=歴史探訪フィクション=

人麻呂の怨・殺人事件

第12章  (2)

  「えっ、何処なんですか?」
  「宮崎県の西都原だよ」
  「西都原ですか・・・。どの辺りでしたでしょうか」
  「宮崎市の北西20キロメートルほど行った西都市にあるよ」
  「そうですか。そう言えば大きな古墳群がありましたよね。すごい発見じゃないですか」
  恵美は、胸が高なった。
  「西都原だったのか。すみません、一つお聞きしていいですか?」
  祐介が福山に問いかけた。
  「どうぞ」
  「いくつか紹介されている国を通過して『邪馬台国』へ行くといったことをよく聞くんですが、それはどうなんですか」
  「そうなるとね、その『邪馬台国』は太平洋上にあることになってしまうんだよ。例えば、『京都から南西100キロに和歌山市がある。東100キロに名古屋市がある。南50キロに奈良市がある』と紹介されていたとするよ。それを、『京都から南西100キロに和歌山市がある。そこからさらに東100キロに名古屋市がある。そこからさらに南50キロに奈良市がある』という紹介がされたとしたらどうなるだろう」
  「奈良は、太平洋上に存在したことになってしまいます」
  だから、魏国の使者が常駐している伊都国を起点とした紹介なんだよ。先ほど『投馬国』が出てきただろう」
  「『投馬国』は、南に水行20日とありました」
  『邪馬台国』と同様に『投馬国』の所在も、諸説分かれている。
  『投馬国』の所在についての記述は、南の方角に水行20日のみである。つまり、『邪馬壹国』へは、陸行と水行とあったように、陸と海とどちらからでも行けるということを意味している。しかし、『投馬国』は、水行のみ、つまり、伊都国から陸を経ては行けないということと、『邪馬壹国』よりも、およそ2倍の距離にあるということである。
  「投馬国へは、陸を経ては行けない。そして、伊都国から博多湾を経て船で南に行こうとすると、長崎と五島列島の間を南に向かうことになるよ。そのまま南に向かうと、さあ何処に着くだろう」
  福山は、先ほどの地図を、九州のあたりから南を含めて画面に出した。
  「ええっ、奄美大島が、ちょうど、その南にあたります。そして、連なるようにして沖縄があります」
  「『投馬国』は、九州だとか、隠岐島、出雲、丹波など、各地にその候補地があるが、そのほとんどは、方角が東だったり、陸続きだったりしていて、記述に合うことはない。だから、魏志倭人伝の記述が間違っているということで処理しようとしているよ。今見たように、別に、何を難しく考えることなく、その記述通りに行けば、『投馬国』は、奄美大島から沖縄辺りを意味することになる。そこには5万戸があったという記述や20日間という日数を考えると、おそらく沖縄だよ」
  「『投馬国』が、沖縄だなんて聞いたことはなかったです。でも、沖縄は琉球国と呼ばれていたんじゃないでしょうか」
 「確かに、『投馬国』と沖縄は、結びつきにくいので、私もどうだろうかとも思ったよ。沖縄という名称は明治以降で、それ以前は、琉球国と呼ばれていたが、それもおよそ14世紀以降なんだよ。その琉球国という国名は、後の隋書に登場するんだが、それは今の宮古島を指しているんだ。だから、この魏志倭人伝の頃、沖縄は『投馬国』と呼ばれていたんだろう」
  「『投馬国』は、沖縄なんですか」
  「それを考えた人はいるんだろうけど、伊都国から、その『投馬国』を含めた周辺諸国を経て『邪馬壹国』へ行くという認識だと、奄美大島や沖縄からさらに南に行ってしまい、そうなると、そこは太平洋の海原でしかないから、多くの人は、沖縄だなどと考えないのだろう。伊都国を中心とした紹介となっている記述通りに考えれば簡単なのに、どうして、その通りに読まないのか、不思議で仕方がないよ。おそらく、沖縄には、その『投馬国』の頃の遺跡も何か残っているかもしれないよ。ただ、そういう視点で見なければ分からないだろうけどね」
  「でも、魏志倭人伝は、思ったより、正確に記述されているんですね」
  「分かることは、分かることとして記述しているし、分からないことは分からないとしているよ。だから、女王国より北は分かるが、それ以外の地域にある国は遠くて詳細は分からないとして、21の国が紹介されてもいるんだよ

  「21もですか」
  「おそらく、本州や四国などにあったんだろうが、その使者は行ってないのでよく分からなかったということだろう。そして、それらの国の南に、女王国には属していない国として狗奴国を紹介しているんだよ」
  「狗奴国ですか?」
  祐介は、画面にあるその国の名前を見た。
  「それでね。その次を見てご覧」

