=歴史探訪フィクション=

人麻呂の怨・殺人事件

第15章    (1)

  出雲大社での神在祭も終わった次の日曜日、中国の史書について、図書館で検証することになった。祐介が、予定されていた時刻に研修室へ行くと、恵美がパソコンを立ち上げていた。
  「そろそろ雪がちらつきそうな季節になってきたね」
  「今朝は、本当に寒かったわね」
  「ところで、まだ犯人は捕まらないみたいだけど、警察からは何か言ってきてない?」
  「特に何も」
  「でも、犯人は、あの『人麻呂のおじいちゃん』なんだろうか」
  「私には、そう見えたんだけど。でも、そんなお年寄でもなかったのよね」
  「命主社で見た『人麻呂のおじいちゃん』は、結構お年寄りだったよな」
  「やっぱり人違いだったのかしら。う~ん、分からないわ」
  恵美は、しばらく考え込んだ。
  「あれ以来、犯人の動きは何もないの?」
  「今のところはね。あの日の様子だと、すぐにでも何かしそうだったから心配してたのよ」
  「何も無いに越したことはないよ。それにしても犯人の狙いがもう一つよく分からないんだ」
  「何が?」
  「もし、理事長をターゲットにしているなら、何もあんなに人の多い時でなくても、いくらでも他にチャンスはあるはずだろう。あの日は、本当に理事長が狙いだったのだろうか」

  あの日が一番犯行におよぶ可能性の高い日だと言っていたのは、祐介自身ではあったが、犯人は、何か他に狙いがあったようにも思えた。
  「君を襲ったのも、どうも引っかかるんだよ」
  「どうして? 私が後をつけたからでしょう」
  「君が後をつけていただけでなく、事件に関心を持っていたことまでどうして分かるんだよ。それは、君が誰なのかを知っていたということだよ」
  「あっ。そうよね。犯人は、私を知っていて、尚且つ後ろをつけて来ることまで想定していたのかしら」
  「君が一人になるチャンスを狙っていた、ということなのかもしれないよ」
  「でも、私がターゲットなら、あの場で刺されていたわ」
  「君は、ターゲットではないけれど、別の意味でのターゲットだった」
  「どういうことなの?」
  恵美は、祐介の言うことが何を意味しているのかよく理解できなかった。
  「首を突っ込むなと言ったということは、まだ犯人は何らかの思惑を持っている。それなら、尚更君なんかに接触しないで、ダイレクトに犯行に移った方がいいはずだよ」
  「じゃあ、どういうことなのかしら」
  「『次はお前だ』と、犯行予告にもあっただろう。おそらく、犯人はそのターゲットへの再度のメッセージを送ったということじゃないだろうか」
  「次のターゲットへ?」
  「いよいよ迫ってきているぞ、とね」
  「誰に?」
  「それは、やはり君のお父さんに対してだろう。娘には危害は加えなかったが、お前はそうはいかないぞ、といったことなのかもしれないよ」
  「でも、父がそれを理解できると犯人が思っていなければ、そうはならないわよ」
  「そう思ったからこそ、あの日君がターゲットになったんだよ」
  「じゃあ、父は、何か気づいているのかしら」
  「さあ、それは分からない。おそらく、犯人は、お父さんへのメッセージというつもりだったのではないかと思うけど、考え過ぎだろうか」
  「私には、何とも・・・」
  二人が、考えているところに福山がやってきた。
  「どうも、お待たせしたようだね」
  「いえ、こちらこそ、お忙しいのにお時間を取っていただいてありがとうございます」
  福山は、びっしりメモ書きされているコピー用紙を、数枚、ショルダーバッグから出した。
  「さて、この列島の歴史に入る前に、まず大陸の状況について触れなければいけない」
  福山が、そのメモを見ながら話し始めた。
  「紀元前4世紀にアレクサンドロス、いわゆるアレキサンダー大王が、インダス川流域あたりまで遠征して大帝国を築いたことが、北東アジアにまで民族の流れとして大きな影響を与えているんだよ」
  「えっ、そこまで遡るんですか」
  「そうなんだ。その時に、中東あたりにいたテュルク系の遊牧騎馬民族が東に追いやられていったとも考えられているんだ」
 
