=歴史探訪フィクション=

人麻呂の怨・殺人事件

第14章

  11月に入ると、時には冬の到来を思わせるような日もある。
  『神迎祭』の当日を迎え、祐介は、冷たそうな湖面に浮かぶ水鳥の姿を横目に見ながら、出雲へ向かっていた。犯人の残していた犯行予告が、間もなく実行に移されるかもしれないという不安と緊張で、ハンドルを握る祐介の手には次第と力が入った。
  祐介は、出雲大社の関係者や、周辺の商店街の人たちへの取材を済ませると、研究所にやってきた。
  そして、西尾所長や加藤理事長へのインタビューの中で、出雲で毎年行われている神在りの祭祀の起源についても訊ねてみた。しかし、出雲風土記をはじめ、平安時代以降に残されている文献や民族学等による検証が行われてきてはいるが、なぜ出雲に神々が集うのかの答えは出ていないと述べていた。その解答を得ることのできるような文献的資料は、わが国では消されてしまったのかもしれないと祐介は思った。
  インタビューが終わると、神迎祭の準備に入るということで、加藤理事長は研究所を出て行った。
  「どうだった?」
  事務室にいる恵美が声をかけてきた。
  「まあ、予想どおりというところかな。良く解らないまま年月だけが流れていくのだろうかと思ってしまうよ」
  「解明されてしまったら都合が悪いのかもしれないわよ。祐介君、追及が甘かったんじゃないの。『出雲にあったこの列島の都が唐王朝に滅ぼされたと、中国の史書にはちゃんと残されています』くらいは言った?」

  「インタビューだから、そこまでは言ってないよ。対談なら言うかも知れないけど、一記者との対談なんてあり得ないからなあ」
  「福山さんとの対談といった企画ならどうかしら。あるいは、かなりの解明につながる内容になるかもしれないわよ。『福山出雲市観光アドバイザー、出雲の歴史を斬る!』といったタイトルなんかどうかしら」
  「斬ってしまったらまずいでしょう。でも、今のプロジェクトも含めて、出雲の歴史と今後のあり方を縦横に語るといった内容の対談企画は面白いかもしれないね。今度、編集長に話してみようかなあ」
  「プロジェクトも、連続殺人事件でどうなるかってところだし、ここは一つ福山さんに頑張っていただいて、盛り上げていくのもいいかもね」
  そんな話をしているところに、福山がやってきた。
  「やあ、お二人さん、おそろいだね。今日は、いよいよ神迎祭で、加藤理事長のことも気になって来てみたんだけど。お父さんは、やはり出るんだ」
  「はい。先ほどその準備で出ていきました」
  「そう。何か気になるような動きは聞いてない?」
  「警察も、警備体制をとっているようですが、今のところは何も」
  「何事もなく、無事に終わればいいんだがなあ」
  「出雲王朝が滅ぼされたのは、旧暦の10月10日で、それが今日にあたります。犯人が、唐王朝に滅ぼされた神々や人麻呂の怨みに関連させているとすれば、犯行に及ぶ可能性は、非常に高いと思われます」
  祐介は、不安に思っていたところを話した。
  「確かにそうかもしれない。警察が警備しているだろうが、一人でも多い方がいいだろう。僕も、できるだけ加藤理事長の近くにいるようにするよ」 
  「ありがとうございます。でも、福山さんにご迷惑が掛かってもいけませんし、あまりご無理はなさらないようにしてください」
  「心配することはないよ。もし変な動きをする者がいたら、周りから取り押さえればいいことだよ。それより、恵美さんこそ、今日は早く帰って、出歩かない方がいい」
  「いえ、私一人で帰る方が怖いですし、気になってとても帰るわけにはいきません。それこそ多くの人の中にいればまだ安心できます」
  「それは、どうかなあ。人ごみに紛れて襲われたらどうしようもない。かなり危険じゃないかな?」
  「でも・・・」
  恵美は、自分だけ帰るなんてとても言えなかった。
  「じゃあ、僕が取材をしている横にいるようにする?」
  「そうね。危なくなったら助けてくれるっていつか言ってくれてたしね」
  「ちょっと頼りないかもしれないけど、頑張るよ」
  その後、三人でしばらく出雲の歴史について話していたが、外は次第に暗くなり、閉館の時間も近づいてきた。
  「では、そろそろ行こうか」
  三人が浜へ行くと、すでに多くの人が集まっており、そこには、かがり火が焚かれ、祭壇を囲むように注連縄が張られていた。
  警護にあたっている県警の金村刑事の姿もあった。
  テントの下には、白い衣装を着た神職が20名ほど立っていた。
  その中には、加藤理事長の姿も見える。
  「では、僕はこのあたりにいるよ」
  福山は、加藤理事長の近くに立った。
  「すみません。よろしくお願いします」
  『神迎祭』は、稲佐の浜で夜七時から始まる。
  恵美は、あるいは、信者や見物人の中に、あの顔が有りはしないかと思って見回したが、暗いのでその周辺しか確認できなかった。
  「どうしたの?」
  「どうも、見当たらないわね」
  「誰か探しているの?」
  「ちょっとね。夜だと、分かりづらいわね」