 自郡至女王國萬二千餘里

  「郡から女王国までの距離が書かれています」
  「つまり、帯方郡があった今のソウルあたりから、女王国までは12,000余里、およそ600キロメートルだと限定しているんだよ」
  「へえ。それはすごい。じゃあ、あまり近くても、遠くてもだめだということになりますね」
  「当時、それを計測した誤差や、私の言う一里が50メートルということの誤差を考えてもせいぜい700キロメートルまでだよ。そうなると、ちょうど、西都原はぴったりとそれに当てはまるんだ。だから、その紹介されている国をみな経て行ったということは、ここで示されている指標からもあり得ないことになるんだよ」
  「そうですね。よく分かりました」
  「私もお聞きしたいんですけど、卑弥呼の墓が造られたそうですが、その西都原にあったのでしょうか」
  恵美も、質問した。
  「墓についてはここに書いてあるよ」

 卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩

  「卑弥呼が亡くなって大きな塚が造られ、その直径はおよそ100余歩とそのサイズも書かれている」
  「それに該当するような墓があるんでしょうか」
  西都原台地には、300基以上もの古墳のある全国でも有数の大古墳群がある。そのうち9割が円墳で、その中に、わが国最大の円墳があり、わずかに方墳部分がついているので帆立貝式古墳とも呼ばれている。そして、その円墳部分の直径は、132メートルもあり、現地では、男狭穂塚古墳と呼ばれている。すぐ横には、寄り添うようにして九州最大の前方後円墳があり、こちらは女狭穂塚古墳と呼ばれている。
  「おそらく、その男狭穂塚古墳が、卑弥呼の墓だろう」
  「あのう、でも卑弥呼の墓は、直径が100余歩とありましたが、そうなると1歩が1メートル以上にもなってしまうんですけど・・・」
  「ああ、それには僕も困ったよ。これだけの規模だと間違いないと確信したんだが、君の言うように辻褄が合わない。そこで当時の度量基準を調べたんだよ」
  当時、魏国では、右か左か基準となる足を決めてその歩数で計測していた。つまり、今で言う2歩が当時の1歩である。1歩はおよそ60~65センチメートル。それでいくと2歩、そして当時の計測基準の1歩は、120~130センチメートルとなる。
  「ぴったり、100余歩だろう」
  「確かにそうですねえ」
  「でも、そんなことを言っている人は、ほとんどいないみたいだから、僕の妄想なのかもしれないよ」
  「いえ。じゃあ、その西都原に卑弥呼がいたんですね」
  「そうだよ。その古墳群の麓に都萬神社があってね。それは『つま』と読み、その地名も『妻』というんだよ。そこには、長さ350センチ、重さ64キログラムもある『日本一の太刀』が奉納されていてね。かなり、重要な拠点だったと見られるよ。おそらくそこが、卑弥呼のいた場所だと考えているんだ」

  「しかし、その地は、邪馬台国ではなかったということですよね」
  「先ほども言ったように、女王国は、西都原にあったことに間違いはないだろう。しかし、その国名は『邪馬壹国』とある。もしも、仮にそれが邪馬台国だとしたら、邪馬台国は西都原にあったことになるよ。でも、それはあり得ないんだよ」
  「どうしてなんですか?」
  「それは、後漢書を見れば分かるよ」
  二人は、画面を見入った。

 倭在韓東南大海中、依山嶋爲居、凡百餘國。
 自武帝滅朝鮮、使驛通於漢者三十許國、國皆稱王、世世傳統。
 其大倭王居邪馬臺國

  後漢書は、五世紀に書かれたとされており、そこには『大倭王』が『邪馬臺国』に居たとある。その大倭王は、朝鮮半島をも制圧し、武帝とあることから、この列島には皇帝が存在しているという認識が示されている。すなわち、その皇帝の居するところは、魏書にもあったが『臺』となる。
  「この列島には百余国あって、それぞれに王が居たとあります。それを支配していたのが『邪馬臺国』に居た『大倭王』ということですよね」
  「そういうことだね」
  「それは、卑弥呼の女王国とは異なる国ということなんでしょうか」
  「この後漢書にも女王国は出てくるよ。ほら」
  福山が、その部分を示した。