紀元前4世紀から紀元前3世紀の頃、北東アジア・満州のあたりには『東胡(とうこ)』が、北アジア・モンゴル高原には『匈奴(きょうど)』が、その西に『月氏(げっし)』といった勢力がいた。そして、今も、カスピ海から東、ウィグル自治区に至る地域は、テュルクの民族の地だということで『トルキスタン』と呼ばれている。
 
そして、紀元前2世紀頃になると、匈奴が勢力を強め、その冒頓単于(ぼくとつぜんう)は、月氏を西に追いやり、また、東胡の王を殺害し東胡を滅ぼしてしまう。単于とは、皇帝という意味である。その東胡は、烏丸山に逃れた勢力が『烏丸(うがん)』、鮮卑山に逃れた勢力が『鮮卑(せんぴ)』と呼ばれた。
  「東胡の王は殺され、その勢力は各地に離散したり、残った鮮卑や烏丸は、匈奴の奴隷にされてしまったんだよ」
  「ということはですよ。満州の辺りにいた東胡が、匈奴に滅ぼされてしまったんですね」
  祐介はすぐには理解できそうになかったが、恵美がメモを取っているので、あとでそれを見ることにした。
  「匈奴は、冒頓単于の時代、つまり、紀元前209年から紀元前174年にかけて大きな勢力を築くんだよ。ちょうど秦の始皇帝の頃だが、始皇帝は、その匈奴の強力な騎馬戦隊に手を焼き、あの万里の長城を築くことになった。ちょうど、馬が超えられない高さとなっているだろう」
  「なるほど。そうですね」
  始皇帝が亡くなると、ますます匈奴は勢力を強め、前漢の頃は、まったく匈奴に対抗できず、献上品を渡すほど低姿勢だった。だが、冒頓の死後、匈奴も次第に衰え、後漢の時代になると、匈奴は二つに分裂してしまう。
  一方、匈奴の支配下にあった鮮卑が、次第に勢力を強めていった。そして、紀元150年頃には、逆に匈奴を征服し、烏丸などをも支配下にして、匈奴以上の勢力を築いている。
  「鮮卑は、後漢が滅ぶと、傭兵として中国内部へ移住するようになり、五胡十六国時代には、各地で国を起こして、そのうちの一つの『北周』の流れにあるのが、隋の楊堅や唐の李淵だとも言われているんだよ」
  「じゃあ、鮮卑が中国を統一したということになるのでしょうか」
  「まあ、そういった見方もできるかな。鮮卑の起源は『東胡』だったから、あるいは、『唐』という国名は、その民族の原点である『東胡』の『東』を意味するのかもしれない。武則天が即位した時には、『周』という国名にしているんだが、『北周』と関連しているのだろうか」
  「唐は、鮮卑の流れを汲む勢力だったのか」
  「こういったことを踏まえて、この列島との関連を考えていこうか」
  「これからが本題なんですね。ついていけるでしょうか。恵美さん、メモよろしく」
  「はい。頑張るわ」
  「長い前置きだったかもしれないが、それが重要なんだよ。では、紀元25年から220年の間の後漢の時代を記した後漢書からだ。ここに、57年にこの列島から朝貢したとある。この時に光武帝が印綬を授けている」
  福山は、呼びだした画面を指し示した。

 建武中元二年、倭奴國奉貢朝賀、使人自稱大夫、倭國之極南界也。光武賜以印綬。

  「これが、志賀島で発見された金印のことですね」
  「そうだね」
  倭の奴国が、倭国の最南の国だとも記しており、伊都国の東南にあった奴国のことを意味していると考えられる。したがって、女王国はまだ存在していなかった。西都原の地にまだやって来ていなかったか、あるいは、影響力を与えるほどの勢力ではなかったということか。

 安帝永初元年、倭國王帥升等獻生口百六十人、願請見。

  「そして、107年には、倭国王
升等が朝貢したともある。帥升(すいしょう)という倭国王がいて、この列島を支配していたということだよ」
  「どんな王だったのでしょうか」
  「後の時代の史書には、こういった表現もあるんだよ」
  福山は、二人に、メモの方を見せた。

