=歴史探訪フィクション=

人麻呂の怨・殺人事件

第15章  (2)

  「では、卑弥呼はどういった勢力になるのでしょうか」
  「卑弥呼が王になることで落着いたということは、どちらの勢力とも関係がなかったということなのかもしれないよ。だからこそ、女王に『共立』されたんじゃないだろうか。あるいは、卑弥呼の勢力は、どこかの王族の末裔だったということもあり得るが、さて、どうだろう。宮崎の地ということは、大陸からというよりも、黒潮に乗って北上してきたとは考えられる。宗教戦争を逃れて、中東から流れ着いた王族だったのかもしれないよ。ということで、この列島に統一王朝が誕生したのは、大乱が終わった190年頃だと考えられる」
  「その頃に、卑弥呼の国が『一国』、スサノオ尊の勢力が『大国』、そして、その統一した象徴として『天』が誕生したということでしょうか」
  「そういった流れだと、私も考えている。その後の経過は、以前検証した通りで、スサノオ尊の後を引き継いだ大国主命を中心として、彼等は、朝鮮半島をも勢力下にするほど力を大きくしていった。それは、5世紀後半に作成されたこの宋書にも描かれているよ」
  福山は、次に、宋書を画面に出した。
 
 太祖元嘉二年、讃又遣司馬曹達奉表獻方物。讃死、弟珍立、遣使貢獻。自稱使持節、都督、倭、百濟、新羅、任那、秦韓、慕韓六國諸軍事、安東大將軍、倭國王。

 
宋書には、所謂、『倭の五王』と言われる『讃、珍、済、興、武』について書かれており、『使持節、都督、倭、百濟、新羅、任那、秦韓、慕韓六國 諸軍事、安東大將軍、倭國王』と称していたとある。
  つまり、倭王の武が、朝鮮半島を制していたと後漢書に記されていたことと一致する。それは、同時に、この倭の五王は、出雲王朝の王でもあり、
太祖元嘉2年(425)に、讃が朝貢している。
  「倭の五王については、歴史でも出てきましたが、出雲王朝の勢力だったということなんですね」
  「それが、もう少しよく分かるところがあるよ。ほら、ここだ」
 

 順帝昇明二年、遣使上表曰:「封國偏遠、作藩于外、自昔祖禰、躬?甲冑、跋渉山川、不遑寧處。東征毛人五十國、西服衆夷六十六國、渡平海北九十五國

  順帝昇明2年(478)に、武帝は、宋の順帝に上表文を送っている。
  そこには、
『倭国は中国から遠く、わが祖先は、自ら甲冑を着て山野を駆け巡り、東へ西へと諸国を征し、また海を渡って海北の国もその支配下にしてきた』と述べられている。つまり、3世紀から5世紀にわたってこの列島に大きな勢力を築いてきたのは、この倭の五王の勢力だったことになる。その上表文では、さらに、高句麗を討つように奨めていて、倭王が、朝鮮半島まで攻め入ったものの、高句麗と対峙していたことが記されている。
  また414年に建てられた石碑、広開土王碑(こうかいどおうひ)、好太王碑(こうたいおうひ)とも呼ばれているが、それが、現在の吉林省集安市で1880年に発見されている。そこには、辛卯年(391)に倭が海を渡り百済・加羅・新羅を破り臣民とし、新羅は、高句麗に応援を依頼し、高句麗は、五万の大軍を派遣したといったことも記されている。これらのことも、高句麗と対峙していたとある宋書と合致している。

  「みなつながっていきますね」
  「先ほど、出雲王朝は匈奴の勢力だとも言ったが、倭の五王の名前にもそれが現われているよ」
  福山は、メモにあるその部分を見せた。

 咸、助、登、輿、蘇、長、宣

  「こういった匈奴の王の名前があるんだ。同じような名前の付け方をしているように思えるよ」
  「確かに似ていますね」
  「そして、宋書には、風習や女王国のことは描かれていなくて、この倭の五王のことだけしか記されていない。そして、その次にこの列島が描かれるのは、唐代に編纂された隋書になる。唐代に作成されている史書では、この列島に関する記述に、改竄とも言えるほどの書き換えがあるが、この隋書だけはそのような形跡がないんだよな」
  「誰が編纂しているのでしょうか」
  「魏徴(ぎちょう)という人だよ」
  恵美は、その名前には覚えがあった。
  「魏徴なら、唐の歴史を調べた時にありました。第2代皇帝李世民は、気が短くてすぐに怒っていたそうです。それを魏徴は200回も諌めたとあります。魏徴は歯に衣を着せない人で、皇帝にも何でも率直に進言するので、李世民も魏徴のことを信頼していたともあります。その魏徴が亡くなった時には、李世民は、本当に悲しんだそうです」
  「なるほど、そういう実直さが表れているようにも思えるよ」
  西晋が316年に滅んでから、長らく分裂を繰り返していた中国王朝も、581年楊堅によってようやく統一され、隋が誕生した。そして、隋書は、600年に、この列島から使者が送られたことを記している。478年、武帝が宋に上表文を送って以来、この列島から朝貢した記録はないので、久々の朝貢となる。
  福山は、画面を見ながら話を進めた。

