歌をご覧になっていましたが、そのうちの一人の方が、『香具山から海なんか見えないよなあ』と感想を述べておられました。すると、すかさず受付におられた女性職員の方が近寄って来られて、『この歌は、香具山の近くにあった埴安の池を海に見立てて詠まれた歌なのです』と説明されていました。 『へ〜、そうなんだ』 その観光客の一行は、それを聞いて納得されたのか次のコーナーへ移動されました。 現在の古代史学会においてもそのような解釈がされているようです。 はたして、それが真実なのでしょうか。池を海だと思って詠んだ歌があの第2首だとされています。海も鴎も煙も嶋もみんな見えてもいないのに想像で歌にしたというのでしょうか。その大王は、少々気を病んでおられたのかと心配してしまいます。 では、奈良香具山に登ったということだけは本当のことなのでしょうか。想像の作品ならば、山になど登る必要はありません。 そうなりますと、その歌そのものの意味が何なのかといったことにもなります。そんな空想の歌が後世にまで詠い継がれ万葉集に残されたとなります。本当に、そんなまやかしのような解釈でいいのでしょうか。私には、そんな解釈の方こそが想像であり妄想でしかないと思わざるを得ませんでした。 では、大和三山へと向かいましょう。 |
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邪馬台国発見
ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」
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