万葉集に秘められた真実!
持統天皇『天の香具山』を詠む  2

奉納山に疑問を解く糸口が

 持統天皇の歌は万葉集にはいくつか紹介されていますが、その中でも、この第28首は代表的な作品です。しかし、その歌の解釈には判然としないものがありました。
 それが、第2首で『天の香具山』が出雲の奉納山だという認識に至ることで、持統天皇の詠ったこの歌も少しずつ理解が出来ていきました。
 では、その原文を見てみましょう。

春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山

 (春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣干したり 天の香具山)

 夏来たるらしに『良』の文字が使用されているということは、やはり持統天皇は初夏の心地よい気候の到来を全身で感じていたのだろうと考えられます。その時、それが特に感じられる状況下にあったと伺えます。そして、天の香具山に衣が干してあるのが見えたということです。
 通説では、持統天皇は、藤原京の大極殿で奈良大和三山の香具山を見ていたことになっています。そのために、この歌の解釈に大きな矛盾あるいは疑問が生じてしまったのです。
 その疑問は長らく解明できずにいたのですが、第2首で『天の香具山』が、実は出雲大社付近にある『奉納山』だったということが分かりました。
 そうなりますと、持統天皇は、奈良の香具山ではなく、当時の『天の香具山』、つまり『奉納山』を見ていたのではないかと考えられるのです。
 つまり、持統天皇は、奈良ではなく出雲にいたということになります。出雲の地に居て、奉納山を見ていたという第2首の解明に伴う大きな発想の転換です。
 そして、奉納山である『天の香具山』は、何と言っても、持統天皇の祖先にあたるか、古の大王があの第2首を詠んだ山ですし、出雲王朝にとっては由緒のある重要な意味を持った山だったのでしょう。
 ですから、持統天皇は、『天の香具山』を選んで詠んだのかもしれません。
 でも、たとえそうだとしても、歌に詠もうとした動機がまだはっきりとしません。決して、日ごろ目にする『天の香具山』が珍しいわけではないでしょう。
 その時、なぜ歌に詠もうとしたのでしょう。
 ただ、持統天皇が、奉納山を見ていたというところに行き着いたのは、大きな1歩前進でした。
 ところが、そこからは、逆に新たな疑問が生まれてしまいました。

                       


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