 
開皇二十年、倭王姓阿毎、字多利思比孤、號阿輩?彌、遣使詣闕。上令所司訪其風俗。使者言倭王以天為兄、以日為弟、天未明時出聽政、跏趺坐、日出便停理務、云委我弟。高祖曰:「此太無義理。」於是訓令改之

  隋書には、かなり詳しく出雲王朝の姿が描かれている。
  倭王の姓が『阿毎』、『天』で、字が、『
多利思比孤』とある。あるいは、『照彦』とも読めそうだ。また、『おおきみ』とも呼ばれていた。
  その使者が言うには、倭王は『天』を以って兄と為し、『日』を以って弟と為すとある。そして、倭王である『天』は、夜が明けるとともに、我弟に委ねんと言うともある。つまり、倭王は、弟である『日』に全権を委任しているということだ。
  「以前から気になっていた『天』について詳しく描かれていますね」
  祐介は、福山の話に引き込まれていった。
  ここでは、宇宙に対する概念に、自らの国家的形態を反映させていると考えられる。つまり、この世のすべてを包括するところの宇宙を『天』とし、それを、倭王でもある『兄』としている。しかし、宇宙そのものには支配力はなく、その力を持っているのは太陽で、それが『日』でもあり『弟』としている。しかし、その太陽であるところの『日』も、宇宙である『天』がなければ支配力を行使できない。だから、倭王である『天』は、夜明けとともに『日』に全権を委任している。
  「宇宙にまで目を向けているというのが壮大ですよね」
  「つまり、国家的象徴としての『天』と実質的支配者としての『日』という国家形態を言い表しているんだよ。そして、その『天』は、『一』と『大』で構成される。およそ西暦150年から190年くらいまで続いた『大乱』という戦乱状態にあって、当時の人々が国家安定のために考え出した理念なんだろう。これは、今にも引き継がれているよ」
  「今にもですか」
  「国会で選出された最高権力者の総理大臣は、天皇から認証されることになっている。すなわち、『天』が『日』に全権を委任していることと同じことだよ。つまり、わが国の国家形態の萌芽は、190年頃に誕生した統一王朝にその起源があるということにもなる」
  「そんな古代に、崇高な理念で国家が誕生していたというのは、驚きです」
  「長い戦乱から生み出された、当時の人の知恵だったのかもしれないね。ところが、そのあり方に隋の皇帝は、『
此太無義理』と述べている。そんな体制に道理はないと言って、訓令で以って改めさせた、とある」
  「ええっ、どうしてですか。そんなことを言う方が道理がないですよ」
  「確かに、他国のことだから、口を挟むことではないのかもしれないが、隋は鮮卑の流れを引き継いでいるとあっただろう」
  この列島にやってきたスサノオ尊の勢力が匈奴だとすると、どちらも大陸の遊牧民族である。つまり、定住する農耕民族は水が命だから、『水神』を崇拝する。大陸を移動する遊牧民族は、太陽や月、星座が道標となるから、彼等は、『天神』を崇拝する。そして、その『天』の中心を為すのが北極星だ。だから、皇帝は北極星を背にして居城を築く。自らが唯一『天』の子だという思想である。
  「そうか。その『天』をこの列島の倭王が使っているとなると、ちょっと待て、となるんですね」
  「それは、どちらも同様の遊牧民族だから、同じような理念で以って国家形成がなされたということだろう。しかし、大陸を統一した隋王朝の皇帝にしてみれば、南海の倭王が、そういった国家形態を持つなど許せん、ということだよ」
  「では、訓令で改めさせたとありますから、出雲王朝はそういった体制を改めたということなのでしょうか」
  「それは、次を見れば分かるよ」

