オーシャン・ドリーム号の悲劇 船 ・・・20年目の夏
12.
 十一月にもなると、出雲では冬の到来を思わせるような日が出てくる。

 福山は、その出雲で数々の予定をこなしながら、渡来人の歴史が出雲神話に描かれているという話を聞こうと、東川とコンタクトを取った。
 「やあ、福山さん、お待ちいただいたかな」

 「いえ、僕もさっき来たところです。さあどうぞ。お忙しいところ、ご足労をおかけしました」
 「なあに、忙しくなんかありゃせんよ。暇っていうほど時間を持て余しているわけでもないがな」
 「いつも歴史の研究をされているんですか」
 「今は、現代が古代史とどういった関連があるのかを調べているよ。決して、今の時代が、過去の歴史と無関係であるはずはないからなあ。まあ、年寄りのボケ防止ってところだよ」
 二人が揃ったところで昼食が運ばれてきた。
 「東川さん、お飲み物はどうですか」
 「いや、さすがに昼間っから酒はいいよ」
 「そうですか」
 福山は、夜は確かに予定で詰まっているということもあったが、アルコールが入り東川が酔って話にならない状態に陥ってしまうことを避けて、あえて昼に設定していた。
 「ところで東川さん、先日、松江市で『邪馬台国、最新の研究』と題してシンポジウムがありましたが、お見えにはなってなかったようですね」
 「ああ、そう言えば、そんな集まりがあるように聞いたねえ。今までも似たようなものに参加したことがあるから、内容はおよそ察しはつくよ」
 「今回、私が面白いと思ったのは、邪馬台国がどこにあるのかという論争ではなく、わが国の邪馬台国の研究がいわゆる魏志倭人伝に偏りすぎていると言っていたところです。つまり、他の中国の史書も検証すべきだといった議論をされていてとても有意義なシンポジウムだったと思いました」
 「そうかい。それはいい方向に進んでいるようだ。この国の歴史は、大陸の歴史と付き合わせることなしに解明はできんよ。つまり、淡路島の歴史を探るのに、この列島の歴史を無視してはあり得んのと同じようなものだ。すべては人の流れが、どこまで理解できるかどうかだよ。だが、中国に残されている史書にも落とし穴がたくさんあるから、間違って落ち込まないように気をつけることだ」
 「そうですね」
 福山も、以前、山陰日報社の佐田記者と史書の検証をしたことがあった。
 お互いの近況を話し、福山は、以前聞きたかったことを東川に尋ねた。
 「東川さん、前に渡来人の歴史が出雲神話に残されているといったことを話しておられましたが、ぜひ、そこのところを聞かせていただけませんでしょうか」
 「ああ、あれかい。確かに、出雲神話には、この列島の秘められた歴史が描かれているんだが、それを理解するためには、大陸における民族の興亡の歴史も把握しておかなければいけない」
 そう言いながら、東川は、歴史年表や歴史地図を福山に手渡した。
 それは、東川が独自にまとめたものだった。
 「この列島から人類は誕生していないから、私たちは、基本的には、渡来人たちの末裔になる。過去、小規模の渡来は、無数にあるだろうが、今に残されている歴史で大規模な渡来として確認できる、最古の渡来民族は、『えびす』と呼ばれていたようだ。『えびす』には、渡来人といった意味もあるんだよ。つまり、七福神の最初には『えびす』様が来るだろう。その『えびす』様は、船に乗っていて、それは、渡来人だということなんだ。すなわち、この列島に大陸の道具や技術、言葉、食物、宗教など、当時における最先端の文化を伝えたんだよ。だから福の神というわけだ。その彼らの足跡は、各地にある『えびす神社』に残されている」

