オーシャン・ドリーム号の悲劇 船 ・・・20年目の夏
18.
 黒岩からの情報を得た福山は、その数日後、東横汽船へと向った。

 川崎港の埠頭にその会社はあって、主に東北・北海道方面へのフェリーや海外諸国との貿易・貨物輸送を中心としている。
 午後の休憩中なのか、一服している従業員らしき男性が二人で立ち話をしているのが見えたので、福山はそれとなく近づいた。
 一人は60歳代で、もう一人はまだ20歳前後の青年だった。
 「ああ、どうも。ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな」
 「何?」
 年上の男性が、福山に応えた。
 「実は、20年前のオーシャン・ドリーム号のことを振り返る企画で取材しているんだけど、こちらの森社長さんが、その時事故に遭遇されて、本当にお気の毒でした」
 「ああ、あの若社長ねえ。よく頑張っていたのになあ。で、今ごろ何を調べようっていうの?」
 「あ、失礼。私はこういう者です。横浜FMでも時々出演してまして、この夏にもその特集で、私がコメントしたんですけどね。また、別の企画で、今、もう一度あの事故を振り返ってみようということになって、取材しているんです」
 福山は、二人に名刺を手渡した。
 「そう云えば、その番組、確か夕方でしたよねえ。こちらのバイトが終って帰る途中、電車の中で聴いてましたよ。そうなんだ。あの時の人」
 「そうです。お聴きいただいて、ありがとうございます。その乗船客の方々の大切な人生を奪った大変な事故だったのですが、その方々の生前を振り返り、改めてご冥福をお祈りしようといった企画を検討中なんです。それで、森社長さんのその人となりといいますか、ご存知の範囲で結構ですので、簡単にお話いただければありがたいのですが」
 「そうねえ。もう大分前のことだからねえ」
 年上の男性が空を見上げるようにして、考えていた。
 「そうだなあ。わしがここで、こいつのようにバイトに来ている頃、あの若は、俺と同じ様な年だったよ。何でも、大学でロシア語を習っているということで、ちょくちょく当時のソ連へも出かけていたようだ。その後、独自に航路も開発して、ソ連向けの商売を盛大にやっていたよ。主に、石炭やLNGの輸入とかだったが、どうやって、そんな取引ができたのか不思議だったがな。80年代に入って、次第にソ連向けは減っていったようで、若が亡くなるし、ソ連も崩壊するしで、その後は、航路も閉鎖されたみたいだな。若で持っていたようなものだからな」
 「なるほど、ちょくちょく、ソ連へ出かけてもおられたんですね」
 「そうたびたびでもなかったが、そうだなあ、年に1回といったところだったかな。そうそう。あの安保闘争の頃は、月1くらいで行っていたよ。とにかく、あの頃は、よく仕事があったからねえ。ソ連向けで、ここの会社は大きくなったようなものだよ。今は、オーストラリアが主な取引先のようだが、当時と比べたら、あまりいい儲けでもないみたいだ。ロシア向けで何か仕事を見つけてくれるといいんだが、今は、そんな関係も持ってないようだから、どうにもならないよ」
 「そうですか。あなたもこちらで、バイトをされていたようですけど、その当時、バイト仲間で、坂倉という男をご存知ないですか。ちょうど、同じ様な年齢だったと思いますけど。彼もあの事故で亡くなっているんですよ」
 「どうかなあ。毎日来ていた訳じゃないからなあ。そう云えば、社長だけでなく、もう一人、会社の関係者があの船に乗っていたといった話を聞いたよ。でも、当時の人間は、もうほとんどいないからなあ。俺が一番古株になっちまったよ。そうだ、経理の片村さんなら知っているかもしれんなあ。バイト代も渡していただろうから。あっ、そうか、あの人の方が古いよ。ちょっと、こっちにおいでよ。俺が紹介してあげるよ」
 「それはありがとうございます。よろしく、お願いします」
 福山は、その男性の後に続いて会社の事務室へと行くと、そこに70歳代と思われる片村という経理担当者がいた。
