大陸から渡来した4大民族 馬

4)胡の民族・・・ルーツは中東

月氏・匈奴・東胡
 中央アジアには、古くから遊牧民族が暮らしていました。彼らは、テュルク系とかトルコ系民族と呼ばれていました。ですから、彼らの暮らす地域は、トルコ民族の地という意味で、今でも「トルキスタン」と言われています。
 彼らは、騎馬民族なので、馬の蹄鉄のために鉄は欠かすことができません。
 最近も、日本の研究者がその地を調査し、紀元前2000年以上も遡る製鉄の遺跡を発掘したことがニュースとなりました。
 彼らの一部は、東へ向かい、今で言うモンゴルから北東アジアエリアに到来していました。そこから南下し、在来の勢力と抗争になってもいましたが、さらに南下し、朝鮮半島を経由して、はるか遠い古代よりこの列島に到達していたとも考えられます。
 中国王朝は、彼らを「胡」と呼んでいました。その胡の民族は、多くの文化や食べ物を伝えました。胡瓜(きゅうり)・胡桃(くるみ)・胡麻(ごま)・胡椒(こしょう)といった食べ物や、胡弓(こきゅう)という音楽器、あるいは胡坐(あぐら)など今にもなじみのある多くの物を伝えています。
 さて、ある時、彼らの暮らす中央アジアに大きな異変が生じました。ギリシャからアレキサンダー大王の東征が始まり、紀元前326年には、インダス川流域にまで到達しています。(歴史年表参照)
 そうなりますと、在来の勢力は、彼らの支配下に屈するか、逃げるしかありません。アレキサンダー大王の東征を期に、東アジアに胡の勢力が大挙到来してきました。
 そして、北東アジア・満州地域に「東胡(とうこ)」が、北アジア・モンゴル地域に「匈奴(きょうど)」が、そしてその西に「月氏(げっし)」が位置する事となりました。(歴史地図参照)
 その後、これらの遊牧騎馬民族と在来の民族との激しい攻防が、繰り広げられます。そういった彼らの民族的興亡が、私たちの住むこの列島にも大きな波紋を呼ぶことになりました。
 わが国の歴史は、これらの民族的抗争と密接に関連していたのです。
 

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邪馬台国発見

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