 「えびす神社ですか。それが、渡来人の足跡だということですか?」
 「それらのえびす神社の総本社は、島根半島の東端にある事代主を祭る美保神社なんだ。西宮神社を総本社にしているところもあるが、それらが何を意味しているのかということだよ」
 福山も、美保神社には参拝したことがあった。その近くには灯台があり、以前は『関の5本松』と呼ばれる大きな松が観光名所にもなっていた。
 また、『えびす』様は、商売繁盛の神とされてもいるが、鯛を抱えて釣竿を持っているように漁業の神でもある。その美保神社の北側の海には、『えびす』様が釣りをしたとされる小島もある。
 「朝鮮半島を出航すると、海流に流されてまず隠岐島に至るんだ。そして、そこから南下すると、今で言う島根半島に漂着するというわけだ。つまり、美保神社の地が、その渡来人たちの上陸地点で、そこから各地に移動していったということが想定できる。だから、その美保神社の地こそが、彼らにとっての記念すべき聖地ということで、そこが総本社として奉られていると考えられる」
 「そういった渡来の根拠と言えるようなものは、何かありますでしょうか」
 福山は、その認識の確証が必要に思えた。
 「まず、渡来の動機が問題となる。大陸に住んでいる人々が、この列島にやって来るに至る、どれだけの理由や必要性があったかなんだよ。当時、この列島は、ほとんど、山と嶋ばかりで、平野は少なく、あまり豊かな土地だったとは言えない。だから、大陸で暮らす人々が、あえて渡航の危険を冒してまで、見知らぬこの列島にやって来るほどの理由が、そんなにあったとも思えないんだよ」
 「そうですねえ。この列島の存在が、それほど知られていたとも思えませんしね」