  しかし、恵美の動きを密かに伺う人物がいることに、恵美は、全く気づいていなかった。
  そして、定刻が近づき、テントにいた神職たちは、注連縄の中に入り、海に向かって置かれている祭壇の前に立ち並んだ。
  「祐介君、この前シンポジウムがあったでしょう」
  「ああ」
  「その時に、質問していた男性を覚えている?」
  「見れば分かるよ」
  「もしも、その人が居たらすぐに教えて」
  「分かった。でも、あの人がどうして・・・」
  その時、祐介の言葉を遮るように笛や太鼓の音が浜に鳴り響き、神事が始まった。
  祭壇に置かれている二本の木の枝は、『神籬(ひもろぎ)』と呼ばれ、そこに神々が宿ると言われている。
  そして、その横に置かれているのは、『龍蛇(りゅうじゃ)様』と呼ばれていて、海から上陸してくる神々の先導役とされている。11月にもなると、稲佐の浜には、西からの強風や荒波が押し寄せる。時々、その荒波に乗って、海蛇が流れ着くことがあり、それが祭神の使いとしてやって来るとされ、『龍蛇様』と呼ばれるようになった。

  神職が祝詞を上げ、周囲には緊張の空気が張り詰めた。
  「西暦663年、旧暦の10月10日の夜、ここでどれだけ多くの人たちが殺戮されたことだろう。おそらく、それらの死体は、海に捨てられたんじゃないかな。だから、こうやって、海から神々がやって来るという神事になっているのかもしれないよ」
  「私、この前、神社の境内のようなところで、武将が何人もの兵士に襲われて殺される夢を見たわ。そんなことはあり得ないと分かっていても、本当に出雲王朝の人たちの怨みは、未だにこの世に漂っているのかもしれないと思えてくるのよね」
  「取りあえずは、冥福を祈るとしよう」
  浜には、荒波と強風が吹く中で、神職の祝詞を上げる声が響いている。
  「あっ、月が出たわ」
  「上弦の月だね」
  弦を斜め上に張った半月が、南の空の雲の切れ目から少し顔を覗かせていた。
  「この月を、人麻呂は見ていたのね」
  「おそらくね。歌を詠んだのは、もう少し月が西に傾く頃だろう」
  そして、最後に笛や太鼓の音と共に、神職の悲鳴にも似た『うぉー』という低く長く続く声が響き渡り、『神籬』に神々を迎え、浜での神事が終わる。
  次は、『神籬』に宿った神々を、大社へ案内することになる。
  二本の提灯を先頭に、太鼓や笛が続き、その後ろを、両サイドが大きな白い布で覆われた『龍蛇』と『神籬』が、そして神職と二本の提灯が最後に並ぶ。その神職たちの後ろを、信者や見物人が列を成して、稲佐の浜から、神迎えの道と呼ばれている路地を行く。その『神籬』の後ろに、小さな提灯を手に持つ加藤理事長の姿があった。
  笛や太鼓の音と、神職の低く長く続く
警蹕(けいひつ)と呼ばれる声が時折発せられ、その後ろに人々が、静かに続く。 その神職の後ろを、金村刑事や福山が続き、二人は、信者たちの後ろについた。
  「狭い道を行くんだね」
  「古絵図を見ると、稲佐の浜から大社の鳥居へ通じる道がこの道なのよ」
  「なるほど。昔からこの道を通っていたということなんだ」
  その行列を、周辺の住民も手を合わせながら見送っている。
  「インタビューで所長が言っていたけど、一昔前までは、この神々の道行きを見ると目がつぶれると言って、家の中からそっと覗いていたそうだよ」
  「本当に、秘められた儀式だったのね」
  「古くは、ここでこういった祭祀が行われていることすら知らされていなかっただろうからね。ちょっと、写真を撮ってくるよ」

