=歴史探訪フィクション=

 人麻呂の怨・殺人事件


第1章


 恵美が稲佐の浜に着いた時には、もうすでに日が暮れていた。
 海岸にある駐車場に車を置き、民家の側の狭い路地を行くと、警官が現場の確保をしていた。その奥にある『仮の宮』では、投光機の明かりの中、刑事や鑑識によって捜査が行われている。
 恵美が、被害者の関係者だと名乗ると、刑事に引き合わせてくれた。
 「島根県警捜査一課の金村と言います。あなたは?」
 「私は、神殿再建プロジェクトの事務局をしている加藤恵美と言います。亡くなられたのは、本当に大泉登さんに間違いないのでしょうか」
 「間違いありません。身元は確認できています。発見されたのは午後五時頃で、犬の散歩をしていた近所の主婦が見つけています。今のところ、犯行時刻はおよそ午後四時頃と考えられます。加藤恵美さんですか・・・。確か、そのプロジェクトの理事長をなさっているのは加藤龍三氏でしたよねえ」
 「はい、私の父です」
 「そうでしたか。お父さんのお名前は時々お聞きしていますよ。なるほど、加藤教授のお嬢さんですか。早速ですが、被害者の大泉さんは、鋭利な刃物で胸を一突きにされています。急所を一撃ですから、おそらく即死に近かったでしょう。大泉さんが、この場所に来ることについて何か思い当たることはありませんか」
 「直接、ここに来られた事情については分かりません。ただ、プロジェクトでは、この場所が神殿に上がる階段への入り口付近に当たりますから、何らかの現地調査だったのかもしれません。あくまでも想像ですけど」
 「なるほど。で、その計画を知っているのは?」
 「その計画案は、一般に公開されていますから、誰でも知り得る情報です」
 「そうですか。では、被害者が何かトラブルを抱えていたとか、誰かに恨まれていたといったことはご存知ないでしょうか」
 「いえ、そういったことは聞いたこともありません。まじめな方でしたし、そのプロジェクトにも熱心に取り組んでおられました。理事をされているくらいですから、一番推進している方々の一人だと言えます」
 「じゃあ、そのプロジェクトに反対している人たちからすると、最も許せない人ということになりますね」
 「ええっ? 確かに反対する人たちがいることは知っていますが、特に妨害とか脅迫めいたことは一度もありませんでした」
 「そうですか。しかし、『祟り』だといったメッセージを、その犯人は残しているんですよね」
 「『祟り』ですか?」
 「そうです。『神の祟り』だってね」
 「『神の祟り』?」
 「ふざけた犯人でしょ。今の時代に何が『神の祟り』なんだか。おそらく何らかの個人的な恨みを持つ者の犯行と見て間違いないでしょう。それを『神の祟り』だなどと装っているんですよ。まったく下らない話だ。そんな小細工をする犯人など早々に捕まえてみせます」
 「他にも何か残されてはいませんでしたか?」
 「ありましたよ。よく分かりませんが、歌のようなものが書かれています。こちらは、もう少し調べてみないと・・・。ちょっと待ってくださいよ」
 金村刑事は、そう言って、仮の宮の背後へ回った。
 「鑑識さん、ちょっと・・・」
 どうも、そこが現場のようだ。
 金村刑事は、コピー用紙のような紙を入れたビニール袋を持ってすぐに戻ってきた。
 「これですよ。被害者の上着のポケットに差し込んでありました。パソコンで作成したんでしょう」
 恵美がその紙を見ると、確かに『神の祟り』と大きく印字されていて、その横には、懐かしささえ感じる万葉集の歌が記されていた。
 「これ、万葉集第2首の歌です」
 「万葉集ですか? 本当に?」
 「はい、間違いありません。時の大王が、『天の香具山』に登って国見をした時の歌だと言われています。通説では、舒明天皇の歌となっています」
 「はあ。そうなんですか。で? それと『神の崇り』と、どういう関係があるんでしょうねえ」
 「さあ、それは私には分かりません」
 「ですよね。犯人にしか分からないのか・・・。でも、それだとメッセージの意味を為さないだろうし・・・。いったい『神の祟り』と『万葉集第2首の歌』とは、何を意味しているんでしょうね?」
 「さあ」
 恵美にも、犯人が万葉集の歌で何を伝えようとしているのか、全く検討もつかなかった。
 「ちなみにその国見をした場所は、何処か分かりますか?」
 「通説では、奈良の香具山だとされています」
 「奈良の香具山ですか。さらに、意味不明だ。ここは毎年、全国から神々の集う出雲だぞ! ますます以ってふざけた犯人だ。さっさと捕まえて締め上げてやる。あっ、失礼。今の所は、こういった状況です。また何か聞きにお伺いするかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」
 「分かりました。こちらこそ、よろしくお願いします」
 恵美は、まさか、自分の身の回りにこんな恐ろしい事件が起きるなんて思ってもみなかった。
 その恐怖に体が少し震えているのを感じながら、車を置いている浜の駐車場に向かった。
 すると、遅れてやって来た祐介の姿が見えた。
 「佐田君。とんでもないことになってしまったわ」
 「どうだった。何か分かったかい」
 「一通り聞いたけど、捜査はこれからといったところかしら」
 「そうか。じゃあ、僕もこれから取材をしてくるよ。恵美さんからも話を聞きたいけど、今日は遅いからまた明日にでも研究所に寄るよ」
 「分かった。またね」
 恵美は、稲佐の浜を後にした。
 途中、車のフロントガラス越しに満月が見えた。
 ・・・今後の対策もあるから、とりあえず研究所に戻らなくちゃ。   



                                 



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