先にもふれましたが、下の道を歩いていても奉納山の頂上は見えません。 その斜面に近いところにある鳥居が見える程度です。 たとえ、その頂上に神社があって、そこの神官の白装束が干してあったとしても下から見えることはありません。 しかし、持統天皇は、まちがいなく奉納山の上に干してある白妙の衣装を見ていたのです。では、持統天皇はどうやってその白い衣装を見ることができたのでしょう。 ・・・『天の香具山』は、出雲の奉納山だった。そして、持統天皇は、その奉納山の上に干してあった白妙の衣装を見た。しかし、その70メートルほどある奉納山の頂上は下からは見えない。そこが見えるためには、それと同等かあるいはそれ以上の高さのある場所からでないと見ることはできない。 その謎の答えは、必然的にそこへ到達せざるを得ませんでした、つまり、70メートル以上の高さがあって、女性の持統天皇が存在するにふさわしい場所とすると、それはもうそこ以外には考えられません。 それは、この列島の国家的象徴である『天』が君臨する場所としての、出雲大社の地にあった超高層の神殿です。32丈、およそ100メートルはあったと言われているその神殿に持統天皇がいたとしますと、『奉納山』の頂上を見ることができます。 それ以外には考えられません。近くに100メートルを超える山はありますが、女性の持統天皇がそこに『登山』することは、まずありえないでしょう。 とうとう、持統天皇がどういったシチュエーションでその歌を詠んだのかが見えてきました。日ごろ見えるはずのない、奉納山の上が見えたので持統天皇は大きな驚きと感動を抱いたのでしょう。つまり、『天の香具山』の頂上が見えたということを通して、その超高層の神殿に初めて上がった時の感動を歌にしたためたというのがその歌のモチーフだったのでしょう。 どうして、詠った場所が特定できるような表現が盛り込まれていなかったのだろうといった疑問もありましたが、持統天皇が『天の香具山』の頂上が見えるような歌を詠めば、詠われた場所はその神殿でしかないということは、当時の人々にはあまりにも当然すぎることだったのかもしれません。 おそらく、持統天皇がその国家的象徴の地位に就き、その超高層の神殿に『初登庁』した折りに詠われたのがこの歌だったというのが私の到達した解釈です。 折りしも、初夏のとても良い天気の日だったのでしょう。下から、多くの階段を上がると、そこは心地よい風が吹き、南には遠く中国山脈の山々が、西には広大に広がる日本海が、そして、その手前には日ごろ見ることのできない『天の香具山』の頂上が見え、そこには神官の白装束が干してあったのでしょう。 持統天皇は、その時の感動をこの歌に残したという結論に至りました。 さて、皆さんはいかが思われますでしょうか。 |
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邪馬台国発見
ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」
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