オーシャン・ドリーム号の悲劇 船 ・・・20年目の夏
30.
 「出雲のことを知るためには、ここを外すわけにはいかないよ」
 次の日の朝、ホテルを出ると、福山は、大社の東隣にある古代出雲歴史博物館に、みんなを案内した。
 「これが、巨大神殿の柱なのね。さすがに大きいわね」
 先に入った佐伯が、正面に展示されている大社の本殿前から発掘された柱を見てその大きさに驚いていた。
 そして、展示室には、1984年に発掘された358本の銅剣も展示されていた。
 「これが、あの有名な銅剣なのね。すごいわね」
 恵理子も隣で興味深そうに見ている。
 その後に、1972年に発掘された『景初三年』という銘文の刻まれた三角縁神獣鏡も見た。
 さらに行くと、巨大神殿の模型が設置してあった。
 「こんな形をしていたのね」
 若木が、いくつか置いてある模型を見ている。
 「ほら、古絵図よ。昔の出雲大社周辺はこんなだったのね」
 佐伯が、展示してある資料集に目を通している。
 そこに福山が近づき、ある場所を指さした。
 「ここに神殿が描かれているだろう。その横に川が流れているけど、その川の名前をよく見てごらん」
 「あっ、『吉野川』ってあるわ」
 「そう。万葉集にも詠われているんだが、当時の都には吉野川が流れていたとあるんだよ。昨日も言ったけど、出雲に都『やまと』があったとなると、吉野川もなければならない。すると、ここにあるように、出雲大社の横に吉野川は流れていたんだ。つまり、万葉集に詠われている吉野川とは、この吉野川だったんだよ」
 「奈良の吉野川じゃなかったの」
 佐伯が驚いていた。
 「さらに、その吉野川には、滝が詠まれているんだが、奈良の吉野川には滝なんか有りはしない」
 「じゃあ、ここの吉野川には滝があるの?」
 「あるよ」
 「あるって、本当に?」
 「本当だよ」
 「今もあるの?」
 「ああ。今もあって、誰でも見ることができるよ」
 「じゃあ、行ってみましょう」
 「いいよ。実は、そこも予定していたんだ。では、みんなにもそう伝えてくるよ」
 近くで見ていたメンバーにも移動することを伝えて、博物館を出た。
 昨日は少々肌寒い曇り空だったが、今日は、良く晴れていた。
 そんな、うららかな朝日の射す中、大社の東側を歩いていると、側溝のような川があった。
 「これが、吉野川だ。ここが都だった時代は、この吉野川も庭の一つとして綺麗な造形美にあふれた川だったんだが、出雲が滅ぼされて以降、ただの川となってしまっている。万葉集に詠われている吉野川だという認識すら無いのだからどうしようもないよ」
 「残念ね。でも、吉野川という名称や川そのものが残っていたというのは驚きよ」
 佐伯が、寂しそうにその吉野川を見ている。
 そして、少し歩いて、出雲教とある門の前に出た。
 「ここが、出雲国造家の北島家だよ。大社を隔てて西側に同じく出雲国造家の千家がある」
 一行は、門を通り抜けて、すぐ左手にある庭の前に来た。
 「あっ、本当に滝があるわ」
 少し離れた山肌に滝が見えており、みんなは、その滝に近づいた。
 「趣があるというか、かなり古そうな歴史を感じさせる滝よね」
 みんなの見る前では、山肌の中腹から、滝壺に水が流れ落ちていた。
 「では、みんなに渡した資料をもう一度見てくれるかな。その中に『かはづ鳴く 吉野の川の 滝の上の 馬酔木(あしび)の花ぞ はしに置くなゆめ(10‐1868)』という歌があるだろう。万葉集には、美しい吉野川を詠んだ歌が数多く残されている。そして、そこにもあるように、吉野川には滝があり、滝の上には馬酔木の花が咲いているとも詠われている。ところが、奈良の吉野川には滝などないし、その滝が詠まれたとされている宮滝という場所では、川の上には何もなく、ただ空が広がっているだけだ」
 「確かに、この滝は、山肌から流れ落ちているから、その上には、樹木があるわ。この滝が、万葉集に詠われている吉野の滝なのかもしれないわね」
 「その下にある歌を見てごらん」
 福山が、示す歌をみんなが見た。