  「あっ、祐介君」
  祐介は、列の前の方へ走っていった。
  恵美は、一人にされて少々心細くなったが、すぐに追いつくだろうと思いそのまま歩くことにした。
  そして、しばらく歩いていると、列の先の方の一人が、横の路地に入っていく姿が見えた。
  『えっ、「人麻呂のおじいちゃん」?』
  以前に見たあのお年寄りのようではあるが、今日は杖を突いてない上に、年寄りとは思えないような服装だった。
  何よりも足取りが、全く違う。
  『人違いかしら。でも、あの横顔はそうだったわよね』
  そう思いながら路地のところまで来ると、怪しそうな後ろ姿が見えた。
  恵美の中で、何か変だという思いが膨らみ、すぐに祐介を探したが、遠くでカメラを手に構えている。
  恵美は、祐介を待っていたのでは間に合わないと思い、その後を追った。
  『
どうしてこんな横の路地に入ったのかしら。ひょっとしてあの「人麻呂のおじいちゃん」が犯人? もし、そうだとしたら、この近くに住まいとか何かがあるのかもしれないわ。それにあの足取りは、とてもお年寄りとは思えないわ』

  すると、彼は、次の路地を右に回った。
  恵美は、急いで角へ近寄り、そっと覗き見ると、その後ろ姿は、ますます足取りを速めているようだ。恵美は、離されないように後ろを追うと、その次の路地を横に入った。
  『どこへ行くのかしら』
  だが、その路地を覗いた時には、もうその後ろ姿はなかった。
  『えっ、消えた? そんなはずないわ。今この路地を入ったところなのに』
  恵美は、周りを見るが何処にも姿はなかった。
  『変よねえ。今、この道に入ったのに』
  そして、そのまま少し歩くと、寺があった。
  『そうか、ここに入ったのね』
  恵美は、そっとお寺の中へ入ってみたが、やはり姿はなかった。
  『見失ったわね。まあ、仕方がないわ。戻るかな』
  そう思ってお寺を出ようとした時だった。
  「あっ」
  恵美の首に腕が回され、強い力で締め付けられた。
  『く、苦しい』
  声も出せないほどだった。
  「後ろをつけるとは、なかなか勇気のあるお嬢さんだ」
  押し殺したようなしゃがれた声で話している。
  「ん~、ん~」
  「いいか、これ以上事件に首を突っ込むと、あんたの命もいただくことになる。これが何か分かるか」
  恵美の背中に尖った物があたるのを感じた。
  『この人が犯人なのね。刺される!』
  恵美は、電流が走ったような恐怖感に襲われた。
  「二人殺すも三人殺すも一緒だ。死にたいか?」
  「ん~、ん~」
  「そうだろう。まだ死にたくないだろう。では、大人しくしていることだ。しばらく、ここを動くんじゃない。いつでも刺そうと思えば刺せるんだ。分かったな」
  恵美は、わずかに首を縦に振った。
  「ようし、お利口さんだ。いいか、動くなよ」
  首を絞めていた腕の力が抜け、背中にあたっていた刃物の感触もなくなった。
  そして、男の走り去る足音がしたが、もはや恵美には、動くことも追うことも出来なかった。ただ、恐ろしくて、立っているのがやっとだった。すると、また静かに近づいてくる足音がした。
  『また来た!』
  いよいよ刺されるのかと思い、心臓は破裂しそうなほど鼓動していた。
  薄暗い中に手が伸びてくるのが見えた。
  『今度は何をする気なの』
  その手が、肩をたたき、恵美は、恐る恐るその手の方を見た。
  「恵美さん。どうしてこんなところにいるの?」
  祐介の姿を見て、恵美は、その場にしゃがみ込んだ。
  「もう、殺されるかと思ったわ」
  「どうしたんだよ。何があったんだ」
  恵美は、先ほどのことを話した。
  「そんな、一人で追いかけるなんて、危険すぎるよ」
