大陸から渡来した4大民族

3)最初の渡来民族・・・戎(えびす)

要 因
 全国各地にある「えびす様」を祭神とする事代主系の神社3385社の総本社が、島根半島の東端にある「美保神社」です。また、同系列で蛭子系にある「西宮えびす神社」を総本社とする神社は、こちらも全国に約3500社ほどあります。合わせて、およそ全国に7000社ほど、「えびす様」を奉る神社があります。
 美保神社では、大国主命の子どもの神だとされる「事代主命」と、大国主命のお后である「三穂津姫命」が祭神とされています。その「えびす様」は、七福神としても良く知られていて、釣竿と鯛を持っています。ですから、漁業の神であり、また福の神として商業の神でもあります。
 これらのえびす系神社には、ひとつの特徴があります。
 それは、全国の多くの神社の神々が、旧暦の神無月には出雲へ集合することになっているのですが、えびす神社の神々は、出雲へは行きません。ですから、「留守神」と呼ばれてもいます。出雲系列の神社と別の系列を構成していて、「えびす講」といったお祭りが行なわれてもいます。しかし、多くのえびす神社には、スサノオ尊が奉られてもいますから、決して敵対関係にあったということではなさそうです。
 ただ、何か一線を画しているようなところがあります。協力関係にはあるが、まったく同一の系列にはないというように見受けられます。
 では、その違いは何を意味するのでしょうか。この疑問は、永らく解決できずにいました。それは、大陸に残されている歴史を検証する中で、ようやく理解することができました。同時に、わが国の一番の民族的ルーツにたどり着くこともできました。
 まず、その神社の名称としての「えびす」が何を意味するのかですが、漢字では、『戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須』といったように表記されています。その「えびす様」とされているのが「事代主命」ですが、この神は、記紀の「国譲り」の場面に登場しています。
 「天照大神」、つまり武則天の指令を受け、武甕槌(たけみかづち)が、出雲の伊耶佐の小浜、今で言う稲佐の浜で、剣を突き立てて、大国主命に「国譲り」を迫ります。大国主命は、子どもの神である「事代主命」と「建御名方命」に相談するのですが、この2人の神は武甕槌に全く太刀打ちできず、大国主命は、自らの支配する国を天照大神に「献上」したとされています。
 唐王朝が出雲を侵略したことを、唐王朝にとって都合よく、「献上」と描いています。
 この大国主命が、今で言う「総理大臣」という立場で、2人の神は、内務大臣と通産大臣といったところでしょうか。子どもの神とは、決して肉親関係を言っているのではなく、「親分・子分」といった権力関係を表現したものです。
 「事代主命」とは、いろいろな事を、大国の主、総理大臣に代わって処理をしていたということで、当時の出雲王朝を支える重要な勢力だったと考えられます。美保神社では、大国主命のお后である三穂津姫が祭神とされてもいます。つまり、「えびす」系の神社に奉られている「えびす様」を象徴とする勢力は、出雲の大国主命の勢力と共に国づくりをしている協力関係にあったということが言えます。
 その象徴である「えびす様」は、七福神の中でも、その代表格で、「えびす・だいこく・・・」とまず最初に位置しています。そして、それらの七福神は、船に乗っています。つまり、渡来の神であることも意味しています。そうなりますと、大陸から渡来したということになってきます。
 その「えびす様」を奉る神社の総本社が、島根半島の東端に位置する美保神社であるというのは、先に検証した朝鮮半島からの渡来ルートを経てやってきて、最初に上陸した場所を、伝え残しているのかもしれません。まず、その地に拠点を構え、そこから全国へ勢力を広げていったということでしょうか。
 ですから、「えびす様」の勢力は、大陸からこの列島に大きな福をもたらした、その最初で最大の福の神であるということを伝えているとも言えます。
 では、そういった「えびす様」に相当するような勢力が、大陸にいたのでしょうか。
 次は、大陸に残されている資料から、「えびす様」を探してみることにしましょう。

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邪馬台国発見

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