斧取りて 丹生の桧山の 木伐り来て 筏に作り 真楫貫き 礒漕ぎ廻つつ 島伝ひ 見れども飽かず み吉野の 瀧もとどろに 落つる白波 (13‐3232)

 「そこにも詠われているように、その吉野の滝は、磯を漕ぎながら、島伝いに見えていたとあるだろう。いくら、奈良の吉野川に滝があったとしても、海からは見えないよ。ここは、今は、本州と陸続きになっているが、当時は、まだ、磯が残されていたんだよ」
 「しかし、歴史の痕跡というものは、残されているのね。驚いたわ」
 「そうだよ。決して、すべてを消し去ることはできない。では、こちらに来てごらん」
 福山に言われ、みんなは、社務所に向かった。そして、福山は、そこに置いてあるパフレットを取って、みんなに回した。
 「ここに、大社周辺の地図が描かれているだろう。よく見ると、一つだけ変なところがある」
 「変な?」
 福山の横で、恵理子が、首を傾げながらそのパンフレットを広げている。
 「変なというか、おそらく、今まで見たことないと思うよ」
 「あっ、川の名前が違う」
 恵理子が、気づいて声をあげた。
 「そう、『能』と『野』と書いて、『よしの』と読むんだ。では、さっきの歌の下にある歌を見てごらん」
 みんなは、また資料に目をやった。

吉野川 巌(いは)と栢(かしは)と 常磐(ときは)なす 我れは通はむ 万代(よろづよ)までに (7‐1134)
 「ここでも、いついつまでも続く都や、その美しい吉野川を歌い残している。では、そこに原文も入れているからそれをよく見てごらん」
 みんなは、その資料にまた目を戻した。

能野川 石迹柏等 時齒成 吾者通 万世左右二

「あっ、吉野川が、このパンフレットと同じ『能』になっているわ」
 恵理子が、驚きの声を上げている。
 「万葉集に詠われている吉野川のほとんどが、原文で『吉』や『「芳』を使っているが、この一首だけに『能』が使われている。そして、その『能』という文字を使った『能野川』が、ここ北島家には伝え残されていたという訳だ。よくぞ、残してくれたと思うよ」
 「滝もね」

