オーシャン・ドリーム号の悲劇 船 ・・・20年目の夏
20.
 新年を迎え、福山は、まだ昨夜のお酒が抜けやらぬ気だるさを感じながらも、ベッドから起き出した。

 福山が、リビングに行くと、妻の理恵子と駆け出しの舞台俳優をしている彩華がいた。軽く新年の挨拶をしてテーブルを見ると、未使用の年賀状の束が置いてあった。実は、年末が極めて慌しくて、元旦の今から年賀状を出すといったことになってしまった。しかし、年賀状は、新年のご挨拶だから、元旦に新たな思いで年賀状を差し出すのは、本来のあるべき姿なのではなかろうかなどと言い訳じみたことを考えていた。
 「あら、出雲出身の女優の姫本里観さんからも来てるわよ」
 年賀状を手にした理恵子が、こちらを見ている。元旦だということで、着物を着て綺麗に化粧もしている。三箇日には、訪問客もちょくちょくあるので、朝早くから頑張ったのだろう。日頃は、仕事柄スーツを着ていることが多いが、元アイドル歌手とあって、いつも服装や化粧には気を配っている。
 「そう云えば、松江で年明け2月に舞台公演があるように言っていたなあ。1月の終わりに出雲で新年会をするから、その時に呼ぼうかな」
 「出雲と言えば、東川さんて方からも来ているけど、今までいただいたことないわよねえ」
 「ああ、歴史家の方だよ。かなり年配なんだけどね。12月にいろいろ歴史についてお話を聞いたんだよ。そう、年賀状をくれたんだ。さあ、では、今から年賀状を書くとするか」
 「ええっ、お父さん、今から年賀状なの。遅すぎるわよ。もっと早く出さないとだめじゃない」
 新年早々、娘から駄目出しされてしまった。
 自分に届いた年賀状を見ていると、いろいろデザインを工夫したものからシンプルなものまであって、みなさん様々である。
 そして、ふと、ある年賀状で手が止まった。
 そこには、椿の絵と短歌が綺麗に描かれていた。
 『寒椿 彼の人たちは 眺め得ぬ 深き憂いを 主知るらむ』
 一体、何を詠っているのだろう。
 差出人は、セントパレスの伊藤総支配人だった。
 福山への年賀状にしたためる歌に、伊藤総支配人は、何をそこに詠もうとしたのだろう。特に注釈といったことは書かれていなかった。他の人にも書いたのか、あるいは福山に対してだけなのか。単なる趣味で作った作品を送ってきたとも考えにくい。
 福山は、何度か復唱しながら、その意図を探った。
 「ねえ理恵子、これ、どう思う?」
 福山は、妻に伊藤の年賀状を見せた。
 「まあ、素晴らしいデザインだこと。最近は、ほとんどパソコンで作ってしまうけど、こういった芸術的な年賀状の作れる人は素敵よね」
 「そういった感想ではなく、歌の意味だよ。何を詠っていると思う?」

 「そうねえ」
 デザイナーでもある理恵子は、しばらくその年賀状を見つめていた。
 「どこかに椿が咲いていたのね。その寒椿を誰かがもう眺められないというような何か深い憂いがあって、それを主(あるじ)がご存知なのかなってことよね。でも、これだけじゃ、どうも、よく分からないわね。この方が、何を思いながら詠われたのかが分からないとね。また、お会いになった時にでもお聞きになったら」
 彩華もその年賀状を覗き込んでいたが、全く分からないといった様子だった。
 「そうだなあ」

 「どこの寒椿なんでしょうね。あるいは、一般的な意味かしら。彼の人たちとは、どんな人たちなのか。深い憂いとは、どんな憂いなのか。主とは、誰のことなのか。とにかく、ほとんど何も分からない状況で、あれこれ考えてみてもどうにもならないわね」
 確かに、理恵子の言うとおりでもある。福山は、今、伊藤総支配人のメッセージを理解できそうにもなかった。
 そして、一通り、年賀状を書き終えた頃だった。
 見直しているところに、黒岩から電話が入った。
 新年早々だが、正月休みでごろごろしているようなら出てこないかと言ってきた。確かに寝正月になりそうだったから、3日に、T新聞の近くの喫茶店で待ち合わせることにした。

