万葉集に秘められた真実!
古代の都 『あきづ嶋やまと』  7

出雲大社の地に大王が!

 思いもよらなかった出雲の出現で、私の謎は、解明に向けて1歩も2歩も近づいた思
いがしました。
 しかし、出雲と言っても、どこでそんな歌が詠われたかとなりますと、そう簡単には分
かりません。山ほど有る山の中から、これが『天の香具山』だなどと特定するには、そ
れ相当の根拠が必要となります。ひとつひとつ登ってみるわけには行きませんし、ここ
でまた大きな難関が立ちはだかってきました。
 とりあえず、出雲について調べてみることにしました。出雲風土記、出雲大社、熊野大
社、八重垣神社、日御碕、宍道湖等々、あるいは荒神谷遺跡など謎の宝庫とも言える
ほどに多くの歴史的遺産を残しています。
 さすがこの列島の都だったことはあります。
 また、その歴史を遡る中で、今は本州とつながっている島根半島が古代にあっては嶋
だったことも分かりました。それも細長い嶋です。まさしくトンボのような形をしている
ではありませんか。嶋ですから、当然その周辺には海が広がっています。
 そして、日御碕の近くに経島(ふみじま)、あるいは御厳島(みいつくしま)と呼ばれ
て、古来より禁足地とされている島があることも分かりました。その島は、ウミネコの繁
殖地となっていて、12月頃におよそ5千羽が飛来し7月頃にはまた飛び去っていくとあ
りました。今は、ウミネコと呼ばれていますが、鴎科の鳥です。にわかに、鴎とウミネコ
の違いは分かりかねます。古代にあっては、鴎と呼ばれていたと考えられます。
 次第に、第2首の歌の条件が整ってきました。
 出雲は、たたら製鉄の国ですから、製鉄やその加工には多くの木材を燃やします。 
 その煙が山や周辺のあちこちで立ち昇っていたことでしょう。
 となりますと、あとはどこに大王がいたのかということだけです。
 実は、あの出雲大社から大きな柱が発掘され、そこに32丈、およそ100メートル
はあったかという当時にあっては超高層の神殿が建っていたことも明らかになってい
ました。そこに時の大王が君臨していたと考えると、その巨大な神殿の意味も見えて
きます。何と言っても、この列島を代表する国家的象徴ですから、出雲王朝の威信の
表れといったところでしょうか。いよいよ大王の居所も特定できました。
 あとは、『天の香具山』を探すのみです。
 これは、どうしても出雲に行かなければなりません。
 もし、出雲大社の地に大王がいたということになりますと、国見をするとすればその
付近だと思われます。
 ということで、この列島の都で、『邪馬台国』でもあった出雲の地をめざして出発し
ました。

                       


邪馬台国発見

ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」

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