古事記1300年にあたって

2、『やまたのおろち』の神話について

  まずは、『八岐大蛇(やまたのおろち)』の神話について検証してみましょう。しかし、そのためには、この列島に渡来した民族について触れなければなりません。
 古事記にあっては、この列島から人類が誕生したように描かれていますが、この列島から人類は誕生してなどいません。私たちの祖先は、大陸からの渡来人たちです。
 過去、規模の大小はあるものの、この列島には、数多くの民族が渡来しています。その中で確認できる最古の渡来民族が、「山戎」と呼ばれていた民族です。その民族は、大陸にあって紀元前663年頃「斉」に滅ぼされます。そして、朝鮮半島を経てこの列島に逃避してきます。海流の流れに沿ってたどり着き、上陸した地点が今の島根半島東端です。その記念すべき地は、彼らにとっては聖地でもあり、そこには美保神社が残されています。そして、全国に勢力を広げていき、そこには彼らの足跡を意味する『えびす神社』が建立されました。ですから、全国のえびす神社の総本社は、美保神社となっています。
 その山戎は、大陸において高度な文明を築いていて、彼らによってこの列島には数多くの恩恵がもたらされました。その感謝の思いから、七福神の筆頭の神である「えびす様」として、今も称えられています。
 そして、時代は紀元前2世紀頃、満州のあたりにいた東胡という民族が、モンゴルのあたりにいた匈奴に攻め滅ぼされます。その時に、東胡の一部がこの列島に流れ着きます。彼らは、中央アジア・トルコから渡来した騎馬民族で、武器や蹄鉄などで製鉄を必須としています。それゆえ、この列島でもっとも純度の高い鉄鉱石や砂鉄を産出する斐伊川流域に拠点を構えました。
 たたら製鉄により、強力な武器を作り出し、そのパワーで次第にこの列島全域を支配下に置くようになります。強大化したその勢力の王は、西暦107年、後漢に朝貢し、160名もの奴隷を献上し、その支配力を誇示しています。彼らが支配下にしたこの列島全域から、奴隷を拠出させていたことが伺えます。これが、あしなづち・てなづちが毎年娘を連れていかれたことの意味でもあります。
 一方、大陸では、匈奴に滅ぼされた東胡は鮮卑と烏丸に分裂し、紀元1世紀頃になると鮮卑が強大化し、逆に匈奴を滅ぼします。その頃、匈奴もこの列島に逃避してきます。
 この列島の人々は、東胡の勢力の隷属下に置かれていましたが、渡来してきた匈奴の勢力とともに、東胡による圧制の打破に立ち上がります。それが、西暦150年頃から40年にわたる「倭国大乱」として史書に記録されています。そして、東胡の勢力を撃退し、この列島の人々は、自らの暮らしを取り戻しました。
 この戦乱こそが、「八岐大蛇」の意味しているところです。「八岐」とは、八つの岐、岐は拠点を意味しています。つまり、古事記にもあるように、本州・九州・四国・対馬・壱岐・隠岐島・淡路島・佐渡島で八つの拠点です。すなわち、この列島全域にわたる大蛇のように恐ろしく残忍な東胡の支配を、スサノオ尊を始めとする匈奴と在来の勢力が駆逐したことを伝え残したものです。四隅突出型古墳は、その駆逐された東胡の痕跡でもあります。
 では、スサノオ尊は、その後どんな国づくりをしたのでしょう。


                       


邪馬台国発見

ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」

国産ローヤルゼリー≪山陰ローヤルゼリーセンター≫


Copyright (C) 2012 みんなで古代史を考える会 All Rights Reserved.