 其國書曰「日出處天子致書日沒處天子無恙」云云。帝覽之不悅、謂鴻臚卿曰:「蠻夷書有無禮者、勿復以聞。」

  初代皇帝楊堅は、604年に亡くなり、第2代皇帝煬帝が即位し、大業3年(607)、出雲王朝は使者を送った。皇帝が替わったので、その祝賀とあいさつを兼ねてということだったとも考えられる。
  その時の国書には、『日出るところの天子から、日没するところの天子に書を致す、つつがなしや』、とある。つまり、お互い天子だ、よろしく、といった対等の意思表示となっている。それだけでなく、彼等にとって太陽は神でもあり、その太陽が沈むところの天子とは、没落していくことをも意味している。そのため、皇帝は悦ばず、ともある。
  彼等にとって天子が2人存在するなどあり得ないことであり、隋の皇帝が、この世で唯一の支配者ではないことになる。だから、『野蛮な夷人から無礼な書が来たが、2度と聞き入れるな』と、隋王朝は激怒している。
  「険しい関係になりそうですね」
  「出雲王朝は、190年頃から400年以上も続く、まさしく由緒正しき『大国』だよ。隋王朝は、いくら大陸の王朝だとしても、最近誕生したばかりだろう。出雲王朝に、かなりの対等な意識があったことは、その国書からもうかがえる。しかし、隋王朝にとっては、許せなかっただろう」
  祐介には、大陸の王朝に対して、一歩も引かない出雲王朝の姿勢に、当時の時代にあっては、むしろ称えられてしかるべきだとも思えた。だが、その反動も大きかったであろうことも、容易に想像できた。
  「では、打倒しようということも考えたのかもしれませんね」
  「おそらく。しかし、当時、煬帝は高句麗制圧の方が重要だったようで、こんな遠くの列島のことなど構っていられない、という状況だったのかもしれない。それでも、隋は、翌年、使者を送ってきている。出雲王朝は、その使者を10日ほど待たせた後に、200騎余りの騎馬隊で迎えたとある。一応、倭王は歓迎しているが、暗にその勢力を誇示しているようにも思える。そして、倭王と使者との会談が行われ、その倭王の言葉も残されている」
  「倭王の言葉がですか?」
  祐介は、中国の史書にこの列島の倭王の言葉が残されていることに驚いた。

 「
我聞海西有大隋、禮義之國、故遣朝貢。我夷人、僻在海隅、不聞禮義、是以稽留境内、不即相見。今故清道飾館、以待大使、冀聞大國惟新之化。」
 
  海西に『大隋』という礼儀の国があると聞き、朝貢の使者を送った。我は夷人で海の隅で僻在しており、礼儀を聞くこともない。以って境内に留まって直ぐに会えなかった。それで、今、道を清め館を飾り、大使を待った。願わくば『大国維新の化』を聞きたい、といったことを倭王は述べている。
  「よく、出雲王朝の王の言葉が残されましたね」
  メモを取る恵美の手にも力が入った。
  「その倭王は、自分たちは礼儀を知らないと言っているから、あるいは、前年の国書で隋が怒っているのを意識しているのかもしれない。そして、その使者に、『大国維新の化』を聞いている。隋のことは、『大隋』と言っているから、出雲王朝である『大国』を意味しているようだ。話の流れからすると、礼儀を知らない『大国』をどう変えたら良いか、礼儀の国の大使が来たので、それを聞きたいということのようにも取れる」
  「隋は、礼儀の国だったのでしょうか」
  「どうだろうか。あるいは、逆に大隋なら、大隋らしく礼儀を持てといったことを言っているのかもしれない。重要なのは、ここで倭王が『大国維新の化』、大国を変えようという認識を持っていたということだよ。他国の使者に言うくらいだから、少々の改革ではないだろう」
  「それに対して、その使者は何と言ったのでしょうか」
 
 朝命既達、請即戒塗

  「皇帝の徳について述べた後に、朝命は既に達した、すぐに道を戒めよと述べている。つまり、朝命、命令で以って国のあり方を変えろと言っている。天子といったことを、2度と口にするなというような意味だろう。ほとんど、会談決裂といった内容だよ。そして、最後は、『此後遂絶』、国交が断絶したとある。大陸の王朝が、この列島を卑下する立場に対して、出雲王朝は、そんな理不尽な圧力になど屈しないという姿勢に貫かれているよ」
  「大陸の王朝に対して、よくそこまで頑張り通せましたよね。夷人としての誇りといったところでしょうか」
  「さあ、そういうような意識があったかどうか分からないが、隋が鮮卑の流れにあり、出雲王朝が匈奴の流れにあると、もしお互いが認識していたとしたら、もう、どちらも譲れないだろう。出雲王朝は、隋の使者に、騎馬民族の威力を見せ付けてもいるようだしね」
  「両国の権威が、ぶつかり合っているといった状況でしょうか」
  「そうだね。さて、そろそろ昼だよな」
  「本当だ。時間が経つのは早いですね」
  「ちょっと、悪いんだが、S大の学生と短時間、昼に会う約束をしているんだ。続きは、また午後に、ということにしてくれないだろうか」 
  福山は、メモをバッグに片付け、立ち上がった。
  「本当にお忙しいんですね。じゃあ、またよろしくお願いします」
  2人も、図書館を出た。
  「祐介君、どうだった。内容は、理解できた?」
  「まあ、おおよそは。でも、分かりにくいところもあったかな」
  「メモしているから、それを表にでもしておこうかしら」
  「そうだね、それがいいよ。また、ゆっくり見直さないと、一度だけでは理解しきれないよ」
  そこから見える鉛色の空は、厳しい冬の到来を告げているようでもあった。
  ・・・初雪が近いのかもね。
   




                                   


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