=歴史探訪フィクション=

人麻呂の怨・殺人事件

第16章 (2)

  「出雲大社もそうですが、熊野大社にも古くからの神事が数多く残されていて、亀太夫神事などは、時々紙上でも紹介することがあります」
  「その神事は、熊野大社が最も格式が高かったことを伝えているようだ」
  出雲大社で行われる『古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)』に使用する神聖な火をおこすための燧臼(ひきりうす)と燧杵(ひきりぎね)は、熊野大社から授かることになっている。その時に出雲大社から1㍍もある長い餅を持参する。ところが、熊野大社でも位の低い亀太夫は、その出来栄えが悪いと口やかましく言いたてる。それが、亀太夫神事呼ばれている。
  出雲国造は、古来より熊野大社から授かった臼と杵でおこした火で食事を作り、それは家族ですら食べてはいけなかった。つまり、出雲大社、あるいは出雲は熊野大社がその大元をなしているということでもある。さらに、その熊野大社も実は下の宮で、古くは奥に上がったところに上の宮があり、さらに、熊野山、今で言う天狗山の頂上には元宮があり、そこでは今も毎年五月に元宮祭が行われている。
  その熊野山を源流とする意宇川流域に熊野大社や出雲国庁跡がある。また、その熊野大社を下った佐草の地には、スサノオ尊が『やまたのおろち』を退治した後に、稲田姫と新居を築いた場所と伝えられる八重垣神社もある。
その折にスサノオ尊が詠ったとされる
『八雲立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣造る 其の八重垣を』という歌や、スサノオ尊が稲田姫を親元へ迎えに行った時だろうか『いざさらば いざさらば 連れて帰らむ 佐草の郷に』という出雲神楽歌も残されている。
  「この熊野が意味するところは、かなり重要だと思うよ。あるいは、この『熊野』の『熊』とは、本来は『神』だったのではないかとも思えるくらいだよ」
  「確かに、熊野の地が、最も神聖なる場所といった印象があります」
  「その中でも、熊野山の山頂だよ。その付近には盤座(いわくら)と呼ばれる巨石があって、そこで神事が執り行われている。出雲の原点はそこにあるようにも思えるんだ。天狗山も本来は天宮山だったとも聞く。その盤座に神が降臨したとも言われていて最も神聖な場所だよ。つまり、宮があったということだ。あるいはその下にスサノオ尊が埋葬されているのかもしれないと思うこともあるよ」
  「どうでしょうか」
  「こういった出雲の勢力にとって、最も神聖な地が『日本(ひのもと)』と呼ばれていたから、出雲王朝は国名を『日本』と定めたということだよ。そして、その国名を定める動機となったのは、大陸の王朝がこの列島を蔑視して『倭国』と呼んでいたからだとも述べている」
  「やはり、属国扱いに対する反発がその基本にあったんですね」
  「それは、ある意味大陸の王朝からの独立という側面もあったのかもしれない。漢書にあったように、大陸に王朝が誕生して以来、この列島はずっと卑下されてきていた。隋・唐の時代になるとそれがさらに強まり、それを出雲王朝は、対等な関係にしようと果敢に戦っていたということなのかもしれない」
  「スサノオ尊以来、四百年も続く伝統に誇りを持っていたのでしょうね」
  「そういった歴史にも触れているよ。『日本』は、古くは小国だったが、倭国の地を併せたと言っている。宋書にもあったようなことだよ。こういった歴史のある国だと必死にその使者は訴えたのだろう。しかし、唐王朝は、使者は大きなことを言うが、本当のことを言っているのかどうか疑ったとある。唐王朝にしてみれば、何を偉そうに言うかといったところだろう」
  「しかし、当時にあっては、精一杯の外交努力をしていたというように見えます」
  「そうだね。ただ、所詮は、人を蔑視する唐王朝だから、そういった話が通じるような相手ではなかったのかもしれない。こういった内容が唐王朝に伝えられたのが、648年だよ。そして、その使者は、新羅と共に倭国と呼ばれていたこの列島の国名を『日本』と替えたという報告に行ったわけだ。ということは、国名を替えるほどの大きな改革がそれまでにあったということになる」
  「そうですね」
  祐介は、福山は何を言いたいのだろうかと思った。
  「それほどの大きな改革があったとなると何か痕跡が残されていることが考えられる。では、648年に近くて、この列島であった大きな改革と言えば?」
  「ええっ、645年の『大化の改新』がありますが・・・」
  「隋書で、使者がやって来た時に、倭王が『大国維新の化』を使者に問いかけていたよね」
  「そうでした」
  「その結論が出されたのが、645年だとも考えられるんだよ。そして648年にその報告に行った。645年の年号が『大化』とされているのは、この『大国維新の化』、つまり『大国』を『日本』と替える改革を意味するものだったとも言える。だから、通説で言われるところの『大化の改新』とは、先ほどの聖徳太子と同様、出雲王朝による改革を隠蔽するための創作とも言える」
  「どうなんでしょうか」
  「ところが、663年に唐王朝に滅ぼされるから、年号はしばらく途絶え、唐・藤原氏による支配が確立した701年、『大宝元年』以来、年号は途切れることなく今に続いている。つまり、本来の『日本(ひのもと)国』は、645年に誕生してからわずか十八年で滅ぼされていたとも言える。ただ、彼等は、この国名を、『ひのもと』ではなく『にほん』、あるいは『にっぽん』と替えて、今に至るまで使い続けている」
  「そういう見方もできるんですか」
  「そして、次に使者が行ったことを記しているが、これも興味深いよ」
  福山は、その部分を示した。

