万葉集に秘められた真実!
古代の都 『あきづ嶋やまと』  8

『天の香具山』は、出雲大社周辺にあり!

 出雲大社付近の蕎麦屋さんで昼食を済ませ、稲佐の浜へと向かうことにしました。
 その蕎麦屋さんの方から、稲佐の浜の手前を右に入った辺りに、神在祭の時に全国の神々が集合する場所があるのでご覧になってはどうかと勧められていました。
 出雲大社から稲佐の浜までは、およそ1kmほどで、周囲を眺めながら徒歩で西へ向かいました。
 その途中には、歌舞伎で有名な『出雲の阿国』の墓もあり、そこから、さらにもう少し歩くと下り坂となり、その坂を下って右に入れば、神々の集合場所ということでした。
 阿国の墓からその集合場所へ向かう途中、道の右手の山に鳥居が見えました。山の上の方に見える鳥居が、少々珍しく思えました。通常、鳥居は神社の入り口に設置されています。そして、その手前は参道となっているのですが、そこに見える鳥居の手前に参道があるようには見えません。鳥居だけが見えたので少々違和感を覚えました。
 そして、神々の集う場所へ行きますと、そこは『仮宮』と言われていて神在祭の時に全国から集まって来られた神々がその場所に集合するといったことが表示されていました。そんなに大きな建物ではなく、和風建築の民家といった風情でした。
 その時、全国から神々が出雲の地に集合するのだから、出雲大社の本殿じゃどうしていけないのだろうと素朴な疑問を抱いたものでした。
 それは、その『仮宮』の場所に大きな意味があったということが後に理解できました。
 そして、そこからすぐ西に行くと稲佐の浜に出ます。
 稲佐の浜と言いますと、大国主命が『国譲り』を迫られた場所としても古事記に登場します。
 その浜には、予想通りウミネコが数え切れないほどに飛来していました。でも、ほとんど鴎としか見えません。
 こちらの映像は、古代史探索紀行映像(出雲)編をご参照ください。
 そのウミネコの集団を確認すると再び出雲大社に戻り、日御碕へ向かいました。そこにある灯台も見ましたが、ウミネコの繁殖地である御厳島も確認しました。島の上一面がウミネコに覆われていました。
 これで、出雲大社の地を検証して帰路についたのですが、出雲大社周辺には確かに多くの山々があり、第2首で『群山(村山)あれど』と詠まれている状況とぴったりくることが確認できました。稲佐の浜から日本海が大きく見渡せますし、半島の南側も当時は海だったということになりますと、海原も間違いなくあったことも確認できました。
 ほとんど、第2首の詠われた地域として間違いないと確信しました。
 そして、周辺の山々を地図で検証したのですが、実際に自分の目で見た印象と合わせますと、出雲大社の北側から東側ですが標高100メートルから数百メートルの山々が連なり、そこは大王が気軽に登れる山とは言えないようです。ほとんど、本格的な登山に近い山ですし、また、海や鴎からも少々遠ざかるようにも思えます。
 では、西側で大王でも気軽に登れる山となりますと、出雲大社のすぐ西側にある山とさらに西にある小高い山となります。出雲大社のすぐ西側の山は、さらにその西にある山で海が見えづらく見晴らしがいいとは言えないかもしれません。
 そうしますと、その西側にある山は70メートルほどですから、まさしく手ごろに登れそうです。
 地図には、『奉納山』と記載してありました。
 さらに、出雲大社などに残されていた古絵図の写真をいくつかみますと、ほとんどその奉納山が描かれています。
 その上、西の海岸線がほとんどその奉納山の下辺りにまで来ています。
 これらの検証により、この『奉納山』と呼ばれている山こそが、『天の香具山』であろうという確証を得ました。
 そして、後日、その奉納山をめざして出雲に向かいました。
          


                       


邪馬台国発見

ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」

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