万葉集に秘められた真実!
柿本人麻呂、遂に墜つ  1

万葉集最終歌

(あらた)しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)(20-4516)

 新年を迎えたが、年の初めの初春の今日降る雪のように、ますます重なっていけ良い事よ。
 これが、万葉集第20巻第4516首、万葉集の最終歌です。天平宝字3年(759)1月1日に、大伴家持によって詠まれたとされています。新年にあたり、気分も新たになって、その日降り積もる雪のように、めでたい事が重なるようにと年賀の挨拶のような歌を詠んでいます。
 大伴家持は、天平宝字2年因幡国国守に赴任し、翌年の新年、国郡司等の宴でこの歌を詠んだと題詞に記されています。当時、大伴家持は、42歳だということです。また、万葉集は、その大伴家持が編纂に携わっていたとも言われています。
 しかし、そこに、私は判然としない違和感を覚えました。その年齢から受けるイメージとかなり異なる歌を詠んでいるからです。この歌からは、どこか人生を悟ったような、あるいは世の中を一歩引いて観ているような視点をそこに感じます。つまり、その詠み人は、もうやるべきことはすべてやり終えたといったような、達観したような境地にあるように思えるのです。40歳代になり、仕事においても人生においてもまだまだこれからだという家持の心情とはちょっと違うのではないかと感じました。
 それは、この歌からだけでなく、万葉集の最後の辺りの歌からも伺えます。
 
高圓(たかまと)の 野の上の宮は 荒れにけり 立たしし君の御代遠そけば (20−4506)

高圓の 峰の上の宮は 荒れぬとも 立たしし君の 御名忘れめや
(20−4507)

高圓の 野辺延
(は)ふ葛の 末つひに 千代に忘れむ 我が大君かも (20−4508)

延ふ葛の 絶えず偲はむ 大君の 見しし野辺には 標
(しめ)(ゆ)ふべしも (20−4509)

大君の 継ぎて見すらし 高圓の 野辺見るごとに 音のみし泣かゆ
(20−4510)


 これらの歌は、天平宝字2年2月に、家持も加わっての宴で詠まれた5首として紹介されています。どの歌も、上の宮に君臨していたであろう大君を偲ぶ歌となっています。
 どんな宴なんでしょう、ほとんど偲ぶ会といった集まりかのようです。
 これらの歌を万葉集編纂者としての家持が、本当に選んで載せたのだろうかと少々疑問に感じました。
 第4506首と第4509首は、家持の歌とされていますが、他の3首は、家持以外の詠み人による作品だとされています。しかし、ほとんど同一人物による歌とも思えます。
 ある人が詠ったものと同じような歌を別の人が詠うなどという、ほとんどパクリのような歌は詠えないでしょう。思いっきり馬鹿にされるか、真似をするなと叱責されそうです。
 大君のことを思い浮かべて野辺を見るごとに泣いてしまうとまで詠っています。そこまで古(いにしへ)を思う詠み人といえば、それは柿本人麻呂でしょう。
 私には、これらの歌は、人麻呂の視点で詠われているように思えます。
 ひさかたに『やまと』の地、出雲に帰り来て荒れ果てた『都』の姿を見て、出雲王朝の栄華盛衰を伝え残さなければいけないと決意して、『万葉集』の編纂に取り掛かった人麻呂の作品と考えるべきでしょう。
 古(いにしへ)を振り返り、その悲情な運命をたどった出雲王朝やその大王を涙ながらに詠えるのは人麻呂としか思えません。
           

                       


邪馬台国発見

ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」

国産ローヤルゼリー≪山陰ローヤルゼリーセンター≫

Copyright (C) 2008 みんなで古代史を考える会 All Rights Reserved.