 その3日、日頃、込み合う都心の電車も、正月とあってかなり空いていた。
 約束の午後2時に行くと、黒岩がすでに来て待っていた。
 お互い今年1年また頑張っていこうと、軽く新年の挨拶を交わした。
 「あれから、またまたいろいろ調べたぞ」
 黒岩が、ショルダーバッグから、メモを取り出して話し始めた。
 「そうか、それでどうだった」
 「まず、当時の閣僚や秘書の経歴には、かなり危険が漂っているよ。まず、大志野総理と神浜防衛庁長官は海軍出身で、橋塚内閣官房長官は、陸軍出身。もう、まるで旧軍部による内閣かと思ってしまうよ。そして、秘書官にも陸軍出身がいたよ。伊藤恵祐。彼は東部第33部隊所属だった」
 「東部第33部隊?」
 「そんな部隊、誰も知らんだろうが、陸軍中野学校と言えば分かるだろう」
 「スパイ養成学校か」
 秘書官の伊藤恵祐と言えば、伊藤総支配人のことだ。
 福山は、伊藤と大志野の関わりの背景を垣間見るような思いがした。
 「1940年頃、『諜報謀略』のため、スパイ養成機関が設立された。それが、中野区囲町にあったので、通称中野学校と呼ばれていたようだ。ただ、軍隊と言っても、諜報活動をするとなると、すぐに軍人だと分かっては諜報活動にならない。だから、軍服は着ないし、長髪で、見た目には全く民間人の格好をしていたそうだ」
 「なるほど。スパイが、スパイだとバレたら、スパイ活動は終わりだからな」
 「『諜報活動』は、内外情勢を正確に把握して、どんな状況下に置かれようとも的確な判断が求められる。そんな任務は、一見してすぐに軍人だと分かるような職業軍人ではだめだし、高度な知識や理解力がなければできない。だから、東京帝国大学や東京外国語大学、あるいは、明治、慶応といった大学の出身者が多かったそうだ」
 「エリート集団じゃないか」
 「それに、軍隊的な教育というよりも、むしろ自由な議論がされていたとも言われているよ。とにかく、融通が利いて、敵が仕掛けてくる様々な諜報や謀略を的確に察知し、それを逆に利用して敵を混乱させたり、こちらに有利になるように仕向けるといったことが教育の中心だったみたいだ。そして、何よりも大事なのは、地位や名誉などを求めず、ただひたすら国のためにすべてをささげろというのがその精神だったそうだ。だから、たとえ捕虜となっても、生き抜いて2重スパイになってでも、敵を混乱させろなどと、相当徹底した教育がされていたようだ」
 「まるで、忍者だな」
 「まあ、忍者がどんなものだったのか良く知らないが、忍者は、忍者と分かった時点で忍者ではなくなる。それと同じかもしれんな。だから、彼らは、普通に生活をして、普通に働いて、なおかつ、お国のためという自らの任務を死ぬまで貫くわけだよ。いかなる境遇にあってもな。そういう教育を受けた者が、毎年、150名ほど、日本中、あるいは世界にも派遣された。そして、そ知らぬ顔をして、任務を遂行するんだ。誰にも気づかれないようにな」
 「ということは、職業軍人は、その職を辞したら軍人ではなくなるが、彼らは、死ぬまでスパイだというわけだ」
 「そうかもしれんな。あくまで、その本人次第だろうがな。他にもまだあるが、取りあえずはこういったところだ。それよりも、お前のことの方が気になっているんだが、どうだった」
 黒岩は、自分の話が一段落したので、コーヒーを口にし、タバコを取り出した。
 「あれから、東横汽船に行って話を聞いたら、森社長と坂倉がつながったよ。やはり、しっかりとした関係があった」
 「えっ、本当か」