 「本当に、そうだよ。ここ出雲には、歴史的遺産が数多く残されていて、それらは、出雲に都があった痕跡でもあるんだが、そういう認識が消されているから、その意味を理解することもできなくされてしまっている」
 「悲しいことね」
 恵理子がつぶやくように言った。
 「では、次の遺跡に行ってみようか」
 一行は、タクシーに乗り、南の山地へ入り、荒神谷遺跡に着いた。
 そして、資料館を見て、銅剣の発掘された現場に移動した。
 二つの尾根の谷間の付け根のような場所で発見されており、その東側の斜面にレプリカと共に、その発掘時が再現されていた。
 「でも、なぜ、こんな場所に358本もの銅剣が埋められていたのかしら」
 「どうしてなんだろうね」
 佐伯と若木が、遺跡を眺めながら、不思議そうにしている。
 「358という数は、当時の神社の数だとも言われている。そして、当時、ここ出雲では、製鉄は行われていたが、製銅文化にはない。製銅と銅剣のエリアと言えば、九州だよ。このことには、我が国における最大のロマンと歓喜の歴史が残されているとも言えるんだよ。この国の人々は、二世紀頃、大陸からやってきた東胡という民族によってその隷属下に置かれていた。その圧政からこの国の人々を救ったのが、匈奴の流れにあるスサノオ尊に象徴される出雲の勢力だ。だから、全国津々浦々の神社でスサノオ尊が祀られた。その在来の勢力の象徴が宮崎・西都原にいた卑弥呼だよ。その卑弥呼は、およそ190年頃、出雲の地を表敬訪問し、その時に持参したのが358本の銅剣で、昨日のあの奉納山の上で、スサノオ尊とともに国見もした。その時に卑弥呼が詠んだ歌が、万葉集の第二首だ。この列島の人々が一番歓喜にあふれていた時代だろう。ところが、663年、その東胡の末裔である鮮卑族である唐王朝に再びこの列島は征服され、その植民地支配下に置かれてしまった。唐王朝に占領された時に、歴史的遺産である銅剣が奪われないようにと秘かに、ここに埋められたのだろう。後に、また戻った時に掘り起こそうと考えていたのかもしれないが、出雲王朝再興の機会は来なかった。そして、1300年以上を経て、道路建設による調査をきっかけで、再び陽の目を見ることができたということだ」
 「でも、その意味が分かる者は居なくなっていたということね」
 恵理子が横でつぶやくように言った。
 「さらに、この南で、昨日見た『景初三年』の銘文の入った銅鏡が発掘されている。つまり、出雲にこの列島を代表する王がいたことの証なんだが、証拠を証拠だと認識できなくされてしまっている。出雲の歴史を解明するには、唐王朝による征服が理解できなければ、その本当の意味は認識できない」
 「なかなか、難しいわね。今まで聞いたことないものね」
 「それは、本当に徹底されているよ。真実が明らかになると、今まで散々騙し収奪してきていることがバレてしまうから、必死にひた隠しにしているよ」
 「でも、誰もそんなこと知らないわ」
 「だからこそ、1300年にわたって騙され続けているんだよ。じゃあ、次に行こうか」
 一行は、そこから東に向い、東出雲の地に至った。
 「ここが、出雲国庁跡地と言われている場所だよ。つまり、出雲王朝の中枢、今で言う永田町のようなものだ」
 そこは、山から平野に出た辺りに位置していた。
 「何か、そういった事が分かるような痕跡は残されてないの?」
 佐伯が、福山に聞いた。
 「その一つは、この国庁跡の南にある山だ」
 「山が?」
 「そこの川を隔てた南にある山には、大草古墳群を始め数多くの古墳が残されている。その年代は、ちょうど、ここに出雲王朝の中枢があったと思われる時期に相当しているよ。そして、この国庁跡地からは、焼けた柱が発掘されていて、この近くにある風土記の丘資料館に展示されているよ。つまり、唐王朝に焼き討ちされた時の痕跡だと考えられる」
 「あの、人麻呂が詠んだ『炎』の時ね」
 「そうだね。では、出雲と言えば、スサノオ尊だ。その彼を祀る熊野大社に行ってみよう」
 一行は、そこから南に車で十分ほどの所にある熊野大社を訪れた。 
 出雲大社ほど大きくはないが、歴史の古さと威厳を感じさせる佇まいだった。
 「ここは、スサノオ尊が祀られていて、『日本火之出初之社(ひのもとひのでぞめのやしろ)』という別名も残されている。それが日本という国名のルーツにもなっているんだよ。今は『にほん』、あるいは『にっぽん』と読んでいるが、元は『ひのもと』だったんだ。ここ熊野大社は、我が国の聖地とも言える」
 「なるほどなあ。でも、紀伊半島にも熊野大社がいくつかあるよなあ」
 福山の横に居る黒岩が、社務所で買った冊子を見ながら話している。
 「熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社が熊野3山と呼ばれているが、出雲の勢力は、製鉄を基本産業としている。そのたたら製鉄にあっては、高炉で木を3日3晩燃やし続ける。だから、鉄1トン作るのに、木が60トンも必要となる。その膨大な木材の供給地が、温暖で多雨という絶好の環境にあった紀伊半島だ。その重要な地域ゆえに、スサノオ尊は、息子のニギハヤヒを派遣した。そのニギハヤヒが、父や祖先を守護神として祀ったものが熊野3山だとも言われている」
 「そういうことだったのか」
 「だから、近畿地方は、経済的に大きく発展している。阪南に巨大前方後円墳が築かれたのも、彼らが大きな勢力を誇っていた証だ。また、あれだけの造成工事をするとなると、鉄製の道具がなければできないだろう。したがって、経済的中心は近畿地方だったが、都、政治的中心は出雲にあった。言ってみれば、ニューヨークとワシントンのようなものかな」
 「なるほど」
 「では、日も傾いてきたから、宍道湖の夕日を見に行こうか」
 夕日を見る観光名所となっている宍道湖東岸に来ると、他にも、夕日を見ようと訪れている人の姿があった。よく写真で見かける嫁ヶ島は、本当に風情がある。その一番の撮影ポイントには、すでに三脚を設置している人たちもいた。
 一行も、その近くに腰掛けた。
 「でも、出雲に来て、福ちゃんが言うように、ここが古き時代の都だったというのも分かるような気がしたわね」
 福山の隣で、佐伯が湖面を眺めながら話している。
 その前を小鳥が餌を啄んだり、飛び交っている姿もあった。
 「では、また、あの資料を見ていただこうかな。そこの最後のあたりにある歌を見てくれ」
 みんなは、その資料を荷物から取り出して、見ていた。