 「だから、自ら、好んでやって来たとは考えにくい。温暖かどうかで言えば、大陸の南方、江南地域は、むしろこの列島より温暖で豊富に農作物も作られていたよ。中国王朝は、東夷、あるいは倭人などと、この列島そのものを卑下していたくらいだから、意に反して渡来していたとも言える。つまり、何らかの戦乱から逃れてやって来たということが一番の渡来の要因だと私は考えている。まあ、言ってみれば、やむを得ず追われて渡来した『島流し』だよ。少人数での渡来は、人類史的には、過去に限りなくあったかもしれないが、大きな民族的規模での渡来の要因は、そういった逃避行だろうと推察している」
 「では、そういった事実があったのでしょうか」
 「ああ。ここを見てごらん」
 東川は、資料の地図を指し示した。
 「ここに、山戎という民族が示されているだろう。山戎は、紀元前660年頃『斎』という国に滅ぼされ、その後大陸の歴史から姿を消している。この民族は、当時、非常に高度な文明を築いていたと言われているんだ。この山戎の一部が、そういった攻撃から逃れて、この列島に渡来したと考えている。これが、記録として私が確認できた最古の渡来だよ」
 「そうなんですか」
 「これは、別の角度からも確認できるが、それはもう少し後にならないと分からない。この山戎の勢力が、この列島にやってきたことによって、多くの人々が大いにその恩恵を被った。だからこそ、各地に、その足跡を伝えるように『えびす神社』が残されているのだろう。えびす神社の系列では、『えびす講』という祭が残されている。ところが、えびす神社系列の神々は、神無月に全国の神々が集う出雲の神在祭には行かない。だから、『留守神様』とも呼ばれている。すなわち、出雲系列にはない別の民族を意味しているようだ。さて、当時、生活はそんなに豊かではないにしても、そこそこ平穏に暮らしていたのではないかと考えているんだよ。この列島には百余国があったという記述が残されているように、多くの民族が大陸から逃れてきて、この列島各地で住み分けていたのだろう。今に残る各地の方言は、その名残だともいえる。それが、ある時期になると、この列島の人々は、奴隷のごとくに厳しい隷属下に置かれることとなった」
 「隷属下にですか?」
 東川は、歴史年表を福山に指し示した。
 「前にお会いした時に、アレキサンダー大王の東征から逃れるように、『月氏』、『匈奴』、『東胡』という民族が中央アジアからやってきたという話をしたのは、覚えておいでかな」
 「先日、確かにお話されていましたね」
 「その『東胡』が、紀元前3世紀末頃、『匈奴』に滅ぼされるんだ。そして、『東胡』が、『烏丸』と『鮮卑』に分裂した。その頃、彼らの一部が、この列島にやって来ている。これが、『えびす』に続く渡来民族だよ。彼らは、騎馬民族だから、馬には蹄鉄が欠かせないこともあり、製鉄を基本産業としている。すなわち、たたら製鉄だよ。この列島では、それまで、それほど製鉄が行われていなかっただろう。そこに、強力な鉄の文明が持ち込まれるわけだ。そうなると、もう従来の勢力は、太刀打ちできない。その東胡の勢力は、次第にこの列島全域を支配するようになった」
 「東胡の勢力がこの列島を制圧したということですか」
 「そうだよ。彼らは、製鉄の民族だから、この列島の中で製鉄にとって最適な場所を占拠した。それが、斐伊川の流域だった」
古来より、斐伊川上流では、この列島で一番純度の高い鉄鉱石が採掘されていて、それにより、出雲は、たたら製鉄や刀剣製造の重要な拠点となった。
 『鉄を制するものは国を制す』
 紀元2・3世紀頃、島根半島はまだ島で、その後、斐伊川から流れ出る膨大な土砂によってつながってしまい、今のような半島になった。今も、斐伊川下流域の川床には、砂があふれている。
 「この列島が、東胡の勢力の支配下にあったことの確認はできますか?」
 「それが、出雲神話に登場しているんだよ」
 「出雲神話にですか?」
 いよいよ、出雲神話の登場で、福山は東川の話に聞き入った。
 「出雲神話の中で、『足なづち・手なづち』が、娘を『やまたのおろち』に差し出さなければならないと、悲しんでいる場面があるだろう。これが、その当時の東胡の隷属下に置かれていたこの列島の人々の姿だよ。つまり、彼らの奴隷状態にあったというわけだ。東胡による残忍な支配が、『やまたのおろち』という大蛇のごとくに恐ろしい支配力として描かれているんだよ」
 「あれは、架空のお話ではないのですか」
 「それは、中国の史書にも反映しているよ。後漢書に、安帝の永初元年、つまり西暦107年に、倭國王の帥升等が、生口160人を献じたと記されている。生口とは、貢物として献上する奴隷のことだ。他の史書にもその生口を献上したという記述はあるが、せいぜい10名程度だよ。その160名という規模が何を意味しているのかだ。当時、この列島にはおよそ100あまりの国があったとされている。つまり、東胡の勢力は、その殆どの国から1〜2名の奴隷の供出を命じていたと考えられる。それを、後漢に献上したというわけだ。それは、自らの支配力の誇示だろう」
 「なるほど、そういう見方もできますか」
 二人は、食事を終えようとしていた。
 「列島各地からの奴隷の徴集は、その時だけではなく、毎年のように、供出させられていたことだろう。それが、『足なづち・手なづち』が、毎年、娘を差し出していたというところからも見えてくる。大陸に残されている歴史と、この列島に残されている出雲神話が重なるところだよ。さて、先ほど、東胡が、大陸で匈奴に滅ぼされたと言ったが、その匈奴も東胡の末裔である鮮卑に逆に殲滅されてしまうんだ」
 東川は、お茶を口にしながら、年表を指し示した。
 「紀元1〜2世紀、匈奴は大陸で鮮卑や後漢から攻撃を受け、北アジアから一掃されてしまうんだよ。そして、その彼らも、朝鮮半島を経てこの列島に逃避してきた。これが、第3の渡来民族となる」
 「匈奴もこの列島にやってきているんですか」
 「そうだよ。すると、この列島はどうなるだろう?」

