古代史徹底検証 |
みんなで古代史を考える会 |
我が国の古代史には、邪馬台国を始め数多くの謎が存在しています。 私、西山恒之は、04年2月にたまたま万葉集に関する書籍に出会い、それがきっかけとなり『古代の都「やまと」は出雲に存在していた』ことに行き着きました、そこから邪馬台国を始め、数々の古代史の謎が氷解していきました。 この列島の都を意味する『邪馬台国』は、中国の史書では『邪馬臺国』と記され、万葉集でも『やまと』と詠われていました。 しかし、その都『やまと』の歴史は消され、『邪馬台国』は近畿、あるいは九州にあったかのように論じられてもいます。または、『まぼろし』かのごとくに言われることもあります。 どうしてなのでしょう。 それは、この日本という国の成り立ちの歴史と大きな関わりがありました。 あの邪馬台国の謎が、とうとう解き明かされました。邪馬台国は、1300年の時を越えて、ついに、私たちの目の前にその姿を現しました。邪馬台国は、7世紀の中頃まで、近畿でも九州でもなく、『出雲』の地に存在していたのです。 邪馬台国のみならず、我が国の歴史は1300年前に意図的に改ざんされ、以来、我が国の庶民は、それがこの国の歴史だと思わされ続けています。 西暦663年11月18日(旧暦10月10日)、当時の都があった出雲は、唐王朝によって占領征服され、わが国は唐王朝の支配下に置かれました。ところが、彼らは、『国譲り』だなどと、そういった侵略の事実を隠蔽し、架空の歴史を創作しました。それこそが、我が国の不可解な歴史の元凶となっています。 邪馬台国・卑弥呼・古事記・日本書紀・万葉集・日本国誕生などなど、我が国の本質が秘められている古代史をご一緒に考えてみませんか。 ご一緒に、わが国の古代史を探索しましょう。 そして、それは、『邪馬台国』のみならず、わが国の『今』を解明することでもあります。 みんなで古代史を考える会 西山恒之 |