 「・・・、ということで、この人が、その当時のことを知りたいそうだ」
 「で、何を聞きたいのかね」
 眼鏡越しに福山を見て、その片村という老人は聞いた。
 「亡くなられた森貴裕社長と同年代のバイトで、坂倉行則という青年がいませんでしたか」
 「いたよ」
 「えっ」
 あまりの即答に福山は驚いた。
 「すぐにどうして分かったのか、疑問のようだが、以前にもお前さんのようなことを聞きに来た者があったのさ。もうずいぶんと前になるがな」
 「それで、それは、いつ頃のことでしたか」
 「ええと、森社長の亡くなる1年ほど前だったかな。二人ほど来たから、忘れることはないよ」
 「二人、一緒にでしょうか」
 「いや、一人が先に聞きに来て、もう一人は、それから1ヶ月ほどした頃だったかな」
 「その二人は、どんな人物だったか覚えていませんか」
 「このことは、内密にしてくれと二人とも言っていたが、20年も経つからもう時効だということにしよう。どちらにしても、オフレコにしてくれるとありがたいがな。最初の若い方は、その後亡くなってニュースにも出ていたよ。ほら、覚えてないかなあ、何とかいう閣僚の秘書だったよ」
 「まさか、その閣僚とは、当時の神浜防衛庁長官ではありませんか」
 「そうそう、その秘書だろう、あの時亡くなったのは」
 「そうです。木中秘書です」
 「名前までは覚えてないが、写真も新聞に出ていたから間違いないよ。あの時は驚いたよ。わしに会って1ヵ月後に亡くなるんだからねえ。何でも自殺だとされていたが、どうして死んじまったのかねえ。まだ若かったのに」
 「それで、どんなことを聞いてましたか」
 「そうだなあ。あんたと同じ様に、森社長や坂倉のことだったかな。坂倉は、学生のバイトだったが、森社長とは仲良かったみたいだよ」
 「そうですか。どうして、そう思われましたか」
 「ソ連に連れて行ってやると、一緒に渡航したことがあったよ。その時1回だけだったがな。よっぽど仲が良くないと海外旅行にまで連れていかないよなあ。まあ、そんな話をしたかな。結局、二人ともあの船に乗ったばかりに災難にあってしまったよ」
 「では、もう一人は?」
 「後の人は、その前に聞きに来た秘書の人のことだったように覚えているよ。どうして、そんなことが知りたいのかなあと思ったからね。そしたら、それから間もなくして前に来た青年が自殺したと聞いて、本当に驚いたよ」
 「その後で聞きに来たというのは、どんな人物でしたか」
 「こちらは、名前を聞いたかどうかも覚えてないが、興信所とかなんとか言ってたかなあ。目つきが鋭かったから、おそらく公安じゃないかって一緒にいた連中は言っていたがな。でも、その人は、最近見たことがあるんだよ。何処で見たかなあ。そうだ、横浜に行った時だった。街中ですれ違った時に、見たことがある顔だなあって振り返ったんだよ。その人ね、耳の後ろに小さいほくろが2つあって、顔を見間違えても、あのほくろを見間違えることはないよ」
 「それで、その方は、どんな人なのか分かりませんか」
 「分からないなあ。でも、その後ろ姿を見送っていたんだが、ホテルに入っていったよ」
 「ホテルですか」
 「ああ、そこの客だったのか、従業員なのかまでは分からないがな」
 「そのホテルの場所とか名前とか分かりますか」
 「ほら、最近できた豪華なホテルだよ。なんて言ったかなあ。長い名前だったよ」
 「あの、神奈川ブライダル・セントパレスとかじゃないでしょうねえ」
 「ああ、それそれ。間違いないよ。そこに入っていったんだが、それ以上は別に用もある訳じゃないから、それっきりだけどな」
 「そうですか。ありがとうございました。大変参考になりました。お聞きしたことでご迷惑をかけることはありませんからご安心ください」
 「よろしく頼むよ」

 福山は、先の男性にもお礼を言って、横浜大洋汽船へ向った。
 福山には、次第に事件が解けつつあった。
 その確認のためにも、次の場所へ行かなければならなかった。

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