 「ああ。前に、黒岩の資料にもあったが、60年安保の頃、東西冷戦の最中、この日本でソ連敵視の軍事同盟といったことが進められるとなれば、ソ連もその対策を講じる。安保条約に反対する勢力があるとしたら、そこにてこ入れをするだろう。俺の見たところ、森社長は、ソ連の資金援助の窓口になっていたと見ている。そして、ソ連の影響下にあった労働組合や学生にその資金を流した。学生への直接の受け渡し役となったのが坂倉というわけだ。だから、坂倉を一度ソ連にも連れて行っている。おそらく、向こうの担当者に会わせたのかもしれん」
 「なるほどなあ」
 「ソ連は、森社長に貿易における優遇をし、とにかく破格の待遇をしたり、直接の資金援助なども行っていたと見られる。坂倉が東横汽船でバイトをしていたことがきっかけとなったのか、そういう関係になってから何かと都合がいいからバイトをするようになったのか、そこまでは分からないが、二人が緊密に連携していたことに間違いはなさそうだ」
 「そうなると、二人が関係もないのにオーシャン・ドリーム号に乗っていたのではないということがはっきりした。しかし、同時に、脅迫事件の犯人と被害者というのも言ってみれば狂言だったということになるぞ。これは、いったい、どういうことなんだ。あれだけ、全国を騒がせた脅迫事件が狂言なのか?」
 「森社長とは、もちろん狂言だったんだろうが、あとの関連する脅迫事件の被害者は何も知らなかったということは考えられる。ただ、その脅迫事件は、単なる脅迫事件ではなかったということに間違いはない」
 「いったい、二人は、何のためにそんなことをしたというんだ」
 「黒岩、60年安保の時、その推進勢力は、反対勢力の台頭にどういう手を打った?」
 「学生に、『安保粉砕』を叫んで暴れさせたかな」
 「つまり、国民の目をそらし、自らに都合の良い方向に誘導したわけだ。同様に、当時、神浜防衛庁長官は、極めて立場が悪かった。マスコミからも徹底して攻撃されていた。だから、その目先をそらすために、彼らを利用したんだよ」
 「利用した? でも、彼らのことを知っていたのかなあ」
 「過激派のリストにどうして坂倉の名前があるんだよ。表立ってそんなにも活動していたわけじゃなかったのにだ。その上、いくつかの過激派の幹部と交流もあったことまで分かっていた。つまり、坂倉の素性を公安はつかんでいたんだよ。その役割もな」
 「じゃあ、どうして彼らを捕らえなかったんだよ。言ってみれば、ソ連の手先だ。資金源を断つというのは基本じゃないのか。日米軍事同盟は、対ソ連が大きな柱なら、なおさらそんな影響下にある彼らは捕らえようとするだろう」
 「捕らえるより、むしろ、泳がせて暴れさせた方が得策だと判断したんだよ。さっきの、諜報活動そのものだ。ソ連は、安保条約を破綻に追い込むために、政治情勢を混乱させようと画策した。ところが、わが国の支配勢力は、それを最大限に利用した。むしろ、当時の安保推進勢力にとっては、逆に助けられたんだよ。あるいは、そこには、アメリカの判断もあったのかもしれん」
 「アメリカの?」
 「アメリカは、日本が真珠湾攻撃をすることを事前にキャッチしていたとも言われている。だから、そこには、廃船前の古い戦艦を停泊させておいた。そして、攻撃させて、それを口実に第2次大戦に参戦し、報復だなどと言って日本を徹底的に叩いた。それは、すべて、アジア支配の拠点にするためにという思惑があったからだ」
 「それは、聞いたことはあるが、本当に安保闘争もそうだったのかなあ」
 「本当に、彼らをつぶす気があったら、いくらでもあんな学生など一掃するだろう。騒乱罪、凶器準備集合罪、器物破損、公務執行妨害、威力業務妨害、傷害罪、何でも理由は付けられる。本当は、彼らに大暴れさせなければいけないから、泳がせていたんだよ。むしろ、煽っていたのかもしれん。本当で鎮圧する気があるなら、自衛隊を出動させているよ。当時の防衛庁長官は、いくら鎮圧のための出動という要請があっても頑として動かなかったそうだ。つまり、アメリカから動くなと言われていたからだよ。まあ、俺の推測だがな。そういった暴動とも言える安保闘争を逆に利用して、ソ連を筆頭に、反資本主義といった勢力を徹底して悪者に仕立て上げる。それが、当時の彼らの戦略だったんだよ。それが、みごとに的中した。そして、その当時の警察庁警備局長が、神浜新三郎。公安の元締めだ」
 福山も、少し冷めてきたコーヒーを手にした。
 「では、ソ連との関係を知っていたであろう公安も坂倉と関係を持っていたというのか?」
 「おそらくな、だからこそ、坂倉をまた利用したんだよ。自らの疑獄事件隠しにな」
 「でも、どうして、船に彼らが乗ることができたんだよ」
 「その指示を横浜大洋汽船に伝えたのが、木中秘書だ」
 「木中秘書が!」
 「ああ、当時の受付担当が、そう言っていた」
 「ということは、神浜長官からの指示ということか」
 「おそらくな」
 「では、労組幹部は、なぜ乗船する必要があったんだ」
 「どうも、神浜長官の不正をリークしたのが、あの労組幹部のようだ。神浜からしたら、海運・造船業界は彼の支援母体だ。そこの労組に不正を暴かれたとなると、絶対に許せんと彼は思ったのだろう」
 「森社長と坂倉は、神浜が裏で糸を引いていたかもしれない脅迫事件の共謀犯だった。労組幹部は、神浜にとっては許せぬ裏切り者。ということは、すべてのシナリオの作成者は、神浜なのか?」
 「そうだろうな。そうなると、何のために集めたのかも見えてくる」
 「ええっ。まさか・・・、そんな恐ろしいことを考えるんだろうか」
 「そんなことを推測したくもないが、坂倉に散々暴れさせて、最後に共謀した森と共に口封じをした。彼にとっての裏切り者も含めてな。それがあのオーシャン・ドリーム号の沈没の真相なのかもしれない」
 「じゃあ、神浜長官が、オーシャン・ドリーム号の沈没を仕組んだというのか」
 「おそらくな」
 「そんなことがあり得るのか」

 「俺も、そんなこと考えたくもないよ」
 「あり得えんだろう」
 「確かめに行くか」

 「えっ、確かめにって、何処へ?」
 「その当事者にだ」
 「神浜は、2年前に、もう年が明けたから3年前になるが、亡くなっている」
 「そうじゃない。大志野元総理だ」
 「大志野元総理だと! どうやって」
 「近々行くと言ってあるんだよ」
 「ええっ、どんなルートを持っているんだ」
 「まあ、たまたまな」
 「たまたまで、そんな約束が取れる訳ないだろう」

 「この前会って、また行くと言ってある」
 「どういうことだ」
 「心配するな。また会う約束をとるから、その時は一緒に行こう」
 「本当かよ。何か良く分からんが。その時は、必ず行くよ。でも、本当なのか。俺を担いでいるんじゃないだろうな」

 二人は、残っていたコーヒーを飲み干し、喫茶店を後にした。


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