み吉野の 象山(きさやま)の際(ま)の 木末(こぬれ)には ここだも騒く 鳥の声かも 第6巻第924首、吉野の地を詠った代表的な歌ですが、『み吉野』つまり『美吉野』美しさにあふれた吉野ということでしょう。そこにあった象山の木々には小鳥が数多くいて、賑やかに鳴き騒ぐ声がこだましているといった情景が浮かんできそうです。落ちついたその吉野の風情が詠われていて、その詠み人の美しい吉野を思う気持ちが伝わってきます。 さて、直接『吉野』の地名が詠われている歌でもおよそ60首もあり、それをみなご紹介することはできませんので、一部吉野の地が読み取れる特徴的な歌をご覧いただきましょう。 見れど飽かぬ 吉野の川の 常滑(とこなめ)の 絶ゆることなく またかへり見む(1−37) 馬並(な)めて うち群れ越え来 今日見つる 吉野の川を いつかへり見む(9−1720) その吉野の地には、吉野川が流れていていつまで見ていても飽きることの無い川で、また来て見たいと詠われています。 馬を並べて幾人かで今日見に来たが、次はいつ来て見ることが出来るだろうと、そこから帰ることに後ろ髪を引かれる思いだといったようにも詠われています。 当時、その吉野や吉野川は、心引かれる地域だったようです。 神からか 見が欲しからむ み吉野の 滝の河内は 見れど飽かぬかも (6−910) 馬並めて み吉野川を 見まく欲り うち越え来てぞ 瀧に遊びつる (9−1104) 吉野には、吉野川だけでなく滝もあり、その滝も飽きることなく楽しめる場所として詠われています。 確かに吉野には滝があったと言われていますが、どのような滝だったのかもう少し検証してみましょう。 吉野川 川波高み 滝の浦を 見ずかなりなむ 恋しけまくに (9−1722) み吉野の 瀧もとどろに 落つる白波 留まりにし 妹に見せまく 欲しき白波 (13−3233) その吉野川にある滝には、浦と言えるような滝つぼがあり、さらに『滝もとどろに 落つる白波』と詠われるくらいですから、滝から流れ落ちる水量はかなり多かったことが伺われます。 さて、万葉集に詠われている吉野の姿がある程度見えてきました。美しい吉野の地には、綺麗な清流『吉野川』が流れ、その川には滝もあったようです。その滝は、『とどろに』と詠われるくらいですから、かなり大きく流れ落ちる滝だと考えられます。 ここまで検証してきましたが、『奈良吉野』に、それに相当する情景が残っているでしょうか。確かに、『吉野川』と呼ばれている川はあります。しかし、『滝』はありません。 どういうことでしょう。 万葉集に詠われている『吉野』とは、『奈良吉野』の地ではなかったのでしょうか。 |
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邪馬台国発見
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