 
長安三年、其大臣朝臣眞人來貢方物。朝臣眞人者、猶中國戸部尚書、冠進徳冠、其頂爲花、分而四敵、身服紫袍、以帛爲腰帯。眞人好讀經史、解屬文、容止温雅。則天宴之於麟徳殿、授司膳卿、放還本國。

  長安三年(703)、この列島から大臣朝臣真人が朝貢に来たとある。この官位は、出雲王朝のものではなく、全くの大陸の王朝制度で、そして身なりも中国の戸部尚書のようだと紹介している。そして、経史を良く読み、文章も良く理解し、容姿も優雅だと大絶賛している。その上、武則天は、麟徳殿の宴で司膳卿を授けて本国に帰したとある。
  「何かすごい待遇ですね」
  「先の使者
に対し、大きなことを言うが信用できない、といった扱いとは大違いだろう。この列島が、唐王朝に支配され、傀儡国家が誕生したことを意味しているんだよ。おそらく満州国が誕生した時の状況と似たようなものだったんじゃないかな。668年には高句麗も滅ぼしているから、武則天は、ご満悦だったようだ」
  「唐王朝にしてみれば、絶頂期にあったとも言えるのかもしれませんね」
  「そうだよな。しかし、『おごれる者は久しからず』で、その唐王朝も907年に滅んだ。それまで、あまりに庶民を虐げたものだから、殺戮されたり、黄河に放り込まれるなどの憂き目に遭い、挙句の果てに、大陸から王朝貴族は放逐されてしまった。そして、唐王朝の支配下にあったこの列島に流れついて、この列島では、その貴族たちの『平安』な世界が築かれていくことになる」
  「大陸から放逐されたのは、所詮自業自得ということなんでしょうが、彼等は相当な怨みを抱いたのかもしれませんね。ほとんど逆恨みですけど」
  「言ってみれば、東胡が滅ぼされた時と同様で、各地に離散していったのかもしれない。あの時は、鮮卑や烏丸に変化したように、この列島では藤原氏となったということかな。ところが、この列島は、彼等にしてみれば散々蔑視してきた列島だった訳だよ。そうなると次は自らが蔑視されることとなるだろう。王朝貴族にしてみれば耐えられない屈辱だよ」
  「こんな所には、あまり、永くは居たくないと思ったのかもしれませんね」
  「しかし、王朝貴族の彼等には、大陸に仕返しをしたり、再度制圧して戻れるほどの力はない。そこで、その武力を養成していった。それが武士だよ。そして、秀吉の頃に朝鮮半島に出兵し、加藤清正は、そこからさらに北を目指したが、結局破綻している。次の挑戦が、伊藤博文を中心とした明治以降の大陸侵略だよ。この時は清朝の弱体化と相まって満州国の建国に至っている。しかし結局は、世界の民主主義の力で、またまた彼等の侵略は破綻した」
  「何か執拗に大陸を目指しているように思えますね」
  「それも、満州の地だよ。そこが、どうも気になってね。ここには、ある一つの共通するものがありそうなんだよ」
  「どういったことでしょうか」
  「隋の煬帝は、三度も高句麗遠征に挑戦して失敗している。唐王朝も、高句麗制圧が大きな目標だった。そして、この列島に流れ着いた唐・藤原氏たちも、満州を目指した。この流れは、はたして、偶然なんだろうかと疑問に思えてきたんだよ。彼等の視点というか関心は、満州、つまり北東アジアに向いているようなんだ」
  「どういうことですか」
  「隋・唐王朝は、鮮卑だった。そして、この列島もその鮮卑に占領されているとも言える。高句麗の地は満州だよ。そうなると、その隋・唐・日本の三者とも満州の地を執拗に目指しているんだ。それも、かなりの執念を持って。どうしてだと思う?」
  「何かその地にあるんでしょうか」
  「特に資源が豊富でもなければ、そんなに気候が温暖でもないよ。大陸の王朝からすれば辺鄙な場所だが、なぜか、彼等はその地を目指した。その三者に
共通するのものが『鮮卑』だとすると、満州の地が何を意味するのかが見えてくるんだよ」
  「それは、何だったのでしょうか」
  「鮮卑族にとっては、満州とは、東胡の地だ。つまり、彼等にとっては、民族の故郷だということだよ」
  「匈奴に滅ぼされた東胡の再興ですか!」
  「紀元前の王朝滅亡を必ずや再興させる、そういった執念にも思えるんだよ。あるいは、元々は、自分たちが制していた地の奪回ということなのかもしれない。言ってみれば、大陸支配へ向けた藤原氏の陰謀といったところかな」
  「果たして、そんな策略を2千年以上も引き継いでいけるものなのでしょうか」
  「普通に考えれば、あり得ないだろう。しかし、この永い歴史を振り返れば、そういうところに行き着くんだ。それを認識していたということは、出雲王朝の歴史が消されているところからもうかがえるんだよ。唐王朝・藤原氏の勢力が、記紀に、遠い太古の時代から、自分たちがこの列島を支配していたという歴史を残したのは、全くの創作かと思っていたが、あるいはそうではないかもしれないんだ」
  「えっ、どういうことですか?」
  「もちろん、改竄していることに変わりはないんだが、つまり、スサノオ尊の勢力よりも前に、匈奴に滅ぼされた東胡の勢力が流れ着いていたと言っただろう」
  「はい。彼等は、大八洲であるこの列島全域を支配下にし、その王が倭国王
升だということでした」
 「その王が、この列島を支配下にした報告として、107年に後漢へ行ったとしたらだよ。スサノオ尊の勢力が来る前に、東胡の勢力がこの列島を支配下にしていたということだろう。その東胡を祖先とする鮮卑である唐王朝の勢力が、それを認識していたら、この列島は、元々は自分たちの勢力が先に支配していて、スサノオ尊の勢力が横取りしたといったことを考えたのかもしれないんだよ。スサノオ尊が、天照大神の田を荒らすなど、高天原で大暴れをして追放されるという古事記の記述は、そういった歴史や概念を残しているようにも思えるんだ」
  「確かに、テリトリーの意識が強い勢力のようには思えます」
 「だから、彼等は、この列島も、歴史そのものも奪い返したということのようにも思えるんだ。それ以来、この列島は、ほとんど東胡の亡霊による支配下だよ」
  「まるで執念の塊のようですね。そうなると、また大陸制覇に向けて挑戦しようなどということもあるんでしょうか」
  「それは、彼等が考えることだから分からないが、この列島から、もし大陸を、あるいは満州の地を目指そうという動きが出て来るとしたら、それは、ほとんど間違いないと言わざるを得ない。もちろん、そんなことにならないことを、願ってはいるがね。だから、この列島における歴史認識、あるいは歴史教育の基本は、その方向に誘導するものだとも言える。その背後にある隠された意図を、はたしてどれだけの人たちが見抜けるだろう。そして、それに都合の悪いものは改竄され、抹殺されていく」
  「もし、そうだとしたら、本当に恐ろしいまでの怨念ですね

