オーシャン・ドリーム号の悲劇 船 ・・・20年目の夏
15.
 また、新年会を開こうと約束をして、それぞれが胡堂飯店を後にした。

 福山と森川は帰る方向が同じなので、一緒に出た。
 「どう、歌でも歌いに行く?」
 福山は、森川に聞いた。
 「そうね。あまり長くは居られないけど」
 「じゃあ、この近くのスナック『貴和子』に行ってみようか」
 「絵描きのママさんが居るところね」
 『貴和子』には、以前、歴史研究会のメンバーと何回か行ったことがある。
 ママの貴和子は、福山よりいくつか年上だった。
 若い頃に画いた絵を店内に何枚か展示しているが、最近は、全く画くことがないそうだ。かなりの腕前で、冬の日御碕灯台のあたりの荒々しい海を描いた物もあれば、静かな田舎の風景画や花瓶、果物といった静物画等々、幅広く画いている。以前、その中でも福山が一番気に入っている日御碕灯台周辺を描いた作品を売ってくれないかと話したことがあったが、自分の絵は売らないとのことだった。では、買い取るから、何か画いて欲しいとも言ったが、何故か、今は、全く画く気はないとのことだった。それだけの腕があるのに、どうして画かないのかと迫ったこともあったが、どうしても画く気が起きないそうだ。今の彼女の中には、キャンバスに向かわせるような衝動が無くなっているのかもしれない。
 その日、福山が、森川と『貴和子』に来たのは、森川に聞きたいことがあったからだ。
 何曲かカラオケを歌った頃、福山は、森川に聞いた。
 「由紀ちゃん、ちょっと教えて欲しいことがあるんだけど」
 「何を?」
 「年が明けると、確か誕生日だよねえ。いくつになるんだっけ?」
 「えぇっ!」
 急に、森川の眉間が険しくなった。
 「あっ、間違った。そうじゃなくて、学生時代、日本史を専攻してたよねえ」
 「そうだけど、それが何か」
 「7世紀の頃のわが国は、大きな変動の時期だったんだが、その頃の歴史について、大学ではどう教えているのかなあと思ってね」
 「何よ。私の誕生日なんか、ちっとも関係ないじゃない。それに、私の誕生日は8月だし。もう、誰かさんと勘違いしているんでしょう」
 「あれっ、そうだっけ。ごめん、ごめん。ちょっとした、洒落だよ」
 「その時には、何か、プレゼントでもしてくれるのかしら。まあ、いいけど。学生時代の事は、もう、あまりよく覚えてないけど、7世紀と云えば、遣隋使や遣唐使の時代よね。わが国では、大化の改新を経て、大宝元年に律令制が確立し、その後の体制ができた時期だとも言えるわね。この程度なら中学や高校でも教えているわ」
 「最近、古代史と関わることがよくあるんだけどね。663年に唐王朝に占領・征服されたという人がいるんだ。だが、それがどういったところで確認できるんだろうなあと思っているんだよ。唐とわが国の関係というところでは、どうだろうか」
 福山は、出されている水割りを口にした。
 飲み物の準備をしていた貴和子も、二人の前に来て話を聞いている。
 彼女も歴史の話は好きで、時々、福山と歴史について話をしたことがある。
 「そうねえ。そう言われれば、そうかもしれないわね。遣隋使や遣唐使によって律令制などの制度が取り入れられたとされているんだけど、ところが、その使者が行っても、決して、国の制度のことなんか調べたり話したりしたような形跡はないわ。むしろ、険悪な関係になっていたのよ。よく知られているけど、遣隋使は、隋の煬帝に『日出るところの天子、日没するところの天子に書を致す云々』といった国書を携えて行ったから、隋王朝は激怒して国交断絶になったくらいよ」
 「そうだね」
 「648年の遣唐使も、『日本という国名に変えたから倭国などと呼ぶな』なんて言うものだから、この使者はどうも疑わしいと唐王朝は記しているわ。だから、決して友好的な関係とは言えないわね。とても、国家的な制度について話がされたとは思えないわ。今で言えば、中国や北朝鮮に外交団が行って、わが国が、それらの国の制度にまるごと換えるようなものよ。そんなこと、あり得ないでしょう」
 「やはりそうか。唐王朝の支配下になったからこそ、律令制が取り入れられることになったという方が、自然だよな」
 「例えばね、冠位十二階というわが国にあった位階制度を、つまり身分制度ね、それを、600年に行った遣隋使が隋に報告しているのよ。『徳、仁、義、礼、智、信』、それぞれに大・小があって十二階よね。ところが、この制度は、日本書紀では603年に制定されたことになっているの。それまでに、すでに存在していた制度なのに、どうして603年なの。全く、意味不明でしょう。つまり、遣隋使によってもたらされた事にしなければならないような事情があったのかもしれないわね。そして、701年に大宝律令が制定されて、それまでと全く異なる唐の身分制度が取り入れられているの」
 「そうだよ。やっぱり、唐王朝に征服されたからだよ。で、その701年の律令制とともに取り入れられた身分制度は、その後どうなったんだろう」
 「若干手直しされているところもあるけど、基本的には今も続いているわ」
 「ええっ、今も?」
 「そうよ。701年以降、1300年間、ずっとよ」
 「その身分制度をもう少し詳しく聞かせてよ」
 「いいわよ」
 森川は、福山に説明した。
 まず、天皇と皇太子を除く皇族は、1品から4品までの品位に格付けされた。
 そして、その下に、臣下が続く。
 それは、1位から8位まであり、その下に初位が来て、それぞれに正従があり、さらに大小もあって、正1位、従1位といったように30ランクに分けられていた。正1位には、720年に藤原不比等以来、100余名に与えられている。藤原氏や徳川将軍などが中心で、大正時代に豊臣秀吉や織田信長に与えられて以降は、誰もいない。そして、従1位や正2位に総理大臣クラスが、従2位に衆参議長等と続き、以下、経済界や教育界、あるいは国家公務員や地方議会議長などまで、各種の役職に関わる人々が徹底してランク付けされている。
 「701年に導入された身分制度で、今現在も、この国の人々は、ランク付けされているのよ」
 「今に生きる唐王朝だよ。つまり、唐王朝に貢献した度合いで格付けされるというわけだ。このランクに入らない人間は、虫けら同然ということか」
 「このランク付けこそが、差別の本質でしょうね」
 「唐王朝の差別支配は、今も続いていることに疑う余地なしか」
 福山は、唐王朝の実態を垣間見るような気がした。
 その時、福山の携帯電話が鳴った。
 「おう、黒岩か。どうした、何か分かったか」
 「また、とんでもないことが見えてきた。そちらはどうだ」
 「こちらも、いろいろ収穫があったぞ」
 「そうか。近いうちに会えるか」
 「今、出雲だが、来週には帰る。何とか、早いうちに都合をつけるよ」
 「そうか。じゃあ、また日時が分かったら連絡してくれ」
 「よし分かった。どんなことが見えてきたのか楽しみだな」
 「こっちもだ。じゃあな」
 福山は、だんだんと、核心に迫ってきているように思え、全身に力がみなぎってくるようだった。
 その後、数曲歌って、二人は『貴和子』を後にした。

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