オーシャン・ドリーム号の悲劇 船 ・・・20年目の夏
17.
 「まず、これが、疑獄事件の中心人物だった神浜新三郎だ」

 福山は、それを手にした。
 「当時、防衛庁長官か。1920年生まれ、警察庁警備局長、警察庁長官を歴任して、その後政界入りしたというわけか。当選回数が少ないのに閣僚とは、何か人脈があったのかな」
 「当時の大志野総理から、かなり信頼を得ていたということだったよ」
 「なるほど、信頼ねえ。どうなんだろう」
 「そして、これが、自殺したとされている秘書の木中記章だ」
 「1950年生まれ、東協大卒か。ん、これは?」
 「どうした」
 「ここにPFとあるが、これは何だ?」
 「ああ、それか。当時、その件を取材した者から聞いたんだが、その文字を書いた小さなメモ用紙を手にして亡くなっていたそうだ。何か、ダイイングメッセージのようでもあるんだが、とにかく自殺とされてしまったから、調査はそれ以上されなかったようだ」
 「PFねえ。何だろう。7ページかなあ。ピースセブン。でも、何か、7個とか7番目とか7に関わりがあるんだろうな」
 「はたして、本当にダイイングメッセージなのかどうかも分からないし、でも、ちょっとその話が気になったもので、記録しておいたんだ」
 「まあ、どちらにしても、今は、何とも言えんよ」
 黒岩は、次の資料を出した。
 「これが、犯人と思われる坂倉行則だ」
 「1942年生まれ、東協大卒か。そうか、亡くなった秘書と同じ大学か。だが、これだけ年が離れていると関係があるとも思えんな。しかし、どうやって調べたんだ」
 「彼の名前は、過激派に関係するメンバーのリストにあったんだよ。だから、出身大学も直ぐに分かった」
 「なるほど、マークされていたんだ」
 「あまり中心的な存在ではなかったんだが、よく彼らのアジトに出入りする姿が確認されていたようだ」
 「どういうことだ?」
 「つまり、デモだとか集会だとか、表立って扇動したり、激しい行動を行なってはいなかったようだ。言ってみればシンパだったのかもしれんな」
 「そうか。シンパねえ」
 福山は、最近、ほとんど耳にすることがなくなった、当時、過激派の支持者を意味していた言葉を、久しぶりに聞いた。
 「それも、当時、いくつもあった過激派学生の幹部と交流があったみたいだ」
 「いくつもの過激派幹部とか」 
 「ああ、だから、スパイではないかといった噂も流れたことがあるそうだ。当時の事に詳しい記者に聞いたところでは、捕まった学生の供述にそんな内容があったようだが、それ以上は警察も分からないと言っていたそうだ」

 「そうか。ちょっと気になるな」
 黒岩は、次の資料を出した。
 「これが、亡くなった社長の森貴裕だ」
 「1940年生まれ、東南商船大卒か。坂倉と同世代だが、同じ関東とは言え、関係があったかどうかは分からんな。東横汽船の創業者の孫か」
 「とりあえず、人物については以上だ」
 「そうか。関係が有りそうで無さそうでと言ったところだな」
 「どうも、この犯人と思われる坂倉の素性を知るには、安保闘争の頃にまで遡る必要が出てきた。それで、当時の流れを簡単にまとめてみた」
 黒岩は、その資料を福山に渡した。
 「それは、大変だったな」
 「こうやって、振り返ってみると、当時の事を思い出したりして、結構楽しいもんだよ」
 「そうだな」
 福山は、その資料に目を通した。
 1951年に締結された日米安保条約により、在日米軍は、継続して駐留することとなった。そして、58年頃からその改定の交渉が行なわれ、それに反対する大きな運動が全国的に巻き起こった。社会党や日本共産党をはじめ、総評など労働組合も、安保改定でわが国はより危険なものになると「安保廃棄」を掲げ、広く市民も巻き込んだ一大政治闘争となった。そういった反対抗議運動が高まり、国会は、国民の大きな反対の声で包まれた。しかし、その一方で、全学連を標榜する学生により、連日デモ隊が国会を取り巻き、激しい抗議行動が繰り返された。