 倭面土国王帥升

  祐介は、その文字を見ていたが、ある読み方が浮かんできた。
  「えっ、それって『やまと』と読めませんか」
  「おそらく、そういうことではないかと思われる」
  「ということは、出雲王朝の勢力だったということでしょうか」
  「ところが、そうとも言えないんだよ」
  「えっ、どうしてですか?」
  「こちらを、見てごらん」
  福山は、画面の史書を指し示した。
 
 
桓、靈間、倭國大亂、更相攻伐、歴年無主。有一女子名曰卑彌呼、年長不嫁、事鬼神道、能以妖惑衆、於是共立爲王。

  『桓、靈間』、つまり、後漢の『桓』帝は147年から167年、『靈』帝は168年から189年の間である。したがって、このおよそ147年から189年の間、この列島は『大乱』状態にあり、その戦乱の後に、卑弥呼を女王とする体制が誕生した。
  「およそ150年頃に、この列島には、強力な勢力が入ってきたということが考えられるんだ。その勢力と在来の勢力との間に抗争が起きたということだろう。そんな勢力がやってくるとすれば大陸からだよ。では、150年頃というと大陸ではどういった状況にあっただろう」
  「ええとですねえ」
  祐介は、恵美のメモを覗き込んだ。
  「鮮卑が匈奴を支配下にした頃です」
  恵美が答えた。
  「えっ・・・、すると、その匈奴が逃れてこの列島に?」
  「時期的には、そうなるよ。一時、
その匈奴の支配下に置かれていた、東胡から派生した鮮卑は、次第に勢力を強め、檀石槐の時代、西暦150年頃、逆に匈奴を支配下に置くんだ。その頃、鮮卑から逃れてやってきたのがスサノオ尊等の勢力だとしたら、騎馬民族だから、それも合致するよ」

  「では、彼等と在来の勢力との間で大きな抗争になったということですか」
  祐介は、今まで聞いたこともない大陸とこの列島との関連に、ただ驚くばかりだった。
  「古事記には、スサノオ尊が『やまたのおろち』を退治する話が残されているだろう。それは、これらの抗争を伝えているのではないだろうか。スサノオ尊が尾を切ると剣が出てきたとあるだろう。在来の勢力も、また製鉄の部族で、その王が持っていた剣が、征服の証として奪われたのかもしれない。前段で、東胡が匈奴に滅ぼされたとあっただろう。その時に、その王の祖先、つまり東胡の一部がこの列島に逃れてきていたとも言えるんだよ」
  「スサノオ尊の勢力が来る前に、東胡が来ていたということですか」
  『やまたのおろち』とは、『八岐大蛇』と記されていて、その『八岐』とは、古事記にも出てくる『大八洲』、つまり、大きな八つの島、拠点を意味している。それは、『本州、九州、四国、対馬、壱岐、隠岐、淡路、佐渡』であり、この列島全域をすでにその支配下にしていた強大な勢力を、『八岐大蛇』と表現したと考えられる。
  「『やまたのおろち』の話は、スサノオ尊の勢力が、自らの征服を正当化する話だとしても、その描き方には、相当な憎しみが込められているようにも思えるんだ。つまり、スサノオ尊たちが、この列島にやって来て、もしそこに今自分たちを駆逐した鮮卑の源を為すような勢力がいたとしたら、血で血を洗うような抗争となるだろう。そこにいた在来の勢力が、東胡の末裔だったとしたら、彼等もまた匈奴に王を殺されているから、匈奴は憎っくき民族の仇ということにもなる」
  「この列島で、匈奴と東胡の争いが再燃したということですか」
  「この列島を支配していた勢力との全面戦争だよ」
  「スサノオ尊は、その戦いを制した」
  「つまり、スサノオ尊に支配された勢力の国王が、この『倭面土国王
帥升』、すなわち『やまと』の先住勢力ではないかと考えているんだがどうだろう。山陰を中心として分布している四隅突出型古墳は、その勢力のものとも考えられる。その墳丘墓は、紀元前1世紀頃から紀元3世紀頃に見られるとシンポジウムでも言われていた。その時期は、東胡が匈奴に滅ぼされてこの列島にやって来た時期、そして、この列島でスサノオ尊の勢力に制圧されるまでの時期とほぼ重なる」
  「そうですねえ」
  祐介は、この列島と大陸との深い関連を感じた。

            




                                   


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