『やまと』と読み『大和』と表記される、この列島の都を意味する地名ですが、 何と万葉集歌の原文には、その『大和』という文字で地名が表されている歌は 1首もありませんでした。 つまり、万葉集の歌が詠まれた時代には、『大和』という表記は存在していな かったことになります。 では、どういった表記がされていたのでしょう。 私が調べた限りにおいては、 『倭』 19首(1) 『山跡』 18首 『日本』 14首 『夜麻登』 5首 『八間跡』 1首(1) 『也麻等』 1首 『夜萬等』 1首 『夜未等』 1首 の58首60箇所に『やまと』と読まれている地名の表記がありました。 驚いたことに万葉集の歌の原文には『大和』という地名の表記は1首たりとも ありませんでした。 さらに、この調べた60箇所のすべてが『大和』と解釈されていました。 どうして、これらの地名のすべてが、『奈良大和』を意味していることになるの でしょう。 この時点で、私は、どう考えて良いのか分からなくなってしまいました。 ただ、第2首の歌に詠われている『やまと』が、『奈良大和』であるという認識 は、万葉集には無いということは分かりました。 では、第2首に詠われた『やまと』は何処にあったのでしょう。 それは、当時の都を意味していますから、この列島の都が現在の奈良では なく、何処か別の場所にあったことになります。 そうなりますと、第2首が詠われた場所を特定しようとしますと、その都を特定 しなければなりません。そんなことが、一素人の手に負えるとは思えません。 この時点で、第2首の詠われた場所探しは、暗礁に乗り上げてしまいました。 奈良以外に都があり、そこには海があり細長いトンボのような嶋がなければ いけません。 この列島に残されている資料の何処を見てもその答えはなく、ほとんどお手 上げといった状態でした。 そんな、諦めかけていた時でした。ふと、この国の資料で分からなければ、 中国の史書があるということに気がつきました。この列島を代表する都ですか ら、何らかの形で中国の史書に反映していても不思議ではありません。 暗闇の中で、一筋の明かりを見た思いでした。 私の古代史探索は、新たな展開をすることになりました。 はたして、中国の史書にこの列島の都は描かれていたのでしょうか。 |
邪馬台国発見
ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」
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