 当時の東西冷戦下で、安保条約の仮想敵国とされるソ連も、この安保闘争には、かなり関わっていたとも言われている。そして、一部の学生は、「共産主義革命」、「大学解体」などを叫び、バリケード封鎖、ゲバ棒、火炎瓶といった激しい闘争を繰り返していた。
 空前の大闘争となった『60年安保』だが、60年5月に衆議院で強行採決され、参議院では採決されないまま、6月に自然成立した。
 そして、当時の岸内閣は退陣し、池田新内閣が誕生した。
 次に、『60年安保』から10年を経て、その継続をめぐり、68年頃から、全共闘などの学生によるバリケード封鎖が各地の大学で行なわれ、「70年安保粉砕」を叫び、ヘルメットとゲバ棒スタイルで、投石や火炎瓶を使用し、激しい闘争を繰り返した。
 しかし、条約が自動継続となったこともあり、国民的大運動という点では、60年安保ほどには至らなかった。
 その資料を読みながら、福山も、当時を思い返していた。
 「俺たちが大学に入ったのは、安保闘争が収まり、学園紛争も下火になる頃だった。その頃は、ベトナム戦争が激しさを増していたこともあり、反戦を叫ぶ連中も多くいたよ。だが、どうも俺には、あいつらが胡散臭く見えて、仲良くしようという気にはなれなかった。ヘルメットを被ってタオルで顔を隠して『反戦』を口にしても、彼らが、平和の使者なんかじゃ絶対にないと思った。それに、言っていることも、本当に理解して言っているのか、どうも疑問に思えてならなかった。言ってみればお題目を唱えているようにしか聞こえなかったんだ。だから、ある日、『インドシナ3国人民連帯』などとハンドマイクでわめいているから、その横でビラを配っている奴に、よく分からない振りをして、『インドシナ3国って、どこの国を指しているのか』と聞いたんだ。すると、その学生は、首をかしげて、その横でマイクを握っている奴に聞いていたよ。すると、そいつも知らないんだ。結局、そこにいた連中は誰も知らなかった。だから『インドシナ3国とは、ベトナム・ラオス・カンボジアだ。それくらいのことは知っておけ』と言って、その場を離れた。俺には、ああいった学生も何か踊らされているようにしか見えなかったよ」
 「福山は、国立だったからいいけど、俺は私立だったから、学費を稼ぐためにバイトばっかりしていたよ。ところが、それが結構面白くて、結局、そこに就職してしまったよ。それが、T新聞だったという訳だ。その頃は、まだワープロも出てなかったから、タイプを打ったり、手書きで文章を清書する仕事がかなりあったんだよ。俺、小学校の頃、書道を習っていたから、字は綺麗に書けたんだ。割といい収入になるんで、本当に助かっていたよ。新聞労組の大会資料なんかもみんな俺が書いてたんだぜ。おかげで、いろいろ勉強させてもらったよ」
 黒岩は、タバコを吹かしながら、当時を振り返っていた。
 「黒岩、そうだよ。やはり、今の黒岩の話で、おおよその見当はついた」
 「何がだよ」
 「いわゆる学園紛争なるものをやっていた連中は、どうやって生活をしていたんだろう」
 「そりゃ、あいつらもバイトしてたんじゃないのか。奨学金とか親からの仕送りもあるだろうし」
 「まあ、たまに動員されるような奴らは、そうかもしれんが、幹部らは、そうもいかんだろう。それに、彼らの活動費、つまり、ビラや角材、ヘルメット、あるいは組織の維持費などなど、あれだけの闘争を組むには、それ相当の費用が必要だ。彼らは、それをどうやって捻出したんだ。一時的じゃないんだぞ。少なくとも、数年間の費用となると、はした金ではできん。幹部がいくら稼いだって、そんな金作れやしないよ。ましてや、学費や生活費に大変な学生が、そんな金を出し合うなんてできるとも思えんし、あいつらが、自腹を切ってやっているような連中じゃない。徴収された学生自治会費を主な資金源にしていたのかもしれんが、おそらく、幹部のあたりは、お金に困るというようなことはなかったんじゃないかな。むしろ、お金を握らされていたのかもしれない」