近江の海 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば 心もしのに 古(いにしへ)思ほゆ (3-226

《淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念》

 「この歌は、通説にあっては、人麻呂が、琵琶湖の辺りで、壬申の乱で滅ぼされた近江大津宮を偲んで詠ったとされている。しかし、その近江大津の宮は焼かれたとされているのだが、今に残るその跡地とされている遺跡からは、柱が移築された痕跡が発見されているんだ」
 「移築?」
 佐伯が、不思議そうに聞いている。
 「そう。さらに、その歌の原文を見てごらん。近江は、原文では淡い海となっている。その『淡海』という表現が、琵琶湖を意味しているということで、琵琶湖周辺は近江と言われてきた」
 「そうなんじゃないの?」
 「琵琶湖は、あくまで湖であって、海じゃないよ。そして、一方、島根半島は、あの第二首が詠まれた頃は、まだ陸とは繋がっていなかったが、この歌が詠まれた頃は、もう繋がっていて今で言う宍道湖ができていたんだ。そうすると、斐伊川から流れ出る川の水で海水が薄まるだろう。だからその当時の人は、この宍道湖を『淡海』と呼んでいたんだよ。つまり、その『淡海』とは、海よりも塩分の薄まった宍道湖のことだったんだ」
 「そうなの?」
 佐伯は、まだ半信半疑だった。
 「では、その最後にある歌を見てごらん」
 佐伯は、手元の資料に目をやった。

鯨魚(いさな)取り 近江の海を 沖放けて 漕ぎ来る船 辺付きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂 いたくな撥(は)ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫(つま)の 思ふ鳥立つ(2-253』 
 「その近江の海では、鯨漁に出て行くという歌があるんだ。琵琶湖には、一度たりとも鯨が生息していたことはないよ。この宍道湖は、海にも繋がっているから、当時、鯨漁に出ていたわけだ」

 「日本海に、鯨がいるの?」
 佐伯が、不思議そうに聞いた。
 「南氷洋にいるような巨大な鯨はいないが、小型の鯨が、数十種類も生息しているそうだ」
 「日本海にも鯨がいるんだ」
 「最近でも、鯨を捕獲した話を聞くことがあるよ」
 「そうなの」
 「人麻呂は、晩年、この地に戻ってくるんだが、その折に、今の自分たちのように、夕日を眺めながら滅んだ出雲王朝を偲んで、さっきの歌を詠んでいるんだよ。人麻呂は、無残にも廃墟と化してしまった都『やまと』を伝え残そうと、万葉集を編纂している。その中には、過去出雲王朝に伝わる歌や、自らが詠った歌が残された。そして、最終歌を詠い残して亡くなり、万葉集も閉じられたんだ」
 「ふうん。なんかすごいドラマよね」
 「まあ、通説では、そんな解釈が話されることはないから、ほとんどの人は知る由もないけどね」
 「いろいろ、聞いたけど、またゆっくり勉強してみようかな」
 佐伯は、また、その資料に目をやっていた。
 その前を、数羽の千鳥が『チチッ、チチッ』と鳴きながら戯れていた。
 そして、水平線には雲がかかっていたが、わずかの間、その切れ目から覗いた夕日が輝いていた。
 しかし、そのかすかな光は、どことなく寂しさを漂わせていた。

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