万葉集に秘められた真実!
古代の都 『あきづ嶋やまと』  9

『天の香具山』は、奉納山だった!

 ふたたび、出雲大社付近の蕎麦屋さんで、昼食の折りに奉納山について話を聞いてみました。『何も無いところですよ』という返事でした。地元の方々には、特に何か話題になっているといったことはなさそうでした。
 そして、頂上まで車で上がれるとのことでしたので、車で向かいました。奉納山の下に行きますと、そこにも神社がありました。やはり、重要な意味を持った山だということが伝えられているように感じました。その横を山に沿ってらせん状に上がって行ける様に道が整備されています。しかし、決して車が行きかうことが出来るほどの道幅はありません。対向車が来たらどうするのだろうと思っていますと、途中にも駐車スペースが作ってありました。そこに、止めて歩いたほうが良いかとも思いましたが、とりあえず今回は車で行ける所まで行ってみようとそのまま上がって行くことにしました。
 その途中からも、日本海が広く見渡せる場所があり、一旦車を止めてその景色に魅入ってしまいました。古来からの展望台という山に相応しい眺めだと思いました。そうしますと、頂上からの見晴らしが、いっそう期待されます。その期待でわくわくしながら、また頂上へ向かいました。
 車ですから、下から頂上までは、数分もあれば着きます。頂上は、車の方向を変えることは出来ますが、決して何台も止められるようなスペースはありませんでした。たまたま、その日は1台も車が無かったので良かったのですが、次に来ることがあれば途中の駐車場に止めることにしました。
 そして、ようやく期待に満ち溢れていた頂上に到着しました。車から降りますと、その頂上にはそれなりの広さはありました。降りたすぐそばには、そんなに大きくはありませんが神社があり、鳥居が斜面のぎりぎりのところに設置してありました。その時に、『ああ、これが見えたのか』と、以前下の道から山の上に鳥居が見えてそれに違和感を覚えたことを思い出しました。あのときのちょっとした疑問がこれで解けました。
 下に神社があることでそう感じましたが、この奉納山の頂上にも神社があるということで、この山、そしてこの頂上は重要な意味を持っているということを、今に伝えていると改めてそれを確信いたしました。
 奉納山は、4つの神社に囲まれています。
 では、どういった眺めがそこから見えるのだろうということなのですが、その頂上には、展望台が設置してありました。
 当たり前のことですが、今も昔も見晴らしの良さに変わりは無かったということです。
 早速、その上に上がることにしました。もう、これは、第2首に詠われた『天の香具山』に間違いはないという思いと、どんな眺めが見えるのだろうという期待感でもうドキドキワクワクです。
 展望台に上がりましたら、それはもう感動ものでした。東は遠く東出雲のあたりまで見渡せ、西は出雲以西の海岸線が一望に見渡せるのです。そして、中国山脈の山々や、広大な日本海が眼前に広がっています。
 第2首が詠われた当時、その山々からは、たたら製鉄の煙があちこちから立ち昇っていたことでしょう。また、今は、南側、その頃の対岸との間は平地となり町並みが広がっていますが、当時は海でしたから入り江、あるいは内海といった、瀬戸内海のような美しい海岸線が見えたことでしょう。
 そして、その山の周辺の沿岸には、御厳島から飛来する鴎(ウミネコ)が飛び交い、その声が鳴り響いていたことでしょう。
 とうとう、探し当てることが出来ました。
 千数百年も昔に、時の大王が国見をした場所に自分が立ち、その当時と景色は大きく変わったとは言え、第2首の詠み人と同じ視点から同様の景色を眺めていると思うと身震いがしそうでした。
 ところが、残念ながらその歌は奈良の地で詠まれたことにされ、その大王は想像で歌ったことにされているのです。
 まったく、無念なことだろうと言わざるを得ません。
 その大王の名誉のためにも、万葉集の本当の解釈という点においても、何としてもこのことを多くの皆さんに伝えて行かなければならないと、その時、固く決意いたしました。         

                       


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