古事記1300年にあたって      5

5、『天の岩戸』神話の意味

   この列島の人々を救ったスサノオ尊を始めとする出雲王朝の勢力は、全国津々浦々の神社で奉られます。つまり、この国の人々にとっては、もっとも尊い神でした。
 ところが、鮮卑族である唐王朝の勢力にしてみれば、祖先である東胡の王を殺戮した匈奴の末裔であるスサノオ尊は、憎っくき民族の敵でしかありません。ですから、悪行三昧の暴れ者の弟神に貶められてしまいました。
 そもそも東胡が、匈奴に挑発的な行為を繰り返したことから、匈奴の王である冒頓(ぼくとつ)が紀元前205年頃、東胡に攻め入りました。その時滅ぼされた東胡の一部が、この列島を制圧し隷属下に置きます。その東胡を駆逐し、この列島の人々を救ったのが匈奴の末裔であるスサノオ尊の勢力でした。
 ですから、東胡の末裔である鮮卑族の唐王朝の勢力からすると、この列島や出雲王朝に対して2重の憎しみを持ちます。そのすべてが、自らの行いに端を発しているのですが、極めて自己中心的な彼らには、そんなことは理解できません。
 これらのことを描いているのが、『天の岩戸』なる神話です。そこにあっては、天照に対してスサノオ尊が悪行狼藉の数々を働くので天照が岩戸に隠れてしまいます。そのため世界は暗闇になるのですが、天照の復活で再び世界は明るくなったといった内容です。
 つまり、この列島を東胡の勢力が支配下にしていたのですが、その支配がスサノオ尊によって中断されます。しかし、その東胡の末裔である唐王朝によって支配が復活します。
 このことこそが、『天の岩戸』の神話の意味するところです。この列島の人々にとっては、東胡や鮮卑族である唐によって支配される方が闇なのですが、彼らにとっては、スサノオ尊によって支配が中断していた時期は闇だと言っているのです。そして、唐王朝によって征服されることで天照が復活したと言っています。つまり、天照は、東胡や鮮卑の象徴であり、スサノオ尊は匈奴の象徴です。
 ですから、『天の岩戸』の神話とは、東胡の勢力によるこの列島支配の中断と復活を、彼らの立場からの視点で描いたものでした。
 元々、匈奴も東胡も、アレキサンダー大王の東征から逃れて、中央アジア・トルコ地方からやってきています。それゆえ、天照とスサノオ尊は姉と弟と描かれています。それは、肉親ということではなく、同じトルコからやってきた民族を意味しています。
 中国王朝は、中央アジアからやってきた彼らを「胡」と呼びましたが、遊牧騎馬民族である彼らは、農耕ができません。そのため彼らは、農耕民族を連行して農作物を作らせていました。今で言う「拉致」です。その拉致被害があまりにもひどいので、秦の始皇帝は、馬が乗り越えられない高さの外壁を張り巡らせました。それが「万里の長城」の造られた要因でした。
 その「胡」と呼ばれた東胡や匈奴が、この列島に渡来したことにより、胡桃、胡瓜、胡弓、胡坐、胡麻などなど、数多くの中央アジアの文化が伝えられています。また、人が渡来すれば同時に言語も伝わります。日本語と同様に、トルコ語も主語+目的語+述語という語順ですし、トルコの人々にも幼少期蒙古斑がお尻に出ます。
 トルコの人々は、日本人とは祖先が同じだと言っているとも聞きます。


                       


邪馬台国発見

ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」

国産ローヤルゼリー≪山陰ローヤルゼリーセンター≫


Copyright (C) 2012 みんなで古代史を考える会 All Rights Reserved.