 「えっ? どういうことだよ」
 「彼らが、訳の分からん主義主張やあるいはボランティア精神だけでやっていたと思うか。必ず、裏ではお金が動いていたはずだ。何故、そう思うかというとな。先ほど、黒岩がくれた資料、つまり、安保闘争を改めて振り返ってみて分かった。すなわち、安保闘争が何だったのか。それが、何を意味していたのかだよ」
 「それは、『安保廃棄』に向けた政治闘争じゃないのか」
 「表向きはな。黒岩、60年安保、それは、国民的大運動になった。本当に、国民の多くは、安保条約の危険性から、安保廃棄こそが日本にとって必要だと思うようになっていった」
 「そうだったのかな。その当時のことは、あまりよく分からないが」
 「日本全国の津々浦々とも言えるほど、安保反対の声が巻き起こった。そうなると、安保条約を推進しようとする勢力は、どうすると思う?」
 「どうするって、何としても条約を締結しようとするだろう」
 「そのために、国民の多くが反対して、政権党が選挙で惨敗するようなことにでもなったら、本当に廃棄されてしまうかもしれない。彼らが、そう思ったら、必ず何か手を打つだろう」
 「どんな」
 「いくら、安保条約は必要だなどと口で言っても、そんなことで国民を言いくるめることができるなら、彼らも苦労はしない」
 「だから、どんな手を打ったんだ」
 「つまり、安保条約に反対する勢力を徹底的に悪者に仕立て上げて、国民から離反させることだ。『安保反対』などと口にする奴は、まともな人間じゃないというほどにな」
 「どういうことだ」
 「『共産主義革命』だの、『安保粉砕』だのとわめき、大暴れさせるんだよ。そうすると、反体制というのは、危険な勢力だと多くの国民は思うだろう。実際、安保闘争最中の60年11月に行なわれた衆議院選挙では、政権与党が6割以上の議席を得て大勝している。全く、彼らのシナリオどおりになったということだ。彼らは、国民を、安保条約は安全で、安保反対を口にする勢力こそが危険だと思わせる方向に徹底して誘導し、それに成功したわけだ」
 「いったい、じゃあ安保闘争とは何だったんだということだよな」
 「だから、70年安保の時も、68年頃から、学生に暴れさせて、69年の衆議院選挙では、同様に与党の圧勝、野党の惨敗となっている。いかに、悪役レスラーが大活躍したかがよく分かるだろう。選挙が近づくと、それを優位にするために何らかの手を打つのは、彼らにしてみれば常套手段、当然のことなんだろう。つまり、何らかの思惑を持つ者は、そういう巧妙な手段を弄するということだよ。俺も、今まで、そこまで考えたことはなかったが、今日、よく分かったよ」
 「しかし、本当に、そこまで裏でコントロールしていたんだろうか」
 「確かに、上手に利用したとは思うが、まだ何かあるのではないかという気はしている。もう少し、検証が必要かもしれんな。おそらく、何らかのつながりが出てくるはずだ。俺は、東横汽船を当たってみるから、黒岩も、閣僚や秘書のところをもう少し調べてくれるか」
 「分かった。ところで、お前の調べたことはまだ聞いてないが」
 「そうだな。これらをもう少し調べてからでも遅くはないよ」
 「そうか、また連絡するよ。じゃあな」
 黒岩は、ショルダーバッグを肩に掛けた。
 福山は、外に見える景色を眺めながら、巧妙にコントロールされているわが国の人々が、これからどうなっていくのかを考えると、ちょっと背筋が寒くなる思いがした。

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