  すると、福山は、姿勢を正して一息ついた。
  「さて、そろそろ、次の予定があるんで。悪いが、今日のところはこれくらいで勘弁してくれないだろうか」
  「いえ、とんでもありません。ここまで教えていただけるなんて思ってもみませんでした」
  「他の史書にも、もう少し触れたいところもあるんだが、またの機会にということにしようか。あるいは、自分たちで調べてくれてもいいしね。新唐書は、唐王朝の勢力が、この列島に流れ着いてからの視点で作られていると考えたらおそらく理解できるはずだよ」
  「頑張ってみます。なかなかそこまで出来ないかもしれませんが、とりあえず、今までお聞きしたところを、また調べ直してみたいと思います」
  「こっちも、準備しながら勉強になったよ。見直すたびに、新たな発見があるんだ。視点が変わると、また新たな認識に至る。そこが面白いところなのかもしれないよな。シンポジウムに向けて、出雲の歴史を調べないといけないから近いうちにまた寄るよ」
  「お待ちしています」
  そう言い残して、福山は、図書館を出て行った。
  二人の間に、少々沈黙があった。
  「どうだった?」
  恵美が、メモをしていた手を休めて祐介に聞いた。
  「いったい、この国の歴史の再認識はどこまで行くんだろうといったところだったよ」
  「まだまだ、話すことがありそうだったわよ」
  「この列島の二千年からの歴史を振り返るんだから、そんな短時間では済まないよ」
  「そうかもしれないわね」
  「今まで聞いたところを調べ直して、福山さんが言っていたように、自分で検証することも大事だよな。通説としての歴史観だけでなく、いろいろな角度から考えなければいけないということだと思うよ」
  「じゃあ、まずは今日のところまでを整理しておくわね」
  「悪いけど、よろしくね」
  恵美は、この間調べてきた、万葉集も含めての歴史認識をどうにかしてまとめたいと思った。
  ・・・はたして、私にできるかしら。
  




                                  


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