万葉集に秘められた真実!
柿本人麻呂、『古』を偲ぶ  7

人麻呂の古を偲ぶ歌

 人麻呂は、晩年、久しぶりに『やまと』の地に帰り来て、滅ぼされた都のあまりにも荒れ果てた様子を見て、嘆きの中でいくつかの歌を残していました。
 その中の一部をご紹介いたします。

天地の 初めの時 ひさかたの 天の河原に 八百万 千万神の 神集ひ 集ひいまして 神分り 分りし時に 天照らす 日女の命 天をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を 天地の 寄り合ひの極み 知らしめす 神の命と 天雲の 八重かき別きて 神下し いませまつりし 高照らす 日の皇子は 飛鳥の 清御原の宮に 神ながら 太敷きまして すめろきの 敷きます国と 天の原 岩戸を開き 神上り 上りいましぬ 我が大君 皇子の命の 天の下 知らしめしせば 春花の 貴くあらむと 望月の 満しけむと 天の下 食す国 四方の人の 大船の 思ひ頼みて 天つ水 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか つれもなき 真弓の岡に 宮柱 太敷きいまし みあらかを 高知りまして 朝言に 御言問はさぬ 日月の 数多くなりぬれ そこ故に 皇子の宮人 ゆくへ知らずも
(2-167)

ひさかたの 天見るごとく 仰ぎ見し 皇子の御門の
荒れまく惜
(を)しも(2-168)
 
 出雲の地にあったこの列島の都『やまと』の歴史を振り返り、その古(いにしへ)より栄えた姿を偲んでいます。
 そして、そこにいた大宮人たちは、今は何処へ行ってしまったのか、その消息すら分からないと嘆いてもいます。
 その反歌でも、久しぶりに見る御門(みかど)は荒れてしまい、口惜しい思いをしています。
 出雲の地に栄えた都『やまと』の荒廃した姿に、人麻呂はその悲しみを隠せなかったのでしょう。


ひさかたの 天の香具山 この夕(ゆふへ) 霞たなびく 春立つらしも (10-1812)
 人麻呂は、久しぶりに見る『天の香具山』、今の奉納山を眺めてもいたようです。
 はたして、その上にまで登ったのかどうかまでは、この歌からは分かりませんが、当時は相当な高齢に達していたと思われますから、おそらく下から眺めただけではないでしょうか。
 『ひさかたの 天の香具山』とありますから、あるいは、久しぶりに登ったという思いも込められているとも言えます。
 はたして、どうだったのでしょう。


やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 敷きいます 大殿の上に ひさかたの 天伝ひ来る 雪じもの 行き通ひつつ いや常世(とこよ)まで (3-261)

高照らす 我が日の皇子の いましせば 島の御門は 荒れずあらましを (2-173)
 
 人麻呂は、この列島の国家的象徴である『日の皇子』は、いつの世までも輝き続けるものだと、その栄華を後々の世にまで伝えようと詠っています。
 ところが、その都『やまと』は滅ぼされ、『日の皇子』も都から消されてしまいました。
 その『日の皇子』が、いつまでも高い所から、つまり超高層の神殿に君臨していたら、この島の御門は、荒れるようなことにはならなかったのにと、出雲王朝の滅亡を嘆いています。


高照らす 我が日の皇子の 万代(よろづよ)に 国知らさまし 嶋の宮はも(2-171)
 
 しかし、人麻呂は、その都であった『やまと』は滅ぼされてしまい今や荒れてしまっているが、高所に光り輝いていた『日の皇子』の歴史、すなわち『やまと』の国や、『あきづ島』にあった宮を万世、後々の世まで伝え残していかなければいけないと詠っています。
 これは、人麻呂のある一つの動機、あるいは決意といったものを述べているようです。この列島の都だった『やまと』、その栄華盛衰を後々にまで伝えていこうと、相当な決意を詠っています。それまでの歌からも伺えますが、この歌からは、特にそれを強く感じます。
 つまり、これこそが、『万葉集』編纂の動機だと考えられます。出雲王朝に伝わる歌の数々、そして、何よりも都だった『やまと』の姿を残そうとしたのではないでしょうか。
 そこには、人麻呂自身がその人生の中で体験したことや、この列島の各地の姿もちりばめられています。
 つまり、万葉集の編纂者の立場にあったのは、人麻呂自身ではなかったかと思われます。ですから、万葉集の基本的視点は、人麻呂の視点で貫かれているように感じます。
 そして、人麻呂が出雲の地に帰り来て、その荒れ果てた『やまと』の姿を見た直後に、『伝え残さなければいけない』という大きな衝動が、人麻呂の中に生まれたのではないでしょうか。
 その後、人麻呂は、出雲の地で万葉集の編纂の作業に取り掛かったのではないかと推察されます。万世(よろずよ)に伝え残そうと、万葉集を造りつつ、最後の最後まで、命のある限り、人麻呂は詠い続けたと考えられます。
            

                       


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