万葉集に秘められた真実!
柿本人麻呂、『愛』を詠う  1

紀伊半島が、島?

天離(ざか)る 鄙(ひな)の長道(ながち)ゆ 恋ひ来れば 明石の門(と)より 大和島見ゆ

 第3巻第255首、柿本人麻呂の歌ですが、かなり有名ですので多くの方々がご存知のことだと思います。この歌は、通説では、人麻呂が旅に出て、その帰路にあってようやく明石までやって来ると、東の方に恋しい妻が待つ大和島が見えたといった解釈がされています。つまり、都である奈良の地を出て、その旅の帰路の歌だとされています。
 長旅の帰り道、明石にまで来て、遠くに見える大和島を懐かしく思う人麻呂の思いがひしひしと伝わってくる歌です。今から5年ほど前までは、通説のように特に疑問を持つこともなく、なるほど心にジーンとしみるような良い歌だといった感想を持っていました。
 しかし、この間、万葉集の解釈に疑問を持つようになってから、もう一度この歌を読みますとこの歌の解釈にも疑問を抱かざるを得ませんでした。
 まずは、『大和島』ですが、奈良の地を含めた紀伊半島を、初めて明石の地に来て見た時にあるいは島だろうかと思ったとしても、人麻呂は、紀伊半島が島ではないことをすでに分かっています。そこから、やって来ている訳ですから。
 では、どうして、大和島などという表現をしたのでしょうか。『島』という表現をする限り、その対象となっているものは、『島』に見えているはずです。
 長い旅をして、そこまで来たら『島』が見えたと、この歌の一番の主眼は、『島』が見えたというところにあるように思えます。ところが、『島が見えた』と感動しているのに、実はそれは島ではなかったなどというのは、いかにも変です。
 分かっていながら、人麻呂が紀伊半島を『島』だと詠んだというところに、私はどうにも納得がいきませんでした。
 こういった解釈の手法は、たびたび登場しますが、見えても無いものをそのように思って歌にしていると、ここでも同様の手法となっています。
 つまり、島ではないが、『島』と表現したとされています。
 そういった表現方法だということです。
 では、もう少し、詳しく調べることにしましょう。
          

                       


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