吉野には吉野川が流れ、滝もあったと詠われていました。その滝は、かなりの水量があり、滝つぼもあって『浦』と表現されています。しかし、奈良にある吉野川にはそのような情景を持った滝はありません。 どうなっているのかと思い調べてみますと、奈良吉野には、宮滝という地名があり、そのあたりの流域は急流なため、それを滝に見立てて詠んだとされていました。急流といっても、斜面を流れるほどではありません。普通の川の、少々流れが急だと言えばそうかなといった程度で、滝などとはとても言えるような景色ではありません。ましてや、滝つぼや浦といったところもありません。 しかし、それを滝に見立てて詠ったという解釈がされているのです。この手法は、どこか別の歌でも見かけました。 そうです。それは、第2首のところでしたが、奈良盆地には海が無いので、池を海に見立てて詠んだと解釈されていました。 この吉野もまったく一緒です。滝がないので、急流を滝に見立てて詠んだと解釈されているようです。つまり、第2首と同様、奈良吉野には、万葉集に詠われているような滝はありませんでした。 では、それはどこにあったのでしょう。 もう少し、吉野が詠われている情景を検証してみましょう。 かはづ鳴く 吉野の川の 滝の上の 馬酔木(あしび)の花ぞ はしに置くなゆめ (10−1868) 斧取りて 丹生の桧山の 木伐り来て 筏に作り 真楫貫き 礒漕ぎ廻つつ 島伝ひ 見れども飽かず み吉野の 瀧もとどろに 落つる白波 (13−3232) 吉野川にある滝は、その上に馬酔木(あしび)の花が咲いていたと詠われていますから、山の中腹から流れ落ちていたということが分かります。 『奈良吉野川』で滝と詠まれた場所と言われている宮滝のあたりの吉野川には、決してそういった風景はなく、その川の上は空です。 さらに、吉野にあった滝は、磯を漕ぎ廻しながら島伝いに見ることができたとありますように、その滝は、海から見えていたことになります。いくら『奈良吉野川』に滝らしきものを見出したとしても、決して海から見ることはできません。 それが可能なのは、第2首と同様、想像の作品にする以外に方法はありません。しかし、第2首だけならともかく、吉野の地をここまで詳しく描いている数多くの歌をみな想像上の歌に仕立て上げることは不可能です。 万葉集に詠われていた『吉野』に関わる歌は、『奈良吉野』で詠われてはいないと断言せざるを得ません。 ということで、いよいよその『吉野』が何処だったのかを検証してみましょう。 |
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邪馬台国発見
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