  「祐介君は写真を撮っているし。あの人は、行ってしまうし。絶対怪しいと思ったのよ。でも、当たっていたでしょう」
  「相手は連続殺人犯なんだから、無茶しちゃだめだよ。写真を撮ってたら、恵美さんが横道に入っていくのが見えたんだ。いくらしても戻って来ないから変だなあと思って探していたら、人影がここから出て行くのが見えたんで、覗いてみたんだ。でも無事で良かったよ」
  「あっ、お父さんが危ない!」
  「えっ?」
  「あの犯人、刃物を持っていたわ」
  「それで、お父さんを襲うようなことを言っていたのかい」
  「そこまでは言ってなかったけど。でも、何かをやろうとしていたわ。それを邪魔するなって言っていた」
  「とにかく戻ろう。歩けるかい」
  「歩けなかったら、背負ってくれる?」
  「えっ、あの」
  「何を真剣に悩んでいるのよ。冗談に決まっているでしょう。さあ、急ぎましょう」
  恵美は、立ち上がり、寺を出た。
  「こんな時に冗談なんか言うかなあ」
  「何か言った?」
  「いや、別に」
  行列は、すでに神楽殿につき、中で神職による祝詞が上げられている。その外に福山が立っていた。
  「理事長は?」
  「中に」
  「そうですか。先ほど恵美さんが、犯人らしき人物に襲われました。脅迫じみたことを言っていたようですが、危害は加えられていません」
  「ええっ、やはり犯人はこの場に来ているんだ」
  「どうも、理事長を狙っているようなんです」
  「それは、大変だ。警察には知らせたのかい」
  「今、恵美さんが、刑事に話しています」
  少し離れたところで、恵美が金村刑事に話している姿が見えた。
  すぐに刑事二人が恵美の側につき、大社周辺には緊急配備がしかれた。
  神楽殿での神事が終わると、『神籬』に宿った神々は、大社横の摂社『東西19社(じゅうくしゃ)』に案内される。神職たちは、大社本殿の東西にそれぞれある『19社』へ『神籬』を移動させ、そこに神々を休ませて、『神迎祭』の神事は一通り終わりとなる。
  「明日から一週間、この迎えた神々を奉る『神在祭』が行われるのか」
  福山がつぶやくように言った。
  「そうですね。まさしく、年に一度の弔いといったところですよね」
  祐介は、周囲を見回しながら答えた。
  「祐介君」
  「何?」
  「出雲王朝の武将たちが殺戮されたと思われる稲佐の浜から、この大社の東西19社に、その神々が案内されて来るということは、その19という数字が何かを意味していると思わない?」
  「そうか。その時に殺戮された武将の人数かもしれないよな」
  「東西で19名、併せて38名、大国主命を含めると39名の神々がここに奉られているということなのかもしれないわね」
  「その魂を鎮めるために明日から『仮の宮』で神事が執り行われるんだよ」
  「その祭神は、スサノオ尊と八百万の神々よね。つまり、出雲王朝の始祖神であるスサノオ尊に侘び、白村江の戦いを始めこの列島で無数に殺戮された人々、つまり八百万(やおよろず)というほど多くの人々の御魂を弔っているということなのかもしれないわ」
  「祟らないでくれという思いでね」
  その後、加藤親子は、警察に警護されながら帰宅した。
  祐介も福山も、とりあえず大きな事件にならなかったことに安堵した。
  あとは、県警の配備した検問に犯人が捕まるかどうかだった。
  帰りの車から祐介が空を仰ぐと、西に傾く月が再び顔を覗かせていた。
  ・・・人麻呂があの歌を詠んだ時に見ていた月だ。




                                   


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