古事記1300年にあたって

3、スサノオ尊の新たな国づくり

  この列島を隷属下に置いていた東胡の支配を駆逐した匈奴の勢力であるところのスサノオ尊は、在来の勢力とともに新たな国づくりに取り掛かります。
 在来の勢力の象徴が、宮崎の西都原にいた「卑弥呼」です。スサノオ尊は、卑弥呼の勢力を『一国』とし、自らは『大国』とします。
 その統一国家の象徴が『天』です。つまり、『一』と『大』で『天』という文字を構成します。スサノオ尊は、この列島の人々を東胡の圧制から救った覇者です。しかし、決して東胡に代わる支配者ではないという理念の表れでもあります。『大』は『一』の下に位置します。在来の勢力をあくまで上に称え、自らの勢力は、その下で支えるという姿勢を国家体制として体現したものです。

 匈奴もトルコ地方からやってきた騎馬民族で、たたら製鉄により各地に鉄を供給します。しかし、農耕はできません。在来の勢力は、農耕はできますが、製鉄はできません。その両者の共同がここに確立しました。
 農耕や開墾に鉄の道具は欠かせません。全国でその鉄の需要は飛躍的に増大します。しかし、たたら製鉄にあっては、3日3晩、木を燃やし続けます。ですから、鉄1トンを作るのに木材を60トンも必要とします。その膨大な木材供給地として注目されたのが、温暖多雨という樹木の成育にもっとも適した紀伊半島でした。ですから、そこは、「木の国」と呼ばれました。その重要なエリアゆえ、スサノオ尊は、息子の大歳・ニギハヤヒを送り込みます。そのニギハヤヒが、父スサノオや祖先を守護神として奉ったのが熊野3山と呼ばれる熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉大社です。ニギハヤヒ自身は、奈良盆地を見渡す三輪山に奉られています。
 東胡の圧制を駆逐しただけでなく、鉄を供給してくれるスサノオ尊や卑弥呼による統一国家は、全国津々浦々で神として奉られていきます。その神社の前に掲げられている鳥居は、その国家的象徴である『天』の文字を象ったものです。また、各地に残る前方後円墳は、その統一国家の勢力の墳丘墓です。
 その国家的象徴である卑弥呼の国は、いわゆる魏志倭人伝でも『邪馬国』、つまり『一国』として登場しています。
 一方、実質的支配者であるスサノオ尊の『大国』も、事代主命に代表されるえびす民族とともに大きく発展していきます。その影響力は、この列島のみならず朝鮮半島にまでおよびます。宋書に登場する「倭の5王」とは、この勢力の王です。「讃・珍・済・興・武」は、匈奴の王のネーミングスタイルでもあります。この列島の大倭王が居する出雲の『大国』が、後漢書で『邪馬臺国』と記されました。その臺という文字は今の常用漢字では使われていないので「台」が代用されています。つまり、よく言われるところの邪馬台国です。
 その大倭王には、240年に魏国から景初3年の銘文の刻まれた銅鏡が授けられました。その銅鏡こそが、神原神社古墳から出土した銅鏡で、出雲に大倭王が存在していたことを証明しています。決して卑弥呼から渡ったものではありません。
 わが国の発展の礎を築いたこのスサノオ尊と卑弥呼に象徴される統一国家は、大きく発展していくのですが、その後どうなったのでしょう。それも古事記に神話として残されていました。
 


                       


邪馬台国発見

ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」

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