 自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王

 大倭王が出てくる後漢書に、女王国について書かれているということは、その女王は大倭王ではないということになる。そして、女王国の東に海を渡って行くと国があるが、女王には属していないともある。つまり、魏書でも見たように、卑弥呼の居る女王国は九州にあった、ということに間違いはない。
  「では、大倭王と女王がいたということなんでしょうか」
  「主に九州をエリアとする女王国があり、一方、この列島のみならず朝鮮半島をもその勢力圏とする大倭王の居る『邪馬臺国』があったということだよ。現在、その『臺』という文字は常用漢字にはないから、『台』という文字が当てられている。つまり、この後漢書に出てくる『邪馬臺国』こそ、今わが国で論じられている『邪馬台国』なんだよ」
  「そうなると、卑弥呼のいる女王国とは別の国だ、ということは明らかじゃないですか」
  「そうなんだ。ところが今のわが国では、その邪馬台国には卑弥呼が居たとされている。女王国とは異なる『邪馬臺国』は、『邪馬台国』として女王国である『邪馬壹国』の地にあったとして論じられているんだよ」
  「ええっ、どういうことなんですか?」
  わが国には大倭王と女王がいて、それぞれ『邪馬臺国』と『邪馬壹国』と呼ばれていた。しかし、『邪馬壹国』は、実は『邪馬臺国』と書くべきところを『邪馬壹国』と書き間違ったと見なされ、その大倭王の存在が消された。その『邪馬臺国』は、今『邪馬台国』として『邪馬壹国』の地にあったと見なされている。つまり、大倭王とその大倭王のいた『邪馬臺国』の地が、わが国の歴史から消されてしまった。
  「この列島には、卑弥呼のいた女王国だけしか存在していないと描かれているんだ」
  「なんか難しいですけど、大倭王のいた『邪馬臺国』が卑弥呼の地にあったことにされたということなのでしょうか」
  「そういうことかな」
  「それって、まるで万葉集の時と一緒だよな」
  祐介がつぶやくかのように言った。
  「えっ? ああ、そうかもしれないわね」
  「どういうことなんだい?」
  「万葉集を調べていたら、出雲にあった『やまと』や『吉野』、『淡海』が他の地にあったことにされていました。つまり、出雲王朝が消されているんです」
  「なるほど。出雲王朝の、歴史からの抹殺か」
  「では、この消された大倭王や『邪馬臺国』が出雲王朝を意味しているということはないでしょうか」
  「そうだねえ。卑弥呼のことが、後の史書にもまた登場するんだよ。それを見ると分かるかもしれない。なんだったかなあ。ああ、そうだ」
  福山は、別の史書を呼び出した。
  「卑弥呼の次の女王の名前が、魏書では『壹與』とあったのに、この梁書と北史では、なぜか『臺與』となっている。それでね、この『臺與』は、『とよ』と読まれているんだよ。ということは、『邪馬臺国』は、『やまとこく』と読まれていたことになるんだ」
  「『やまと』ですか?」
  「ええっ、それって、出雲にあった都の『やまと』?」
  祐介は、万葉集を検証した時のことを思い出した。
  「武帝という皇帝が居た所は都ということになるよね。ということは、万葉集にも出てきた都の『やまと』のことじゃないかしら」
  「とすると、『邪馬臺国』が『邪馬台国』だということは、『邪馬台国』とは出雲にあった都の『やまと』だったことになるよ」
  祐介は、また新たな発見に至ったと思った。
  「でも、その大倭王や『邪馬臺国』が卑弥呼の地にあったような認識が、今のわが国の主流を占めているようですが、それには何か根拠となるようなものがあるんでしょうか」
  「この梁書と北史・南史にあるんだよ」
  「どういったことが書かれているんでしょうか」
  「では、これを見てご覧」
  福山は、梁書を画面に出した。

  從帯方至倭、循海水行、歴韓國、乍東乍南、七千餘里始度一海。海闊 千餘里、名瀚海、至一支國。又度一海千餘里、名未盧國、又東南陸行  五百里、至伊都國。又東南行百里、至奴國。又東行百里、至不彌國。  又南水行二十日、至投馬國。又南水行十日、陸行一月日、至邪馬臺  國、即倭王所居

  魏書や後漢書以降、再び梁書でこの列島にあった都へ行く道順が登場する。ところが、みな国名に『又』がついており、伊都国以外の国もすべて経て行くような記載になっている。そうなると、女王国は、太平洋上に出てしまう。女王国の位置をめぐって混迷してる根源は、ここにあるとも言える。
  だが、都からの距離が、魏書と同じく『万二千里』とあり、卑弥呼のいた西都原の位置は認識されている。そうなると、この梁書にある記載こそが写し間違いか、あるいは、魏書に書かれている国を経て行ったと勘違いしたのかもしれない。または、何らかの戦略として、意図的に書き換えたか。どちらにしても、魏書にあった記載を書き変えていることに間違いはない。
  そして、最大の問題は、そこに記載されている道順は、女王国である邪馬壹国へ行くものだったが、ここでは、『邪馬臺国』に至り、そしてそこには倭王がいたとある。

  「梁書では、魏書や後漢書の記述を全く異質のものにしているんだよ」
  「それで、この梁書はいつ頃に書かれたものなのでしょうか」
  「唐代だ。636年に編纂されたとあるよ」
  「唐ですか!」
  祐介と恵美は顔を見合わせた。
  すると、その時、県警の金村刑事がやってきた。
  「加藤さん、実はあなたのお父さんである加藤教授にお話があって来ました。おいでになっていますか」
  「はい。今日のシンポジウムのまとめをすると言って奥におりますが」
  「そんなにお時間は取りません。そうだ、あなたにもご同席を願いたい」
  「えっ、私もですか?」
  「何か他にご予定でも」
  恵美は、横にいた二人を見た。
  「ああ、こっちは、いいよ。そうだ、その間、福山さんにインタビューをお願いしているよ」
  「では、こちらへどうぞ」
  恵美は、刑事二人を理事長室へ案内した。
  急な刑事の訪問に恵美は、どんな話がされるのか不安でいっぱいになった。
  ・・・私たちに何か嫌疑でもかけられているのかしら。
  




                                   


  邪馬台国発見

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