万葉集に秘められた真実!
万葉集に詠われた吉野を探る  5

持統天皇『吉野行幸』に31回

吉野川発見! 滝は?

 吉野川は出雲大社周辺にあったのかもしれませんが、清流吉野川はそれほど大きな川だったとも思えませんし、長い年月のうちには無くなったり、それ以前に、おそらく名称が変わってしまっているだろうと思っていました。
 滝も、出雲大社周辺に滝があるといったことを聞いたことがありませんでしたから、そちらも枯れて消滅しているかもしれません。
 そして、今年(08年)の春のことですが、出雲大社横の『古代出雲歴史博物館』の特別展示を見に行く機会がありました。その折に、出雲大社周辺の古絵図が展示してありましたので、それを見ていると、何と出雲大社横に小さい字でしたが『吉野川』という文字が目に入りました。
 『吉野川!!!』
 紛れも無く、出雲大社横に流れている川の横に『吉野川』と書かれていました。
 隋書を読んでいる時に、『これは出雲?!』と、出雲が都だったことに気づいて以来の、大きな驚きでした。まさしく、出雲大社横に『吉野川』があったことが証明されたのです。
 早速、その古絵図の掲載されている書籍を購入し、インフォメーションへ向かいました。
 そちらで、学芸員の方を呼んでもらい、その古絵図を広げました。
 そして、出雲大社の横に描かれている川の名称は、『吉野川』であることを確認しようと尋ねました。
 『間違いありません。吉野川です』
 次に、今もその川はあるのか、あれば今は何と呼ばれているのか尋ねました。
 その答えを聞いて、またまた驚いてしまいました。
 『今も、その川は出雲大社横に流れていて、同じく吉野川と呼ばれています』
 何と、今でも『吉野川』は、出雲大社横に流れていたのです。
 私は、もうあまりの感動と驚きで、頭の中がボーっとしてしまいました。
 『吉野川があった。今にまで、吉野川は残っていた』
 そんな言葉が、頭の中を駆け巡っていたように思います。
 その日は、とにかく、そんな大収穫を得たので、古絵図にも滝は描かれていませんでしたし、今にまで残っていることはないだろうと滝のことは聞くこともなく帰宅しました。
 次は『吉野川』を見に行こうと思い、その機会が来ることを待っていました。
 あるいは、その流域のどこかに痕跡が残っているかもしれません。
 そんなある日のことでした。
 この『みんなで古代史を考える会』の登録会員さんからメールが届きました。
 な、な、何と、『先日出雲に行ってきました。そして、滝も見てきました』とあるではありませんか。
 こちらから、その滝について聞くと、出雲大社周辺にはいくつか滝があるとのことでした。
 いったい、それはどんな滝だったのでしょう。
 メールでは、そんなに詳しく聞けませんでしたから、後日、出雲大社横の歴史博物館に電話で問い合わせをしますと、確かに滝はあるとのことでした。
 何ということでしょう。もう、滝は枯れて消滅していると思っていましたら、まだあったのです。
 しかし、万葉集に詠われていた滝なのかどうかはまだ分かりません。
 これは、現地に行くしかありません。

                       


邪馬台国発見

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