 「そうですねえ。ちょっと危険な状態になりますかねえ」
 福山も、お茶を口にした。
 「匈奴に国王を殺され、この列島に逃れてきた『東胡』、そしてその東胡の末裔である鮮卑に大陸から駆逐されてこの列島に逃れてきた『匈奴』、その両者が鉢合わせをすることになるんだよ。東胡の勢力は、この列島の人々を隷属下に置き、圧制のもとで支配していた。そこで、この列島の人々は、匈奴に救済を求め、匈奴はこの列島の人々と共に東胡の勢力との戦いにいどんだ。そして、その戦いに勝利した。これこそが、『やまたのおろち』退治のストーリーの実体だよ」
 「『やまたのおろち』の話は実話だったんですか?」
 「実話というか、そういった物語として描いたのだろう。退治した大蛇の尾から刀剣が出てきたとあるだろう。それは、『やまたのおろち』の勢力が製鉄の民族であることを意味しているんだよ。その彼らの王の物だったかあるいは象徴であった太刀を勝利の証として奪取したということだろう。これらのことが、後漢書では、およそ西暦150年頃から190年頃まで『倭国大乱』として記されている。その大乱を制したのが、匈奴のリーダー的存在だったスサノオ尊だというわけだ。だから、東胡の圧制に苦しんでいた人々を解放したスサノオ尊は、神として、この列島各地の神社で奉られることになったんだよ」

 「なるほどねえ」
 「それは、御伽噺としても伝えられているよ」
 「御伽噺ですか?」

 「そうだよ。『桃太郎』だ。匈奴の勢力は、蒜山の一角に拠点を構えて、その戦いに備えた。今も真庭市にある宮座山には、巨石、磐座(いわくら)がその痕跡として残されているよ。そして、当時は島だった今で言うところの島根半島に東胡の勢力が拠点を構えていたんだよ。つまり、鬼が島だ。スサノオ尊等の匈奴の勢力は、吉備の地に拠点を構えていて、そこから、この列島の人々を苦しめていた東胡の勢力の拠点である島根半島を攻め落としたのだろう。中国の史書、そして、出雲神話、御伽噺、遺跡、それらがすべてつながるんだよ」
 「ですかねえ」

 「まだ、納得いかないようだが、『匈奴』のことを、今、私たちは、『きょうど』と読んでいるだろう」
 「はい」
 「ところが、それは、漢音、つまり新しい読み方で、呉音、古い読み方というか、元々の呼び方は、『くぬ』と発音していたんだよ。『くぬ』とは、偉大なという意味だそうだ。しかし、中国王朝は、彼らのことを卑下して、文字としては『匈奴』と書いた。だから、K音とN音が続く文字、例えば、史書にも登場する『狗奴(くな)国』や、天の橋立のそばに在る丹後国一の宮の『籠(この)神社』、あるいは、全国にある熊野(くまの)神社、それらは、その匈奴に由来しているだろう」
 「なるほど。それは面白いですね」

 福山は、東川の視点に引き込まれていった。
 「この列島から東胡の支配を一掃したスサノオ尊は、隷属下におかれていた『えびす』の勢力の姫である『稲田姫』と結婚した。そして、彼らは、九州・西都原の地に居た『卑弥呼』を女王として共立した。おそらく、この列島の歴史で、最も歓喜に溢れていた時代だよ」
 「まるでドラマのようなことが、この列島で起きていたんですね。その後は、どうなったんでしょうか」

 「スサノオ尊は、隷属下にあったこの列島の人々を、東胡の圧制から解放し、新たな国づくりに取り組んだ。そして、その末裔たちもスサノオ尊の方針に従って国づくりを行なっていたんだが、4百数十年後に、再び侵略者の手によって隷属下に置かれてしまったんだよ」
 「えっ、再びですか?」
 「ああ、この列島の人々は、再度奴隷とされてしまったんだ。ちょっと、その話をする前にトイレへ行ってくるよ」
 そして、しばらくして戻ってきた東川の話は、さらにわが国の秘められた歴史の根幹へと進んでいった。     
                                                      

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